オジサンになってしまうと友達ができにくい。
飲み友達程度ならできるかもしれんが、若かりし頃の友達とは質が違う。
小さな冒険をくぐり抜けたすえの友情はもう得られない。
あるいは、大人もスタンド・バイ・ミーをせねばならんよね。
拙者は孤独を愛しておるので友達を切望しているわけじゃないのだが、友情が育まれるコミュニティとそうでもないコミュニティがあったとするなら、友情があった方が良いよね。
例えばみんなで走ってからの飲み会と普通の飲み会を比べるとどうだろう?
アクティビティを共にした後は、ちょっとした仲間意識が育っていて、すごく喋りやすい。
かたや普通の飲み会はアルコールで口の滑りを良くしてコミュニケーションしているような感じ。
両方楽しいのだが、選択できるなら連帯感が強い方がいいな。人は群れで生きる生き物だからな。
更にいうと一緒に死地を乗り越えたような仲間と飲みたいな。
現代日本において死地なんてほとんど無いけど、例えば嵐山耐熱リレーマラソンというイベントがあって、8月の京都をリレーで42.195km走るのだから、そこそこ死ねそう。
先週それに参加した。
参加費払って、朝から電車に乗って、わざわざ死地に向かう。馬鹿げてる。
我らのチームは10人で、1周1kmなので2人が5周走り、8人が4周走った。
容赦のない日差し、舞う砂埃、空は青く雲は白い、青春の舞台にはうってつけ。
無事に完走できたし、順位も中くらい。
他のチームも楽しそうだったし、速い人も遅い人もみんな頑張って、まさにみんなが主役という感じの大会だった。
筋肉痛と日焼けのダメージを負いながら、楽しかったと振り返れる。
こういうのが大人のスタンド・バイ・ミーだな。

スタンド・バイ・ミーについての説明は必要ないよね?
ドラえもんの方じゃなくて当然アメリカ映画のスティーブン・キング原作の方。
少年達のひと夏の冒険の話。
冒険の規模とか話す内容にすごくリアリティがあって、何かが心に残る。
仲間と耐熱マラソンを完走した後に残るものと同じ何かだろうか?
一方で悪い方の例を出すと、5月にとあるキャンプ会に参加したのだが、雨予報だからといって多くの参加者が飲み会だけで帰ってしまったんだよな。
キャンプするにしては街に近くて、徒歩で駅に向かえるような場所だったことも大きい。
拙者にとってはキャンプすると決めたら雨でもキャンプするのがキャンプなので、テントを濡らして一夜を明かしたのだけど、そこには同じレベルの仲間は居なくて、ハズレだったなという感想。
まぁ、拙者は自転車旅行で日本中野宿しまくったガチ勢なので、ズレるのはしょうがない。
仲間にはなれないなぁと、キャンプはある程度過酷な場所でやらねばなぁと学んだ。
要するにスタンド・バイ・ミーじゃなかった。
少年は自分でどこまでできるか分かってないから過酷なことに挑戦ができ、その過程で友情が育まれるんだろうな。
大人は自分のできることが分かっている。できないことは金で解決する。あるいは自分が関与しないことを選ぶ。
大人は死体を探しになんか行かない。そして友情から遠ざかる。
改めて言うけど、拙者も大人だから友達が欲しいわけではない。
だけど、友情があった方が楽しくて、豊かってことは明白やんね。
だから、
So darlin’ darlin’ stand by me.
そばにいてね。
過酷な登山でも、
炎天下のランニングでも、
吹雪く日の狩猟でも、
徹夜の盆踊りでも、
そう、そばに、そばにいてね。
拙者はこれからも頑張ってスタンド・バイ・ミーするぞー!
以上。

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