本当に大切なものを見つめ直せる部屋みたいなのあれば、拙者の人生も少しはマシになるかなぁ。
当たり前の日常や、少しの自尊心や、楽しいお喋りを維持してくれる数々。その扱いを時折ミスって、壊してしまうよな。
それは自分の体であったり、人間関係であったり、スーパーカブや斧やキャッシュカードである。

失っても別になんともないものもあるし、失ってみて心えぐられるほど痛いものもある。
普段はそれらの価値が意識に上らず、失ってからダメージを受けるのだけど、それでは遅いので、大切なものを見つめ直せる部屋に毎日入って、大切なものを大切にしたい。

でもそれはたいへんに難しい。
拙者は妄想を暴走させるタイプなので、見果てぬ夢を描いては、あれもこれもとやりたがり、優先順位のつかぬまま、ごちゃごちゃバタバタ動きたがる。
気づけば、辺り一面散らかって、脳内も散らかって、大切なものが見つからぬ、お金を下ろそうにもキャッシュカードが見つからぬ。
ああ、金がない、金がない。

むしろ大切なものから目をそらすための雑然さである可能性も高い。

ごちゃごちゃした心だが、それでも庭に出てきた蕗の薹に気づいて、あぁ春が近いな、と思う。
風流な心。
それが一番大切。
などとは言わぬ。

君に嫌われたくない一心で、気をつけて気をつけて消極的になり、どうにも振るわぬ恋もある。
絶望したくない一心で、自分の無能さを明らかにしたくなくて、手掛けられぬ夢もある。
本当に大切だからこそ、手を伸ばせぬこともあるんだよなぁ。
壊したくないばかりに、触れられない。
他人ならば当たって砕けろと言えるんだけどな。

とにかく後戻りはできぬので、大切なものは手元にあるうちは大切にしよう。
失くなってしまったら、もうそれは過去。気持ちを切り替えて今を大切にしよう。

まぁ、だいたい自然林ってのは様々な植物でごちゃごちゃしてるもんだから、拙者の心も思考も自然林という解釈でいこう。
案外、本当に大切なものを見つめ直せる場所は自然林であるかもしれんし、あの小屋はちょうどいいかもしれん。

春は近いし、そろそろナゾノトチに帰ろうかな。

以上。

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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