クリエイティブに生きたいと思っておるが、自然と接しているうちに「人間にできることなんて整理整頓くらい」と頭に浮かぶ。

拙者は平均的な現役日本人に比べると、自然に触れ合う機会が豊富であるし、自らそうしようとも思っている。
一日中空調の効いた部屋にいて、ディスプレイに向かって仕事し、料理もスイッチ操作のみというような生活はしたくない。木を燃やして火力を得て、自ら獲得した食材を調理する、体を動かした後に旨い飯を食う生活がしたい。
田舎暮らしや小屋暮らしに憧れつつ、現状はそこそこ住宅地に住んで、家庭菜園を管理し、薪を割ったりしているのみだ。

少しでも理想に近づこうと、草ボーボーの場所を畑にしたところ、とてもキレイになった。整然としてて良い。

小松菜畑

また、生木を切って雑に置いておくよりも、きちんと割って並べたところ、とてもキレイになった。整然としてて良い。

薪棚

これらにより、人間なんて整理整頓くらいしかできないんじゃないか? 自然の方が圧倒的に生産的だ。クリエイティブだなんて馬鹿じゃねえの。生産的だと思っていることは実は余計なことなんじゃないか? などと考えた。

結局のところ人間など、自然が生産してくれるものの恩恵を受けているに過ぎない。食料しかり、エネルギーしかり。

今や多くの現代人が無駄な仕事をしている。
わざわざ社会制度を複雑化させて、それを処理する人を生み出したりしている。
たいして必要のないものを作り、たいして必要のないものを買う。経済が回ればそれで良しなどと言いながら、自然から収奪し続けている。
いらんことせんでええんちゃうか?
整理整頓さえしとけばええんちゃうか?

などと考えながら、畑を拡大するために、土を掘り返したり、それを運んだりする。
土を掘り返すと、野鳥が寄ってくる。
むき出しになった大地には餌になる虫が出てくるのかな?
庭に野鳥と二人きり。
たぶんモズだと思われる。そこそこかわいい。
拙者が土を掘り返しても何も生み出さないけれど、モズの役には立ったようだ。

クリエイティブってなんだろうな。
拙者は作品を生み出したいという意味で使ってる。
でも、モノを生み出す時は何らかの素材の組み合わせだし、小説を生み出すのも言葉や文節やエピソードの組み合わせなんだよなぁ。
それって、基礎にあるのは整理整頓だよな。

自分は自分の思考を整理整頓できているのだろうか?

いっつもぐちゃぐちゃやな。

雑然としたままで、本日のブログを閉じたいと思います。

以上です。

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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