今日も幸せについて書くのです。
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本日も午前中は不幸せを探して生きたのです。
不幸せを味わおうと思って生きたのです。
例えば、収入の見込みが無いのにも関わらず、家賃を振り込みにいきました。たいへんな不安に苛まれ、不幸な気分に陥りました。
また、小説を書こうとしたのですが、なかなか構想がまとまらず進みません。ダメだな、才能が無いな。そんな風に思う不幸に見舞われました。
しかし、こうして言語化してみると、振り込む金はあるのかよ! とか、構想を考える時間はあるのかよ! なんて思うわけで、それって幸せなんじゃねえかと頭によぎります。……不幸になりきれませんでした。
さらに不幸を求めて、蒸し暑い台所で、鶏そぼろや豚キムチを作るという苦行をしてみました。
確かに疲れはしたのですが、達成感はあるし、食材を買える金はあるのかよ! って、不幸になりきれませんでした。
不幸とはいったい何なのでしょうか?
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期待していたことが裏切られることが不幸なのではなかろうか?
例えば、健康で過ごせると思っていたのに病気になるとか、恋人と来年も過ごせると思っていたのに別れが来るとか。期待感とその喪失によって不幸が訪れるのではないでしょうか?
例えば、何か痛みがあるような病気を患ったとして、それは不幸であるけれど、昨日より痛みがマシだって思えたら、少し幸せを味わえるようなことがあると思う。
えーと、要するに、不幸を求める時点で、何の期待も抱かないわけで、不幸になれないということかな。
不幸を求めて行動する時点で、何かが好転してしまうこともありえる。
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現状 - 期待 = 不幸
という方程式が成り立つのでは無いかと思いました。
こう考えると、夢にあふれる若い頃なんてのは、期待も大きく失望も大きいせいで、沢山の不幸を味わったのではないでしょうかね。
大人になると、自分の限界などを知ってしまって、期待も小さくなって失望も小さくなり、なんとなくの幸せを掴みに行くのかもしれません。
私は一歩進んで、午前中は自ら不幸になり、午後はいつもどおりで、夕方からは幸せになりにいくという、ライフスタイルを模索しています。
だから、一生懸命に不幸について研究しています。
私は何によって不幸になるのだろうか?
現状の研究成果によると、自分の期待によって不幸になる、ということが分かってきました。
あなたにとっての不幸は何でしょうか?
明日も研究してみます。
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