あらゆる服がランニングウェアだったらいいのになぁ。
要するに、冠婚葬祭も、同窓会的なパーティーも、仕事もデートもランニングウェアでOKにしていただきたい。
というのも、4/15は推しのフルーティストが出演なさるレセプションパーティーなるものがあり、何を着て行ったら良いのか困惑しているのだ。

拙者のような不躾な男はランニングウェアで厳かなパーティーに闖入することもできるが、敬愛してやまないフルート将軍の顔にドロを塗るわけにはいかぬ。TPOをわきまえて拝謁せねばならぬ。
だが、今回のドレスコードが分からず、うぬぬと頭をひねる。

まぁ、スーツで行くことに決めたけどね。それが一番安全だからな。
周りがややカジュアルめでも「仕事だったんですよ」みたいな顔ができるから。
ウエストが大丈夫かどうかが新たな心配のタネ。

社会って複雑だよなぁ。
行く場所によって服を変えねばならないなんて。
社会ってどんどん複雑になるよなぁ。
たとえば、昔の家電製品などは修理できるシンプルさだったのに、今のスマホなんて何がどうなって動いているのか全然わからん。
カメラでQRコードを読み取れることは知っているけれど、その認識される仕組みなどは知らない。

色々なことを分かるためにはめちゃめちゃ勉強しなければならない。
勉強には時間が必要で、そのため多くの人が運動不足になる。そしてイライラしている人が増えるし、クヨクヨしている人も増える。
そこで、ランニングウェアである。
みんな、走れ!

とまぁ、どんどん複雑さを増す社会を嘆いている。
だが、縄文時代には縄文時代の、平安時代には平安時代の複雑さがあったのかもしれんよね。
たとえば、縄文時代に死者を弔う時は、自分の顔を炭で真っ黒にしなければならない、というようなルールがあったのかもしれん。そして拙者のように、なんでそんなことせなあかんねん、と思ったご先祖様もいたことだろう。
あるいは、平安時代などは階層化しており、呪いなどの概念もあり、かなり複雑だったに違いない。方違えとかせなあかんかったみたいやし。和歌を詠まなあかんかったし。

あれこれ書いたが、ランニングウェアに統一されたらされたで、なんでランニングウェアじゃないとアカンねん、と文句を言うのが常である。

社会よりも複雑なのは拙者の心だな。
複雑怪奇な我が心をフルートの音色で忘我の境地に入らせていただこう。
楽しみである。

以上。

今読んでいる本

金閣寺 三島由紀夫

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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