カテゴリー: これからの生き方

  • 小説家になれなくても、storytellingは使えるかも

    小説家になれなくても、storytellingは使えるかも

    私は小説を頑張って書いていたけれど、なかなか難しい。
    みんなも知っての通り狭き門だ。
    もう、挫折しそうだ。
    しかし、がんばった分だけ成長した。ストーリーテリングの能力は応用が効く。

    あなたの欲しいものは何ですか?

    と、尋ねられたのならば、その一つはこうだ。

    「自分で書いた本が欲しい」

    この本は実用書ではなく物語であり、自分で印刷したり自費出版ではなく、出版社から発行されて、書店に並ぶもののこと。
    そんな願望を抱いており、まだ消えてはいない。

    だけどこれは難しいですね。
    難しい理由は3つ。

    1.活字離れ
    多くの人が文字を読まなくなった。
    動画・漫画・ゲームに活字は追いやられている。
    書籍の市場規模は20年で半分になったそうです。
    斜陽産業に今さら参入するのか? と疑問が湧く。

    2.それでも書きたい人は多い
    よっぽど文章が苦手な人でなければ、小説を書こうと思えば書ける、と思っている人は多い、私と同じように。
    映画監督、音楽家、漫画家などの芸術ジャンルにおいて、小説家の参加ハードルは低い。PC1台で参入できますからね。
    しかも、年齢制限もないし、競合の多いレッドオーシャンです。

    3.グローバルに対応できない
    小説を書くとなると、日本語で書くわけですが、それをそのまま海外展開はできません。例えば音楽はそのままでも展開できるし、漫画もセリフだけ翻訳すれば良い。だが小説は言語が変わった時点で、自分の手元から離れてしまう。
    これから日本人が減っていくのに、日本でしか通じない芸術は残っていけるのだろうか?

    以上の3つにより、能力の有無に関わらず、厳しい環境なわけです。

    とは言え、この間1年4ヶ月ほどずっと頑張って、書いたり勉強したりを繰り返していました。
    すると、自分の上手さ・魅力が発揮されるパターンがあると分かったし、小説の書き方についての理解は深まった。

    で、この物語を生み出す能力、物語る能力、ストーリーテリングは小説を書く以外でも使えるなぁ、と分かってきた。
    モノを売るとき、広告を打つ時、政治家が立候補する時、好きな人に自己アピールをする時、踊る時などなど、物語がある方が劇的に伝わるんだろうなって実感。

    実際に以前からそういう手法はあって、
    ディズニーランドのアトラクションはショーストーリーがあるし、
    インベーダーゲームでも侵略者を撃退するストーリーだし、
    商品を売るストーリーはコンセプトと呼ばれていたりするし、
    さっき見た報道番組のバラエティ枠でもストーリーの技法だった。
    あと、YOASOBIは小説を歌にしてヒットしているし、ヨルシカも小説を題材にしているところがある。

    おそらく、現代社会って、ストーリーが切望されているのではないか?
    ただの情報にはみんなうんざりしていると思うのですよ。
    ただの綺麗な写真にも、ただの美女にも飽きてきたのではないでしょうか? ストーリーのある写真、ストーリーを持つ美女じゃないと、勝てなくなっているのでは?

    とまぁ、こんな感じで、小説を書く能力は別の場所でも使えるはずだと思っているところ。
    だから、大丈夫だぞ、俺よ。
    筋トレするように、物語を考えて書いておけば、きっとスキルは上がっている。会話も面白くなるはずだし、商品の売り方も上手くなるはずだし、Webサイト構築にも使えるかも。
    たぶんね。

    と、
    ぜんぜん小説家になれなかった時の予防線を張る弱気な私でした。
    悲しみに耐える準備です。
    えへへ。

    もうすぐ春ですね。
    書を捨て町へ出よう、と思いますー。

  • 結局、タスクを愛せる仕事という結論

    結局、タスクを愛せる仕事という結論

    生きるのが難しい。
    シンプルに考えると簡単、難しく考えるととても難しい。

    ただ生きればいいという考え方。これならば、1日3000円くらいの収入で生きることも可能だ(まぁ、生活スキルによるなぁ)。

    しかしながら、この情報化社会がシンプルさを許してくれない。
    欲望が刺激されるし、幸せそうな人がもてはやされるし、自分には何かが足りないのではないかと思い込まされる。

