生きるのが難しい。
シンプルに考えると簡単、難しく考えるととても難しい。

ただ生きればいいという考え方。これならば、1日3000円くらいの収入で生きることも可能だ(まぁ、生活スキルによるなぁ)。

しかしながら、この情報化社会がシンプルさを許してくれない。
欲望が刺激されるし、幸せそうな人がもてはやされるし、自分には何かが足りないのではないかと思い込まされる。

情報化なんて関係なくても、誰にも評価されずに生きるって本当に難しい。思春期の青年から、独身の中年、立場を得たジジイまで評価されたくってしょうがない。
もちろん、私もです。
それを、誰かの役に立ちたいとか、誰かに喜ばれたいとか、キレイな言葉に言い換えて生きているのです。

こうして、生きるのは難しくなる。

楽しかったらいい、と思っていた時期もある。
だけど意外なことに、楽しむことにも選択ややる気が必要だと40代になると実感してくる。
なんかね、体力がいるんですよ、知りませんでした。

いや、老いの話をしたいわけじゃないんですよ。
そういう状況になってくると、何を選ぶべきかって話がしたいのです。

回り回って、仕事は良いなって思ってるんです。
早期に資産を獲得してリアイアするFIREって言葉を聞くようになりましたが、それこそ生きる金はあるけど、ただ生きる生活。これって難しいんですよ。
誰かから必要とされたい。誰かから金を払ってでもあなたに頼みたい、という仕事を持っていたいと思うようになりました。
年齢が高まってくると、遊び力が減ってきますし、新しいSNSについていけなくなるし、楽しむ作法が分からなくなる、今更そんなノリで遊べねぇという気持ちにもなる。
だから人と繋がる力が減っていき、なんとなく人生がしぼんでくる。
そんな時、頼りになるのは仕事だと思えるようになりました。

例えば定食屋の大将とかだと、ごはん目当てに人が集まってきてくれるじゃないですか。かたや退職後の会社員はどうやって人を集めるかって難しい。スキルがないなら金を払って人の集まりに出向くしかなくなる。
だから、アッパーな層にとって頼りになるのは仕事なんですよ。
それを、40代になってうすうす感じつつある。

ここから仕事論を語りたいのですが、
報酬が良いとか、ニーズがあるとか、昔からの夢とか、仕事選びには色々あると思うのですが、結局はタスクを愛せる仕事じゃないと続かんなぁと思います。
好きを仕事に! とか、やりたいことをやろう! とかって言いますけれど、実現性に欠けますよね。
寝るのが好きだ、寝たいから寝る。これではなかなか難しい。
ですから、仕事の中心にあるタスクを愛せるかがポイントだと思います。

タスクってのは、
何かを作る、人と接する、人前で喋る、文章を打つ、企画を考える、漁をする、運転する、掃除する、etc.
こういうのの中に、ずっとずっとできることがあるのではないですか?

逆に、夢やゴールを描くという方法。
私で言うと、小説を書いて、賞をとって、インタビューされるみたいな映像を描くことはできるんですが、同時に、ミュージシャンになることも、首相になることも描くだけなら描くことはできる。
しかし、実際の成功者はこういうモチベーションの上げ方をしないと思う。
本当の成功者はただそのタスクを愛してたんじゃないかなぁ。
小説家なら書くことを、政治家なら演説を、ミュージシャンなら奏でることを、羽生結弦はアイススケートを、藤井聡太は将棋を、内村航平は体操を。
無理に成功をイメージするより、愛すべきタスクをやり尽くすのが、みんなが幸せになる道じゃないかなぁ。

と、最近は思っています。

とまぁ、こんな風に適当に文字を連ねていくのが私は好きです。
目の前のものが変化するのが好きです。
変わらないものを扱うのは好きじゃない。後戻りとか大嫌い。
毎日同じものを維持する仕事とか、目の前をダンボールが流れていくだけの仕事とか、同じような書類を作成する仕事とか、向いてないんだろうなぁ。
例えば、目の前の人を笑顔に変える、とかも好きなのですが、どうせなら自分の作ったもので笑顔にしたいなぁと思ったりします。

以上が、2022年の仕事論でございます。
まぁ、理想に叶わぬ仕事ばかり増えるのが現実ですけどねー。

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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