『あぁ、こういう幸せもあるのかー』って気づいた。
そして、その幸せを捨てることもできる。

幸せについて分かったことがあるので、ちょっと書いておきます。

きっかけ

私はなかなかヒドイ有様なのです。
チョー低収入、なおかつオッサン、彼女はしばらくいない、人付き合いもめんどくさい、胃腸が弱い、腹は減る。
『あぁ、ここかぁ、社会の底辺は・・・。』って思います。

しかしですね、『なんだか幸せだな。』って思う時がたまにある。
いや、よくある。

それが不思議だなぁと思って、幸せについて本気出して考えてみた。
いつでも同じところへは行きつかず、4つの方向性があると分かった。

幸せの4つの方向性

日常にある幸せ

1つめは日常にある幸せを噛みしめる方向。
ごはんが美味しい、天気がとてもいい、いつもの景色が綺麗に見える、家が整理整頓されててスッキリなど。

私は、丁寧にとった煮干の出汁で作る味噌汁を食べると『はぁ、うめぇ』となります。
自分が干した洗濯物を見ると、なんとなくほっとする。
焚きたての風呂に入るあの瞬間。

丁寧な生活をして自分を大切にしながら生きると、幸せを感じる。
感受性が豊かになるのだろうか、何でもない日常をこれからも生きたくなる。

目指すものに向かう幸せ

2つ目は目指すものに向かう幸せ。
夢や目標がある幸せ。

ここ最近、プログラミングに向き合っていて、それに取り組めることがめちゃめちゃ楽しくて幸せ。
帰ってから寝る直前までそれをやり、朝起きてもその続きをやる。

これまでも、自転車旅行で次の町次の町へと進んでいた時はめっちゃ楽しかった。
ディズニーシーで働き出す前もめっちゃテンション上がってた。

目標があって、進んでる自分がいて、迷いがないのは幸せな時期だ。

共感による幸せ

3つ目は、共感による幸せです。
恋人と一緒に過ごす幸せ、友達と飲んだ時の幸せ、家族が同じことで笑う、自分の言っていることが伝わった時。

私、去年はめちゃめちゃ幸せでした・・・。

人とワイワイ遊ぶのは好きやし、できるだけ濃密な時間を過ごしたい。
それは共感による幸せであり、逆に人と過ごしても共感がなければ辛いだけ。

「花咲くを待つ喜びを分かち合えるのであればそれは幸せ」というような世界。

不幸ではない幸せ

4つ目は現実逃避型の幸せ。
どうしても逃れづらいストレスや不幸がある、人間関係とか病気とかある。
そこから逃れられる事自体が幸せの一つだと思う。

映画やゲーム、旅行、酒、その他娯楽で現実をふと忘れられた時に幸せを感じる。

その他

その他として、欲を満たすことによる幸せがある。

がしかし、これは満たされるとすぐに消えてしまうから、幸せとは別物だと捉えた方がいい気がしています。

相反する

上記の通り、4つの方向性があると気づきました。
さらに、すべてを同時に追いかけるのは難しいし、その必要もないということにも気づいたのです。

ここ2ヶ月くらいは、(1)の日常にある幸せをたっぷり味わっていました。
しかし、急に(2)の目指す幸せがやってきたのです。
そうすると、とりあえずおにぎりだけ食べて、風呂に入れなくても、部屋が散らかっていてもプログラミングをしたいのです。
雑な生活でも幸せを感じれる。

あるいは、去年は(3)の共感を得る幸せを追い求めたわけですが、その際は1も2もいらなかったのです。
そして共感を失うと、(4)の現実逃避でやりくりしていた。

とまぁ、それぞれ相反する、トレード・オフだなぁって思います。

今はどれを追うか

あれもこれもと、すべてを実現したいのはやまやまなのですが、そうすると逆に幸せから遠ざかってしまうのでは?

バランスを取ろうとするのではなく、その時点での追うものを意識すればいい。
どの幸せを欲しているのか?
そのためにはほかの幸せを手放していいのか?

そして、共感が得られなくなったり、目標を達成(もしくは挫折)してしまった時に、パッと切り替えれるとすごくいい。

まとめ

というわけで、よくある幸せ感に囚われずに、いろんな方向性があると分かれば楽になる。

私、wishigrowが社会の底辺から、「幸せだ!」と叫んでみました。

幸せ感について思うところがあれば、コメントなどいただければ幸いです。

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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