「納屋町が寂しくなるね。」

こんにちは、商店街で育ちましたwishigrowです。
商店街のとあるお店が閉店し、寂しく、そして商店街活性化や地方活性化はこのままでいいのか?とも思っています。

伏見のかね松さん

錦市場に有名な”かね松”がありますが、京都伏見の納屋町商店街のかね松さんのお話です。
かね松さんは個人商店の八百屋さん。
地元では名前の通ったお店で、ほんまもん志向、ええもんが欲しいお客さんが行くお店でした。

店主の軽快なトークと笑顔に癒されたお客さんも多かったのではないでしょうか。

この2月いっぱいで閉店された。

寂しい

かね松の店主の本名を僕は知らない、「かね松さん」と呼んでいました。
通るときには会釈をしていましたが、必ず店主の笑顔が返ってきました。
お祭りの時には一緒に宴席を囲むことがあったのですが、いつも盛り上げ役でした。

子どもたちには優しく、若い女性にはエロそうな視線を向ける(笑)、いい人でした。

これぞ、商店街の店主ってイメージの人だったからなぁ。
かね松さんがあそこにいなくなるのが、すごく寂しい。

商売の盛衰はしょうがないけど

事業は栄えることもあれば、衰え、廃業することもあるのはしょうがない。
自然界と同じく適者生存なのだ。
消費者のライフスタイルも変わるし、商圏の競争環境も変わる。

商店街の新陳代謝が進むことも大事だ。
時代遅れの事業が撤退し、新たな業種が事業を開始すれば活気が生まれる。(新しい店舗が入ればの話だけどね。)

とは言うものの、寂しいのは寂しいし、商店街活性化が今のままでいいのか?という疑問も湧いてくる。

現状の商店街活性化

商店街も色々な取り組みをしている。
納屋町商店街はゆるキャラをつくった。
伏見の七つの商店街の合同企画でアートをテーマにしたまちづくりイベントが現在進行中だ。
その他、細かいイベントも色々あった。

まぁ、わかりきったことだが、こういうイベントでは個人商店の売り上げに結びつかない。
イベントで人が集まったからといって、商店で買い物しない。
実利に結びつかないという意味では、遊びみたいなものだ。

その遊びに誰がお金を出しているのか?
行政の補助金、すなわち税金で運営されていたりする。

とは言え、補助金で一部の店舗だけが儲かったりするとその方が問題なので、実利の出ない遊びがいいのかもしれない。
あるいは、とりあえず人を集めるためにイベントをし、集まった人に商品を売るのは各個店の自己責任というスタンスが正しいのだろうか。

僕が商店街の支援をするなら

遊びが大事なのは良くわかっておりますが、店舗側の立場で考えるなら、やっぱり情報発信の支援が最重要だと考えます。
マーケティングの4Pでいうと、個店では商品、価格、売り場が決まってるのだから、お手伝いできるのはプロモーションしかないなぁと思います。
Webでもチラシでもいいので、個人商店の魅力を引き出す記事や広告をつくり、的を絞って発信すべきだと思う。

僕がこのワラクリでもたまにランチ情報を載せてるのは、地域が活性化して欲しいからなのです。
本当は食べ物を提供されて、写真を撮るなんて無礼な気もするし、写真を撮らずにすぐ食べたいとも思っているのですけどね。

皆さんは商店街の支援ってどんなのがいいと思います?
(支援自体が必要ないって意見もあると思いますけど。)

こんな投稿をしてるくらいなら、てめぇの実家を活性化しろ

うちの実家も経営状況は厳しい。
「食育キッチンISHIGURO、商売やめるってよ。」って書く日が来るのだろうか。

まず、語呂が悪いから店名を先に変えておきたいなぁ。
桐島商店という店名に変えておこうか?

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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