    情報化なんて関係なくても、誰にも評価されずに生きるって本当に難しい。思春期の青年から、独身の中年、立場を得たジジイまで評価されたくってしょうがない。
    もちろん、私もです。
    それを、誰かの役に立ちたいとか、誰かに喜ばれたいとか、キレイな言葉に言い換えて生きているのです。

    こうして、生きるのは難しくなる。

    楽しかったらいい、と思っていた時期もある。
    だけど意外なことに、楽しむことにも選択ややる気が必要だと40代になると実感してくる。
    なんかね、体力がいるんですよ、知りませんでした。

    いや、老いの話をしたいわけじゃないんですよ。
    そういう状況になってくると、何を選ぶべきかって話がしたいのです。

    回り回って、仕事は良いなって思ってるんです。
    早期に資産を獲得してリアイアするFIREって言葉を聞くようになりましたが、それこそ生きる金はあるけど、ただ生きる生活。これって難しいんですよ。
    誰かから必要とされたい。誰かから金を払ってでもあなたに頼みたい、という仕事を持っていたいと思うようになりました。
    年齢が高まってくると、遊び力が減ってきますし、新しいSNSについていけなくなるし、楽しむ作法が分からなくなる、今更そんなノリで遊べねぇという気持ちにもなる。
    だから人と繋がる力が減っていき、なんとなく人生がしぼんでくる。
    そんな時、頼りになるのは仕事だと思えるようになりました。

    例えば定食屋の大将とかだと、ごはん目当てに人が集まってきてくれるじゃないですか。かたや退職後の会社員はどうやって人を集めるかって難しい。スキルがないなら金を払って人の集まりに出向くしかなくなる。
    だから、アッパーな層にとって頼りになるのは仕事なんですよ。
    それを、40代になってうすうす感じつつある。

    ここから仕事論を語りたいのですが、
    報酬が良いとか、ニーズがあるとか、昔からの夢とか、仕事選びには色々あると思うのですが、結局はタスクを愛せる仕事じゃないと続かんなぁと思います。
    好きを仕事に! とか、やりたいことをやろう! とかって言いますけれど、実現性に欠けますよね。
    寝るのが好きだ、寝たいから寝る。これではなかなか難しい。
    ですから、仕事の中心にあるタスクを愛せるかがポイントだと思います。

    タスクってのは、
    何かを作る、人と接する、人前で喋る、文章を打つ、企画を考える、漁をする、運転する、掃除する、etc.
    こういうのの中に、ずっとずっとできることがあるのではないですか?

    逆に、夢やゴールを描くという方法。
    私で言うと、小説を書いて、賞をとって、インタビューされるみたいな映像を描くことはできるんですが、同時に、ミュージシャンになることも、首相になることも描くだけなら描くことはできる。
    しかし、実際の成功者はこういうモチベーションの上げ方をしないと思う。
    本当の成功者はただそのタスクを愛してたんじゃないかなぁ。
    小説家なら書くことを、政治家なら演説を、ミュージシャンなら奏でることを、羽生結弦はアイススケートを、藤井聡太は将棋を、内村航平は体操を。
    無理に成功をイメージするより、愛すべきタスクをやり尽くすのが、みんなが幸せになる道じゃないかなぁ。

    と、最近は思っています。

    とまぁ、こんな風に適当に文字を連ねていくのが私は好きです。
    目の前のものが変化するのが好きです。
    変わらないものを扱うのは好きじゃない。後戻りとか大嫌い。
    毎日同じものを維持する仕事とか、目の前をダンボールが流れていくだけの仕事とか、同じような書類を作成する仕事とか、向いてないんだろうなぁ。
    例えば、目の前の人を笑顔に変える、とかも好きなのですが、どうせなら自分の作ったもので笑顔にしたいなぁと思ったりします。

