本当は小説家になりたいのだけれど、何も書いていない。
だからせめてこうしてブログを書いている。

社会に爪痕を残したい。
街に落書きを残す不良少年のようなことを思っている不良中年なのですけど、そこそこ真面目なのでブログで落書きをしている。
あわよくば本として残したいよ。
拙者の本を買う読者を目撃したいよ。
古本屋で100円で売られている我が書籍を目撃して、複雑な気持ちを味わいたいよ。表紙をめくると自分のサインが書かれていたりして。

それ以外のことはあまり望んでいない。
恋もしないし、美味しいものも求めないし、海外旅行も行きたくない、人から傅かれたくもない。

でも、健康ではいたいし、庭の畑に野菜を植えて生長を愉しみたいし、鶏も飼いたい。
盆踊りも楽しみたいし、何なら音頭取りにもなりたい。師匠と呼ばれたい。

これらのことは、頑張るべき方向がよく分かるのだが、小説家ばかりはどう頑張れば良いのか一向に分からない。
諦めるべき判断の仕方も分からない。
今、書けてない時点で、すでに負けているのかもしれない。

で、ここからいつものブログであれば、「でも頑張る」というオチに向かって進んでいくのだが、そういうのも飽きたので、全然別の話をしよう。

拙者は資産家ではないので、住まいを借りて生きているが、現在は庭付きの一軒家を借りている。というと聞こえが良いが、いわく付きの古民家でもある。
道に面した駐車スペースでスーパーカブの修理をしていたところ、散歩中のおばさんがこちらをジロジロと伺っている。
どんなきっかけで、会話が成立したんだったかな? 拙者が「こんにちは」とか「どうもー」とか言ったっけ? なぜだか自然に会話が始まった。
「いい土地やねぇ」などと言われて、「借りてるだけですよ」と答えた。
「空き家になってるみたいだから心配してた」と言われて、「誰かが管理しないとねぇ」と答えた。
「人はいなくなるからねぇ」と言われて、なんだかしゅんとした。おばさんが会話の中に無常観をはさんでくる。

とまぁ、別になんでもない会話を交わしただけだが、あえて意義を見出すとしたら、古い家に住んでるだけでも何かしらの地域貢献があるってことだな。おばさんとの会話でそれに気づけた。
もう少しオープンな性格になって、ご近所に挨拶と笑顔を振りまきたいけどな、そんな人間は小説家など目指さないのだ。
作家は薄暗い部屋で頭を掻きむしりながら、ウムウム独りごちて、世の中への憎しみと羨望を秘めながら文字を走らせるものだ。
しかし、実際の拙者は、おばさんに雑草のせいで庭の管理が大変なことや、木を登って枝を剪定した苦労話を聞いてもらって、地に足のついた感覚を得たんだよな。
「落ちたらアカンで」と言われた。
これは空が茜に色付きそうな夕方の話で、スーパーカブの修理も一通り終わった後の話。家に戻る足取りが軽くなっていた。

もう小説家を諦めて、ご近所さんに愛される人を目指します。

いやいや、両方目指せよ!

以上。

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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