幸せな記憶を思い出すと悲しさが溢れてくることについて

久しぶりに鬱な感じのことを書こうと思います。
良いことも悪いことも書いて、これまでやってきた。

妻に逃げられた男として、嫌な仕事をやらずにやりたい遊びをやって、独身男性として楽しい日々を過ごせてるなぁと思っている。
しかし、心に蓋をしている部分がある。
記憶に蓋をしているとも言えるか。

何をか?
それは、子どもたちのことを思い出さないようにしているのだ。
良いことも嫌なこともたくさんあったはず、でもそのすべてを思い出さない。
最初から存在しなかったかのように。

思い出すと辛いのだ。
耐えられない。
今ここにない幸せがあったこと。
会いたくても会えない。
何かをしてあげることもできない。

一番最適な対処法は、忘れること、捨て去ることだと、自分は理解した。
だから、思い出さない。

例えば、「子どもは何歳になった?」って聞かれても、「知らない、忘れた。」って答える。
みんな唖然とするけど気にしない。

美談としては、「わが子のことは片時も忘れることはない」って言いたいところだが、現実は全然違います。
むしろ、一生懸命に忘れることを選んでいる。

そうやって、父親だった自分をすっかり殺して、独身男性として一生懸命に楽しんで生きている。

だが、一昨日だったかな、強烈に思い出してしまって、気持ちが闇に落ちていった。
寝たのか寝てないのかわからない状態で一晩過ごした。

会話のやり取りの中で、僕は言ってしまったのです。
「子どもたちといる時が一番幸せだった。」って。

楽しかった過去があって、それは全部なくなっていて、取り戻すこともできない。
思い出すことも辛く、だれかと共感することもできず、無理やり忘れることを選んでる。
現実はそうだった。
思い出したら、悲しくなった。

ダムが決壊したように悲しさが溢れてくる。

家族を失ったにもかかわらず、1年半くらいで平然と人生を謳歌している自分。
だったはずなのに。

親しい人も遠ざけてしまいたくなって、さらに自己嫌悪も広がってくる。
こういう時に限ってミスしたり、ミスされたりで、感情をコントロールできなくて疲れてしまうよ。


しかし、そういう気分に浸ってもいられない。
イベントの予定がいっぱいだ。
目の前のやることに集中しようと思う。

相変わらず、忘れる、捨てるという選択しかできないが、今の正解はそれだと思います。

いつかすべての悲しさが、人を幸せにする力になりますように。

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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