    以上が、2022年の仕事論でございます。
    まぁ、理想に叶わぬ仕事ばかり増えるのが現実ですけどねー。

  • 創業塾を受講したけれど、挫折した

    創業塾を受講したけれど、挫折した

    私は長らく経営者になりたいと思っていた。
    実家が商売していたので当然だと思っていたし、利益を生み出す人こそ社会の中で最も重要な存在だと考えていた。
    政治家、芸能人、公務員、教育者などよりも、経営者に対する憧れが強かった。
    これは高校生から最近に至るまで思っていたことだ。

    この度、とある創業塾を受講した。
    2022年1月8日(土)から、全5回。
    10:00~17:00で30時間。
    1日だけオンラインなものの、4日はリアル開催とのことで募集をされていた。

    受講のきっかけは? というと。
    私が小屋暮らしをする前のことなので、およそ3年前に、店舗を借りようとした。コロナ前であったし、当時は人狼ゲーム会などもやっていたし、おむすび屋をしながらボードゲームなどで集まれる事業を模索した。
    だが、狙ってた物件は借りれず、そのまま頓挫。
    小屋暮らしを先にやってやろうと決意することになった。

    この時の想いがまだ残っていて、何かやり残している気がするし、この時に相談した人から講座を案内をされるし、京都検定2級に受かったし、ってことで、創業塾の受講を決意。
    11000円。1日2200円。高くない。

    1日目の講座は、とてもテンションが上がりました。
    京都のとある場所に30人ほどが集まり、みんな何かをしようと夢を持ち、初めて出会う人と喋り、自分は何をしようかと考えた。
    創業計画書を何枚も書いてみよう、と思った。

    しかし、事態は急変する。
    オミクロン急拡大。
    残りの4回すべて、オンラインでの開催に変更されました。

    真面目に受けたんです。
    ディスプレイに映るよく知らない人たちを見て、さほど尊敬の念を抱かない講師の話を聞きました。5時間もの間、PCに囚われているようだった。
    これは2回が限界でした。異常なストレスが溜まりました。
    私にとっては、オンラインになった時点で脳が動画コンテンツとして認識してしまうようで、リアルタイムでPCの前に座らされていることに違和感しか感じない。
    「つまんねえぞ」「早送りさせろ」
    と、思ってしまうのが現実です。
    もっと良質な動画コンテンツは山のようにある。
    なぜ、ゆったり喋るこんな奴らに付き合わねばならんのか?

    この後は、受講の証明書がもらえる5時間に絞って、我慢して受けましたけれど、最も学んだことと言えば、
    「オンラインセミナー(ウェビナー)は二度と受けない」
    という点でした。

    オンラインセミナーに嫌悪感を抱くのは、何らかの発達障害や、HSP的な資質のせいかもしれない。
    この場合は、時代に取り残されるかもしれないし、他にもそういう人がいるかもしれない。いずれ症状名が付くんじゃないかと推察する。

    あるいは、そういうストレスを乗り越えてまで創業しようという気持ちがないのかもしれない。
    ただ勉強が嫌なのを、オンラインのせいにしているのかもしれない。

    このあたりの自分の心理は分からんし、今のところは分析する必要を感じない。

    創業塾を受けた結果
    ・オンラインセミナーは二度と受けない
    ・創業塾はつまらない
    ・経営もつまらないのではないか?
    ・経営者への憧れは消えているのではないか?

    こう思うことになりました。

    数字で評価される世界なんですよね、経営って。
    仮に悪いことをしても、人を傷つけても、地球環境を悪化させても、利益さえ出せば崇められるし、利益がでないと失格なのです。

    ……いや、別にこれはあえて文句を言ってるだけで、本当の違和感の正体ではないかも。

    とにかく、経営者のマインドになりたくない自分がいるようです。

    心の中に、芸術家が住んでいるのかもしれない。
    そいつが言う。
    「生産性で俺の人生を測るな!」
    「利益を上げたかどうかで、人の価値が決まるかよ!」
    「マーケティングする時間があるなら、もっといいものを作り出せ!」

    なるほど、芸術家よ、一理ある。
    私はこう返したい。
    「寝とけよ芸術家! 結果出してから言え!」

    私は長らく経営者になりたいと思っていた。
    今はただ、獣になりたいと思っている。
    (笑)

