今日は昨日の続きのようなことを書きます。

昨日の主張では、大人だったら幸せも不幸せも選ぶべきだと書きました。
さらには、午前中は不幸を味わって、夕方を過ぎたら幸せな時間を味わうべきたとも書いた気がする。ゆっくり寝るために。

今日はその通りにやってみることにしました。
午前中は不幸を探してみたのです。
すると、意外にも不幸な気分にはなれなかった。
幸せも不幸も追いかけると逃げていく奴らなのかもしれません。
何も刺激のない朝は、穏やかな気持ちで過ごしてしまうのです。

これはイカンと、不幸を味わいたかった私は、草刈りという苦行をやってみたのです。
草がボーボーに生えているのですが、気にしないの精神を発揮してほったらかしにしていたのです。
草と戦いました。
蚊とも戦わねばなりません。
草のトゲが手に刺さりました。
変な水疱ができてしまいました。
Tシャツが汗でドボドボになりました。
こんなことしても、誰も褒めてくれません。
こんな風に、充分な不幸を味わったのです。

結果は、、、疲れました。

幸せも不幸せも落差だと思うのです。
仕事の毎日があってのバカンスだからこそ幸せになれるのであって、バカンスがずっと続いたらただの生活になってしまいます。
あるいは登山も過酷な状況に身を置いて、それでも帰って来れるからこそ楽しいのであって、山の中にずっと居たのならばただの生活になってしまいます。

この前ニュースを見たのですけど、ウクライナのカップルが手錠でつないで生活したのです。愛の実験らしいです。
すでに結果が出ました。
123日で別れたそうです。
このように、会えない時間があってこそ、会える時間に価値が生まれるんじゃないかと思います。

というわけで、幸福とは落差なのです。
幸せになるには不幸せが必要なのです。

午前中に草刈りをした私はというと、、、夕方のビールがいつもより美味しかったです。
夕方にもっと楽しみなことを作っておくと、さらに幸せになれるかもしれませんね。

1日だけの実験では何とも言えないので、明日の午前中も不幸になろうと思います。

新たなライフハックがここに生まれるかもしれませんよ。

お楽しみに。

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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