この記事はつづきです。
>>「やるべきこと」や「やると決めたこと」で埋め尽くされる不思議
・「やりたいことをやろう」と思っているのに、「やるべきこと」や「やると決めたこと」で埋め尽くされている。
・やりたいことの前には壁が立ちはだかっていてめんどくさいことに変わる。
やりたいことをやろう
『やりたいことをやろう』とか『好きなことで生きていく』とかは無敵フレーズすぎてぐうの音も出ない。
そうあるべきだろうと思う。
私は就職活動するM氏や転職を考えるY氏などの友人に対して「やりたいことをやるしかないよなぁ」って安易に言ってしまう。
自分自身もそれが正解だと疑わずに生きている。
しかし実際は「やるべきこと」や「やると決めたこと」で埋め尽くされている。
なぜだろう?
2種類
まず「やりたいこと」を意味するのは何なのか?
2種類あるようだ。
やった経験がないがやりたいこと==やってみたいこと。
やった経験がありもっとやりたいこと==やり尽くしたいこと。
と分けてみる。
この2つはかなり違う。
「やってみたいことをやろう」は未経験なことにチャレンジしようという意味になる。
「やり尽くしたいことをやろう」はできることをとことん突き詰めようという意味になる。
分けて考えないといけない。
やってみたいこと
やってみたいことは未経験なことだから楽しいかどうかも分からないし、上手くできるかも分からない。
不安がつきもの。
さらにはそのための準備が必要。
フルマラソンを完走したいならトレーニングの日々が必要。
フランスに旅行してみたいなら旅費。
企業で働いてみたいなら就職活動を乗り越えないといけない。
やってみたいことの前にはやるべきことが立ちはだかる。
やり尽くしたいこと
やり尽くしたいことは経験しているしできると分かっている。
だから「やろう!」という決断は必要ない。
体が勝手に動くはずだ。
体が勝手に動かないようなものはやり尽くしたいことではない。
トップレベルの成績を収める人はそれをやるのが当たり前になっている人。
存在しない
「やってみたいこと」は目的(やりたいこと)があって細分化されたタスク(やるべきこと)になる。
目の前に現れるのはやるべきことだ。
「やり尽くしたいこと」はやりたいと思ったらすぐにやっちゃってる状況。
目的(やりたいこと)ではなく行為(やっていること)になる。
目の前に現れるのはやっている自分。
上記を考えると自分の目の前に「やりたいこと」は存在しない。
だから、やりたいことがないのは正常だ。
私の場合を考えると
サルサのレッスンはやると決めたことであってやりたいことではない。
本来のやりたいことは「サルサパーティーで気軽に女性を誘ってその人を楽しませたい。」しかしその実力がないので、レッスンを受けると決めたのだ。
フォークダンスや盆踊りの開催情報を知ると『やりたいことをやろう』なんて思う前にさっさと予定を入れる。さらには興味のありそうな人に連絡を回す。
体が勝手に動く。
やってみたいことはやるべきことに変わり、やり尽くしたいことはやっていることに変わる。
「やりたいことをやる」というのは存在しない。
(存在するなら、夢だけ見てるヤツの頭の中だけかな。)
まとめ
「やるべきこと」や「やると決めたこと」で埋め尽くされるのは正常だった。
「やりたいことをやる」は存在しないものを追い求めさせる呪いの言葉だ、信じた私が馬鹿だった。
願わくば「やり尽くしたいこと」で時間を埋め尽くしたいと思う。
「やってみたいこと」にも果敢にチャレンジして「できること」を増やしていくのも楽しそうだ。
そこからも逃げないでいよう。
良かった良かった、呪いが解けました!
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