  • SNS連動型人生。私の場合はブログ連動型

    SNS連動型人生。私の場合はブログ連動型

    以前から知っていたのですが、ブログが行動力の源泉になっていた。
    何か書きたいから、面白いと思える行動をする。
    面白かったから、書きたいという経験もあるけれど、ブログを書いてなければやらなかったことがいっぱいある。

    私に限らず、SNSをやっている方はそういう傾向なのではないですか?
    ・写真を投稿→いいねが付く→また写真を撮りに行く
    私の場合は
    ・ブログを投稿→いいねが付く→ブログを書けるような経験をしに行く
    こういった傾向があるから、おしゃれなCafeに行ったり、旅行に行ったり、手料理を作ったりする。映えるという言葉が流通するわけですよね。

    こんな風に、多くのSNSユーザーと私は似ています。

    ですから、ブログを書かなくなると、急に行動理由を失ってしまう。
    「別に、変なことしなくていいか」
    「わざわざ行かなくてもいいか」
    こんな風に思いますね。
    いまね、二条城に無料で入れる権利があるのですが、ちょっとめんどくさいんですよね。
    こう消極的になっている今こそ、ブログを書かねばならぬ。

    いいね、で承認欲求を満たす。それもある。
    また、スタンプラリー的な感じ、経験コレクション的な感じでもある。
    とにかく、ブログに残すこと、SNSに投稿することには快があって、そのサイクルを回すのは、結構良いことだなぁと思います。

    SNSを見てると、誰でも撮れそうな写真、ぜんぜん楽しそうじゃない写真、マズそうな料理、そんなものも上がってくるわけですが、そんなもん自己満足でええんですよね。
    行動する事自体がご褒美で、写真はオマケみたいなもんだ。
    でも、そのオマケが行動動機になるなら、大事だ。
    ということを、意識に入れておいた方が良いかもしれんね。

    毎日のように散歩に出かけて、それを写真に撮ってSNSに上げる、その結果、健康になる。めっちゃいいですよね。

    だから、逆に続けたいことがあるならば、先に投稿する習慣を作っちゃうのが大事かもしれんね。
    例えばダイエットをしたいとして、
    「今日は5km歩いたー! 今日の体重は65kgです」
    とか書くと、運動習慣が続くかも。

    そういや、京都検定2級の過去問チャレンジの結果を投稿して、そして合格したし、成功事例はありますよ。

    音楽の練習やダンスなどは、写真にも文章にもならないですけど、今なら動画撮影はスマホでできますので、そういうレコーディングをして、UPし続けるのは、自分にとって良いかもしれません。評価は気にせず。
    自己満足で良いのです、他人に満たしてもらうより自己満足のほうがよっぽど良い。

    そんなわけで、うまく動機を作って、この現代社会を生きていこうかと思うところです。

    よーし、何か面白いことしーよおっと!

  • 2022年抱負「創作への狂気」

    2022年抱負「創作への狂気」

    あけましておめでとうございます。
    本年もどうぞよろしくお願いいたします。

    1年の抱負は今日しか書けませんので、今年もいっときます。

    理想通り

    私はぜんぜん幸せじゃないんですけれど、自分の描いた理想を実現する力はまぁまぁある。
    生活に近い領域で働いて、健康を重視して、創作活動にも時間を費やす。ほぼ理想通りの生活環境が得られている。

    働いているのは飲食関係。おむすびを祈るように作るのがメインの仕事。労働時間は短めで、普通の人の半分くらい。
    目の前にはいつも米があり、食えなくなるという恐怖心は全く無い。
    家賃が払えなくなっても生きていけるのは小屋暮らしで実証済みなので、それも大丈夫。
    とにかく、生きてはいける。

    健康は重視していて、いつでもハーフマラソン(約21km)を走れる体力は維持したくて、願わくば1kmあたり5分以内で駆け抜けたい。
    残念ながら、トライアスロンに出たいと言ってた去年よりは格段に体力が落ちた。寅年だけにトライアスロン、と上手いこと言いたいけれど、うーむ。
    よく寝るようにはしていますが、たまにストレスにやられる時はある。
    甘いものは控えていますが、アルコールは控えられなくて、ここが私の弱点ですね。

