こんにちは、wishigrowです。

消えたい: 虐待された人の生き方から知る心の幸せby高橋 和巳を読みました。
とにかく、幸せになれそうな気がした。
というより、何が幸せなのか良くわかった。
わかってなさすぎた。

幸せに生きている人は、『なんて当たり前のことが書いてあるんだ。』『かわいそうな人達がいるなー。』って思うかもしれないですね。
頑張っているのに、空虚さを感じている人は、読んでみて下さい。

読むきっかけ

2014年のいつごろか忘れましたが、”黒子のバスケット脅迫事件”の犯人が、裁判などを通じて発信力のある発言をして、話題にのぼっていました。
独特の表現力で現代社会を示唆してるって。

そんな中、精神科医の香山リカ氏が犯人に差し入れた本ということで、興味が湧いて買ってみました。
しかし、自分には関係ないかなぁって、読みかけのまま1年以上も眠らせてしまっていたのです。

最近になって何気なくページをめくってみました。

消えたい

被虐待者はどんな世界を生きるのか

虐待された人は、『死にたい』ではなく、『消えたい』と思うらしい。
なぜなら、もともと生きる目的や意味を持ったことがないから。

虐待された人は”社会的存在”が育たない。
社会的存在とは、”われ思うゆえにわれ在り”ではなくて、”誰かが自分のことをwishigrowって呼んでくれるからwishigrowなんだ”っていう感じかな?
ムズイな。

例えば学校で、クラスの全員から無視されると、そこに”いる”のに”いない”という感覚になる。
それが、社会的存在ってことかな。

その社会的存在の基礎になるのが、母子の愛着関係。
母が子に共感し、世話を焼く、「美味しいね」っていう、そうやって感情を共有することが、社会的存在になる第1段階。
その上で、家族の規範を守ったり、社会の規範を守ることによってステップアップする。

しかし、被虐待者は感情の共有ができないから、孤立したまま育つ。
感覚と感情がつながらない。
『美味しい』や『嬉しい』が分からず、他者と共感もできないので、生きている喜びが分からないまま育つ。

共感ができないまま、社会の規範を学ぶが、安心や信頼を知らず、不安定な存在のまま生きていくことになる。
著者は異邦人と呼ぶ。

本に出てくる被虐待者達は、成長し燃え尽きたのち、カウンセリングを受け回復しています。
しかし、自殺する人、犯罪を犯してしまう人もいるのだと思います。

虐待はなぜ起こるか

”母親・父親に何らかの精神的な障害がある場合が多い”と本文にあります。
知的障害、知的障害以外の発達障害のあるタイプ、重度の精神障害など。

先日、赤ちゃんをゴミ箱に入れて窒息死させたというニュースがありましたが、この母親・父親にも何らかの精神的な障害があったのでしょうか?
普通じゃないもんね。

被虐待者の回復

カウンセリングによって、安定を取り戻せるようです。
まずは、”自分の真の姿を知る”こと。

虐待を受けていた自分を知る、我慢している自分を知る、存在が不安定な自分を知る。
そうすると、徐々に愛情を受け取れるようになる。

心のいびつさが少し自分に似ているぞ

本の前半では、被虐待者はそんな心理状態になるのかぁ、ふむふむ~って、読んでいたのですが、途中から、自分にも当てはまるような気がしてきた。

虐待を受けた覚えはないけど、ほったらかしにはされてたよなぁっていうくらい。
(↑一度怒りにまかせてしばかれたのはよく覚えてる)

色々なことがあって、今のwishigrowになっているわけですが、『人と違ってるなぁ~』ってことはよく自覚するところです。
特に、集団行動が嫌いなのとか、グループの一員になりなくなかったり、そういうところが普通の人と違っていて、被虐待者と似ていると思った。

wishigrowは、社会的存在であるための”感情の共有”と”規範の共有”が被虐待者と同じく苦手(もしくは重要視しない)で、孤独だ。そこが似ている。

『孤独はクリエイティブのエサのようなもんや』と思っているのだが、そう思うのも心がいびつだからなのか!ってドーンってなっています。
自分の生み出したものによってしか、自分の存在を確認できないヤツなんじゃねぇか!ってドーンってなっています。

人生の楽しみとは、幸せとは、

人は”感情の共有”が人生の楽しみだそうだ。
みんなはどうなん?

一緒にご飯を食べて美味しいって言い合う、遊んで楽しいって言い合う、気持ちいいって言い合う。
こういった”感情の共有”が、人生のご褒美だとすれば、幸せになるのって、とてもシンプルやん。

『何を目指して生きてきたのだ自分?』って感じです。
大金が必要なわけでもなく、地位も名誉も必要なく、体の触れ合いがあればいいわけでもなく、特別なスキルも学歴もいらない。
フィーリングの合う人との出会いがあって、自分の気持ちを伝え合えるすべがあればいいだけやん。
全部持ってる。

そんな感じで、幸せになるのは簡単やなぁっていう安心感のせいで、なんか満たされています。


何で心はいびつになったのか?
そもそも虐待をなくすにはどうしたらいいのか?
”感情の共有”だけで幸せになれるのか?
夢や目標と、そして達成感との関係は?
とか、色々と疑問が浮かんでくるところですけど、今日はここまでにしておきます。

興味があれば、読んでみて下さい。

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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