アスペルガーで共感性がないからか?

自分は自分についてわかってないことが、まだまだあるようだ。
いろいろ分かっていることもあるんやけど、記憶力が無いとか、左右がとっさにわからないとか、計算が苦手とかね。
でもまさか、『共感能力』が乏しいかもとは、思ってなかった。

感覚って本当にわからない分野だ。
人の感覚と自分の感覚の違いはどうやって気づくことが出来るというのだろうか。

妻に指摘された、というか、夫婦間のこじれで主張しあってたのだが、妻が僕に対して、楽しかった出来事などを話しても、ものすごく素っ気ない。
だから妻は寂しいという。
さらには、僕は「しょうもない」「そんなん時間の無駄」「無意味」という風に言うのだから、妻はひどくダメージを受けるらしい。
そのことについて反省をしているのだが、思ったことを言っているだけであって、悪くはないはずだ。

これは、男女の感覚の違いなだけのような気もする。
よそでも「旦那が話を聞いてくれない」という事例はよくあるんちゃうの?

あるいは、妻のトーク力が弱くて、フリとかオチとかを考えてないから、誰が聞いてもつまらない話かもしれない。

もしくは、僕に共感能力がないのかもしれないということだ。
確かに、妻や子ども、もしくは知人に、こんなに喜びがあったんやと話をされても、情報としては入ってくるし、話してるテンションなんかは理解できるけど、その喜び自体を自分が感ることは無い。
これは、鈍いの?

僕の世界観では、誰もが人の日常話なんかには興味がない、人間関係のために、相づちうったり、「へー、すごいなぁ」って言ったりしてるだけ、って思ってる。
だから僕も、社交術として、相づちをうったり、「すごいなぁ」って言うけど、たいがい、人の話(特に年寄り)は退屈だし、むしろストレスになったりする。
で、これは感覚的に異常?

そんなこんなで、自分は妻に対して、わざわざ社交術をつかわないので、率直な言葉や、態度が出るんだろうと思う。
さらに、よその人に対しては、社交術をつかうので、丁重に扱ってるように見えて、妻には面白くないことだろう。
特に、よその人が、女子の場合。

こんなことを考えるのも、自分がアスペルガーかもしれないと思うからだ。
もしアスペルガーなら、妻を傷つけないような距離感が必要やし、普通なら、妻にも社交術を使えという話になる。
本当に共感能力が乏しいのなら、よその人との接し方も変えれて、楽になるかも。
「そういう話に興味はないから、30秒で終わらせろ」って、言っちゃおう。

  • 他の感覚異常の話
  • 自分が人に話をする時のスタンス
  • 会議や飲み会での話
  • 人が欲してるものは分かるという話

などなど、書きたくなったが、長くなるのでやめておく。

あと、共感しないってのが、怪盗グルーの母親を思い出した。
妻に対しては、とにかく反省はしたので。
小さな花を買って帰った。

小さな花

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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