    創作活動と言いましたが、表現活動、芸術活動などのことです。
    金を稼いで消費するだけの人生には満足できない。
    音楽、絵画、踊りなどなど、魂がスパークするような活動を人間はやるべきであるし、これからの社会ではそれがないと「は? 誰やねん」という評価になる。
    私の書いた文章が原作となった映画が今年公開されるのです。
    才能があるのか? 実力があるのか? と宝探しをし、自分と戦っているところ。
    ですから今の私が選んでいる表現フィールドは小説です。
    たまに、踊りもやっています。

    以上の通り、仕事、健康、表現のバランスの取れた生活スタイルは自分の理想的な状態になっている。

    次の理想へ

    理想は叶っている。
    それでも欲しいものは自分の小説が本になること、それが今は一番欲しい。

    小説の世界というのは、他の芸術活動と同じくコンテストがある世界です。とても分かりやすい。
    何らかの賞を目標にやるべき世界のようだ。

    最近ではWeb小説に投稿し続けるうちに人気になる道、もありますので、賞だけではないのですけれど、賞レースがあるならそれを目指した方が良い。M-1グランプリの王者とかは、一躍有名になりますからね。
    ですので、書いて応募する、というのが私には求められているし、戦おうと思っている。

    狂気

    創作活動には狂気が必要だと思います。
    生きるために不可欠ではなく、合理的でも論理的でもないことをするわけですからね。
    そこに必要なものは狂気です。

    芸術活動には狂気が必要だと思います。
    そこは神の領域だからです。
    人であることを捨ててこそ、たどり着ける場所がある。
    そこに必要なものは狂気です。

    そして、創作活動は孤独なのです。
    むしろ孤独が必要なのです。
    漠然とした寂しさを抱えながら、人に頼らず作品に向き合う。
    そこに必要なものは狂気です。

    この通り、クレイジーじゃないと生み出せないものがある。
    その点において私は、実に有利な性格である。

    交流への理想は?

    これまでは対面交流を私のフィールドにしてましたし、理想を追求してきました。
    人が集まってワイワイする、楽しくって最高。
    と思っていましたけれど、そういう歳ではなくなったかも。

    などと、考えてしまうくらいに、人を集めて何かをしたいと思えていない。
    くじら料理の会、撮った写真を見せ合うような会、駅伝大会、そんな企画を思い描いていた自分はどこにいったのか?

    一時的なのか、これからずっとそうなのかは分からない。
    この点においてはどんな1年を過ごすのだろうか?

    よろしくお願いします

    こんな風に、一時的な関心の高まりだけで、周りの人を期待させたりがっかりさせたりしながら進むと思います。
    これまでもそうだったし、これからもそうだ。

    小屋暮らしをして、意図せず植物を観察していたのですが、奴らは「おかれた場所に咲きなさい」という信念で生きてはおらず、色んな所に種をばら撒く、光の当たる方へ枝も葉も伸ばす。そんな戦略だと私の目には見えた。
    だから、私の考えも似てる、色んなことをやってみる。評価されたことを育ててみる。
    日の目を見ずに枯れることもあるだろうけれど、すでに枯れつつあるから大丈夫。

    2022年の私もチャレンジャーであるし、夢も描けている。
    少し老いてきてはいるけれど、狂気を武器にがんばります。
    何か協働すること、一緒に遊ぶことがあれば、よろしくお願いいたします。

    皆様の消費活動はぜんぜん応援しないけれど、表現活動は全力で応援したいと思っていますので、何か良い作品をリリースしたら教えて下さいね。

    虎は死して皮を残し 人は死して名を残す。

    では、皆様にとって理想に沿った1年になりますことを祈念しております。
    パンッパン👏

  • 無駄なことを書こうっと

    無駄なことを書こうっと

    こんにちは。

    私はブログを書くのです。無駄なことを書こうと思う。読む価値のないことを。

    なぜこんなことをするかと言うと、とにかく文章を書くトレーニングが必要だ。思うがままに吐き出して、なにか意味のあることを生み出せるような書き方がしたい。

    じっくり考えてから書くのではなくて、適当に文字を並べていって、最終的に何かが生まれるような能力が欲しい。

    現在小説を書いているのだが、、、非常に頑張っているのだが、、、止まってしまうのだ。なぜ止まってしまうか?それは考えるからだ。だから考えずに書いたら止まらない。

    立ち止まらない、ひたすら進む。

    ちなみに登山でこういう方針で進んだらどうなるか?

