こんにちは、22年ほど前は中学生だったwishigrowです。

日曜日に小・中時代の同窓会があったんですよね。
それをネタにちょっと書いてみようと思う。

5年ぶりくらい

小学校・中学校はもちろん地元だ。
自分もまだ地元で活動しているので、頻繁に遭遇する同級生もいる。

5年ほど前にも同じく同窓会があった。
そして年1回くらいは飲み会があって、声がかかる。
つい2週間ほど前に、駅で先生にも会ってしまったし。

つまりは、ありがたみがないんですよね。

イヤイヤ参加するわけではないけど、『ちょっとめんどくさい』という気持ちはありますね。
ある意味恵まれているんでしょうね。
そんな同窓会。

50人くらい参加

集まったのは50名くらい。
当時全クラスで何人いたのかな?
200人くらいかな?

50人のうち半分以上はよく会うメンバー。
残りは5年前の同窓会以来で、さらには卒業以来会ってない人が5人くらい参加してた。

とはいえ、さほどの感動はない。

そういえば、小・中時代に仲良くしてたメンバーは参加していなかったりする。
積もる話もないんだよなぁ。

痛い話をしなければいけない

先生からは『仕事は?』とか『お子さんは?』とか聞かれる。
仕事の話は適当に流すけど、子どもの話をするのは心が痛い。

同級生からも『離婚したんやって?』という話が出る。

さらには、元妻の職場に行っているという同級生もいるからなぁ、痛い話が避けられない。
複雑な心境じゃ。

うわべの話

会は2時間しかなくて、50人くらいの参加者がいる。
特定の相手とじっくり話す状況ではない。
そして、今喋ってる相手の時間の占有してていいのか?って気持ちにもなる。
うわべの話しかできないし、この会話をいつ終わらせて移動するか?ばっかり気になってしまう。

楽しさ半分、苦手意識半分。

暴れる前に終わった

同窓会に何のエピソードも残せないのも悲しいので、『暴れてやろう』『かき乱してやろう』とは思っていたのですが、
暴れる前に終わっちゃいました。
あと1時間欲しかったな。
不発。

何かエピソードと言えば、ずっと避けられてると思ってた女子がいて、当然今回もその人には近づかないでおこうと思っていたが、向こうから話しかけられてビックリしたこととか。
たまたま検索に引っかかったブログが、このブログだったと言われたこととか。
その程度のエピソードはありました。

心が渇いてるとしんどい

こういう社交の場に出ていくのはパワーがいるなぁと思いました。
最近、アウェイなダンスの会に出て行ったりしてるので、そういうところでもパワーを使ってた。
心の渇きを感じる。

積極的に繋がっていかないと、自分の居場所なんてない。
そういう辛さがある。
元気な時は上手くできるが、今は疲れてるんだろうな。

1対1の場を作らないとな

今回思ったのは、”1対多”の場には元気が必要で、パワーがないと楽しめないって思った。
それに比べ”1対1″の場はいいね。
一緒に過ごすことを前提にしているから。

デートって、自分の時間をプレゼントしあってるようなものだな。
2人で約束して会うだけで、とても貴重な機会なんだな。
恋人という関係は優先的に会う約束みたいなものだから、安心感があるんだなぁ。

みんなでワイワイやる”1対多”の機会は多いし、好きだと思っていた。
それに比べ”1対1″の機会は非効率だとさえ思っていた。

求めるものが変わってきたのかな?
心の形が変わってきたのかな?

会いたい相手に会いたいと思ってもらえるのって、幸せなことなんだなぁ。
そこを目指していかないと。

さてと、
頑張って、
デートの申し込みをしないとなー。

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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