今日は読んだ本の話。
ナディさんによる「ふるさとって呼んでもいいですか」を読了しました。
移民問題にちょっとだけ詳しくなれた。

私の住む街にはパラグアイ人の女性が住んでいる。おばさんです。
我が母と同世代だろうか? 我々と同世代の子どもたちがいることを知っている。
これ以上書くとプライバシーに関わるのでやめておこう。

私は以前からそのおばさんに気に入られてるようで、街角で出会うと声をかけられる。分かったような分からないようなことを喋られて、いつもニコニコ、ヘニャヘニャ対応している。

その人からなぜか「読みなさい」と頂いた本がこの本です。
著者とお友達なんだろうか?
分からない。

興味のないまま時間が過ぎたが、ようやく手にとってみることにした。

著者のナディは私と同年代です。4歳年下。
その彼女が当時6歳だった頃に、イランから家族と日本にやってくる。父、母、本人、弟2人。
在留資格なしで労働のために来日を決意するのです。
当時の日本は安い労働力欲しさに規制がゆるかったらしい。
警察に怯えたり、健康保険に加入できず医者に行けなかったり、学校へいけるかどうか、強制送還されないかどうか、などの日々を綴った自伝です。

大変そうでしたけど、真面目さや熱意で色々と乗り越えたようです。

淡々と書いてあるし、比較的幸運な境遇だったようで、悲しさや辛さなどの臨場感があまりない。
最近は小説ばかり読んでいますので、「もうちょっと感情を盛り上げるべきじゃないか」と、思ったりします。書いてある内容はドラマティックな人生ですが、著者は作家ではないので、心の揺さぶりが少ない。このあたり小説家には小説家の役目があるなぁと思います。
偉そうなことを言えるほどのテクニックを私は持っていませんけれど、悔しさや嬉しさがもっと伝わるように書きたいですね。

移民の彼女には不自由なことがたくさんあって、様々に行動して教育の機会などを勝ち取っていった。それでも自分のアイデンティティはどこにあるのかと悩んだりする。
一方の私は日本人で教育の機会などは整備されていたが、苦労知らずの人生を歩んだわけではない。同じようにアイデンティティの危機は訪れた。発達障害と見なされてコミュニケーションを拒否されたりするわけです。
ですので、
「それは移民だからという悩みではないよな」
と思うし、作中でもそういう結論に達したりする。

現在はパラリンピックが開催中です。
他人の目に見える障害は分かりやすいし、同情も買いやすい。だが、世の中には目に見えない障害もあるからなぁ。
誰が弱者なのか?
弱者に手を差し伸べようとした時に、目立つ弱者から優先的に救ってしまって、見えづらい弱者をほったらかしにしていないか?

私には分からない。
とにかく弱者をあざ笑ったりしないように、自分にとっての楽しいことをやりつくそうと思います。
世界中の人々を幸せになんてできない。
身近な人達を楽しませるくらいなら、ちょっとはできるかも。
私自身もカネのないオッサン、つまり、かなりの弱者ですので、縮こまりながら、できることをやってみる。

移民の話と言えば、
最近のニュースで、名古屋入管に収容されていたスリランカ国籍の女性が死亡した問題があります。
原因の究明が必要です。
黒塗りの資料公開は遺憾です。
納得できる説明をお願いしたい。

技能実習制度の問題などもありますね。
コロナで外国人就労や留学など、どんな影響が出ているのか知りませんけれど、社会のあり方に興味を持ち続けてはいきたいです。

以上です。

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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