    間違いなく迷子になるだろう。

    まぁまぁ、迷子も経験のうちってことで、登山と違って、文章で迷子になっても死ぬことはないからね。

    とにかくこれは読んでもらう文章ではありません。トレーニングをしているのです。365歩のマーチやったかな?あれは、1日1歩、3日3歩、3歩進んで2歩下がるやつ。まぁ、そんな感じ。

    小説がもう混迷を極めています。なんと、6万8千字も書いたのです。毎日毎日、ちびちび2000字づつ書いて。

    しかし、今日ネットで調べたら、書ける人は1時間で2000字くらい書くらしい。私は2時間か3時間くらいでやっと2000字。

    これでは、勝てない気がしてきた、もうダメだ。だからとにかくひたすら文字を打つトレーニングをします。

    いやしかし、まいったな、こんな風に書くと「アルジャーノンに花束を」の序盤みたいな文章になってしまうではないか。バカっぽくなるなぁ。でも、これが素の私だからなぁ。

    素の私といえば、先程「鶏そぼろ」を作ったんですけど、味付けを適当にやったので、なんとも後味の悪い物ができた。料理においても混迷を極めています。最初から緻密に動けばよかった。

    書けば書くほど自分の才能の無さを発見してしまうという、そんな切ない世界に私はいます。

    自分の生み出した文章を子どものように可愛がれるようになりたい。だが、つまんなくて不格好な子どもだから、可愛がれない。

    いやまて、可愛がれ。可愛がれ。あなたを好きな私、いっそいっそ、可愛がれ。要するに、生まれたての子どもを慈しむように、自分の文章に向き合わないといけないよな。洗練された1年生なんて可愛くないからな。

    だめな自分を見つめて、その自分でどう戦うかを考えればいいんだ。

    闇討ちだ、飛び道具だ、暗器、そういうのを駆使しよう。

    以上、1000文字いきました。何分使ったは不明です。明日は計算します。

  • 小説を書く上で分かってきたことリスト

    小説を書く上で分かってきたことリスト

    • とにかく1日2000字書け。
    • それでも8万字書くには40日かかる。
    • 書ける時間帯と書けない時間帯がある。朝から書くのが最も筆が乗るのを感じる。夜寝る前は筆が遅いし効率が悪い、さらに熟睡できなくなる。
    • 書き続けること・考え続けることはとてもしんどいので、1日の稼働時間は限られている。
    • 小説は作業的な部分がぜんぜん無くて、究極の創作活動だと思う。単純入力やコピペみたいなのがない。考えては書き、書いては考えるの繰り返し。
    • 逆に長時間続けられること、例えばゲームとか、漫画を読むとかは、実に作業的だなぁと思う。
    • 自分の勝ちパターンみたいなのがきっとある。こういう描写のときにめっちゃ楽しくなるってのがあって、ストーリーをそこに持っていくべきだと思う。
    • とりあえず思いついたままに書き進めて、後で一生懸命辻褄を合わせるのが自分流だと思う。
    • いや、それはツラい。
    • 自分が想像した通りの話だと書いている途中で飽きてくるから、それをええいと無茶な展開に持っていくべき。その方が面白い。
    • 学んでから書こうとするのはダメだ。書きながら学ばなければならない。
    • 書くためには習慣が必要だ。書かなければ気持ち悪いと思うくらいに自分を持っていくべき。排便のように書け。うむ、たとえが下品だ。
    • 今の実力では8万字書き上げても、新人賞とか無理だと思う。だから実力を上げるために書かねばならない。
    • 絶対書く、とにかく書く。ダメでもいいからエンディングまで書く。
    • たぶん今は「10km走るのなんてしんどい。」って言ってる段階だと思う。フルマラソン走りきった自分からすれば10kmなんてなんてことない。
    • フルマラソンを走りきっても、自分で小屋を作り上げても、劇的に人生が変わるわけではない。ただし誇りは身につく。長編小説を書き上げたあとの自分は誇らしいに違いない。それだけのために動ける人種だ、私は。
    • 明日も時間を決めて2000字書こう。

    今日のところは以上。