今日は「悟り」について書きます。

考えれば考えるほど「よろこび すくなし」。
コロナですからやっぱり喜びが少なくなっている。

「頑張ろう」「気の持ちようだ」「コロナが明けたら楽しもう」なんて言うものの、やはり難しい。

小説を読んで楽しんではいますが、昨日なんか午後からビールを飲んでグダグダになって寝て、夕方に起きてまたワインを飲むという廃人のような時間をおくってしまった。大丈夫か、俺!

午後のビールの飲み方は走ってからなのでガツンと急速に酔っぱらい、夜はバニラアイスと赤ワインを交互に口に運んで麻薬的な味わい方をした。
アルコールは体を壊すからなぁ。もうやめたい。依存症じゃないかと思う。

依存症と言えば、スマホもそうで、TwitterとFacebookと小説投稿サイトを行ったり来たりしている。餌を探すアリのように彷徨っている。

SNSのどこにに幸せがあるというのだろうか?
本来は何を満たしたいのか?
いいねボタンで満たされる幸せがあるというのか?

なんかこの、何を満たすためにやっているのか分からないまま行動している自分が嫌いだ。

てなわけで、酒やSNSで何かを満たすのはやめる戦いをしようと思うのです。

じゃあ、どうすれば良いのか?

例えば、「居住まいを正しただけで幸せを感じる」とか、「瞑想しただけで幸せを感じる」とか、こういう状態に自分を持っていけないだろうか。

他者や物品で幸せになろうとするのは、依存状態を招くわけですよ。じゃあ何にも頼らずに幸せになろうとするならば、ただ姿勢を正すとか、瞑想するとか、お掃除するとかで幸せを感じなければならない。

、、、こんな状態になったとしたら「悟り」ですよね。

これはマズい。コロナのせいで思わず「悟り」を開いてしまいそうだ。

私は怖い。

自分の内なる声に耳を傾けすぎて、ロード・オブ・ザ・リングのゴラムみたいになったらどうしよう。

「怖いよ、愛しいしと」

明日から、魔法の指輪をはめているかもしれません。

以上

(30分ほど)

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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