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  • あきふゆ

    書くことによってキチンと終わりを迎えられる。組織においては決算だとか、総括だとか、そういうのが個人にも必要な気がするね。

    そして何かを始める時も書いておいた方が良いかもね。

    また猟期が始まる

    わな猟免許を取ったのは去年のことだった。ニワトリを襲うイタチが捕れれば十分だったけど、色んなご縁があり狩猟者になった。花背の狩猟グループに学び、その後宇治田原で独り立ちし、数頭の鹿を獲った。
    11月になるとまた猟期が始まる。
    今期は引き続き宇治田原で罠をかけさせてもらい、滋賀県でも罠をかけるべく準備をしている。
    自分で猟場を開拓したいんだよな。
    何ヶ所かの猟場を移動した方が捕獲率は上がるはずという現実的な考えがある。
    善良な猟師たる拙者が鹿を獲る。

    ハンターシェフを名乗ってみる

    鹿の命を奪うだけで、その肉を山に捨てる猟師がほとんどらしい。
    情報によると8割の鹿は山に捨てられているらしい。
    理由はおそらく効率性のようで、鹿を1頭仕留めるだけで2万円ほどの収入になるが、その肉を運んで肉にすると時間も労力もかかるので、次の鹿を狙いに行った方が手っ取り早いらしい。
    拙者は残念に思う。

    また、最近は熊出没のニュースが多い。鹿の肉を山に捨てると熊の食料になってどんどん危険性が増すと思うんだよな。

    命を無駄にしないために、報奨金の制度を変える必要があると思うのだが、まずは拙者のような料理もできる猟師が、鹿を獲って美味しく調理して、そしてみんなに食べてもらい、あるいはレシピなど情報発信をし、ご家庭の食卓に上がる環境を推進したい。

    この夏に調理師免許を取得したので、ハンターシェフを名乗っても差し障りないだろう。
    インスタで活動を始めています。

    また飲み会をするかもしれない

    以前、石黒酒場というのをやっており100回開催して区切りをつけた。
    無差別に人を集める飲み会よりも、興味関心を同じくする人を集めるべき時代なんじゃないかと思った。
    結論をいうと、興味関心が同じ人を集めようとしても微妙にズレてる。読書会しても好きなジャンルは多岐にわたったし、盆踊りでも踊る動機がみんな違う。
    ここ2年くらいは幹事をするほどやりたい企画がなかったので、BBQくらいしかやってなかったが、この度ジビエパーティーをする機運になってきた。
    収穫祭みたいな、キチンと感謝を目的にした会がいいね。

    肉まんを売ってみる

    鹿肉を調理するに際して、最もふさわしい料理はパスタソースにすることだと思う。
    いや、部位によっても違うんやけども、ミートソースと言うべきか、ボロネーゼと言うべきか、とにかくハズレなしだ。

    鹿肉は脂が少なく火を入れると固くなるので、焼肉とかはあまり向かない。柔らかさを重視して生っぽく食べると食中毒リスクが大きい。しっかり火を入れつつ食べやすい状態にするには挽肉にするのが良い。

    そこから考えて、最近はお米が高いので肉まんにしてやろうと調理してみたら、美味しいのができた。むしろ豚まんより美味しいのができた。

    夏のイベントで売ってみたら、そこそこ売れた。
    この可能性を広げるべく、イベント出店とか、キッチンカーとか、露店販売許可とか考えているところ。

    またコントラダンスをやってみる

    さて、ここまでとは文脈が変わるが、以前細々と活動し、コロナで休止に追いやられたコントラダンスをもう一度やってみることにした。

    コントラダンスに出会ったのはかれこれ15年前くらいで、細々とやってたのがもう5年も前になるかと思う。
    コントラダンスなんて日本人は知らないが、アメリカ北東部のフォークダンスで、アメリカ移民式の盆踊りみたいなものだ。

    拙者がダンスを好きになるきっかけであり原点なのでいつでもやりたいのだが、いかんせん人が集まらないと成立しない。
    原点に戻りたくても戻れない。どれだけ盆踊りを踊っても満足しきれないのはコントラダンスへの秘めたる想いがあるからだ。コントラダンスはもっとおもろいんやけどなぁ。

    再開したとて初心者向けにやらざる負えないので、本当の楽しさは味わえないのだと思うけれど、何も行動を起こさないよりはマシというか、好きなら行動を起こしてしまうんもんなんだよな。

    いつか時流が来るといいな。

    今年はハーフマラソンだけ

    私はランニングの愛好者で前シーズンなどは3回フルマラソンに出走した。
    もちろん完走はできるのだが、狙ってるサブフォーには届かない。腰痛や座骨神経痛を発症し、練習でも本番でも思うようにいかなかった。
    頑張ったんやけどなぁ。

    今シーズンはフルマラソンはやめてハーフマラソンだけにする。
    かねてよりソールの薄いシューズで走っているのだが、そのシューズでレースに出たことはない。10km以上走るとめちゃめちゃ足が痛くなるからだ。
    それを克服して21kmは完走してやろうと思うんだよな。

    そしてまた次のシーズンでフルマラソンを目指してみたい。

    家庭養鶏のこと

    自宅の庭でニワトリを飼っている。3年目くらいになるだろうか。

    何羽飼ってるかと聞かれると、すぐに変動するので明確ではないが、15羽くらいだと思う。

    変動する理由は絞めて食べているからである。

    卵から孵して、ヒヨコを育て、オスは鳴くようになり、メスは卵を産むようになる。こういう一連の経過を何度か繰り返し、分かることも増えたが、分からないこともある。

    ニワトリが突然死んだり、小動物かに襲われたりあるいは体調が悪そうだったり、庭から逃げ出して警察のお世話になったり、色々あって、ちょっと自信をなくしているところ。

    養鶏業を営むのは難しいかなぁ。

    でも、産んでくれた卵でプリンを作って売ったりしてる。

    これは今までの仕事の中て最も有意義だと思っている。ぜんぜん効率悪すぎて商売にはなり難いけどね。

  • 盆踊りにハズレなし

    盆踊りにハズレなし

    暑くて暑くて死にそうな夏が終わって、ようやく生きた心地になってきたね。
    拙者にとって夏は盆踊りシーズンなので暑い中でもそれなりに頑張った。
    拙者は5月のGW過ぎからずっと体調が悪く、具体的にはずっと微熱が続いていて、色々と消極的だったけれど、盆踊りには10ヶ所以上参加した。
    今日はそれをまとめておきたい。

    体調不良の中でも参加したってことは、自然と厳選された盆踊り巡りになって、どれも満足度が高かった。
    行くべき盆踊り基準は、楽しすぎる盆踊り会、頼まれた盆踊り会、新しい盆踊り会のどれかに該当する。

    楽しすぎる盆踊り会

    拙者は盆踊る時、スマートウォッチで消費カロリーを計測している。
    楽しければ楽しいほど消費カロリーが高くなるであろう。
    2025年の消費カロリートップ3を発表しよう。

    1位 郡上おどりin京都 6月7日  1808kcal

    徹夜踊りで有名な岐阜県のぐじょうおどり。10種類のトラディッショナルな踊りがあって飽きないしめっちゃ楽しい。下駄の音が心地いい。これが京都市役所前広場で行われる。
    15時から18時半まであり、3時間半踊れるので消費カロリーは高くなる。
    春駒、盛り上がったな~。

    2位 高島おどり 7月20日 1658kcal

    滋賀県高島市各地の踊りを集めた盆踊り会。7種類の盆踊りがあり、どれも個性的でやや玄人むき。
    実行委員会に勢いがあって、毎年発展を感じられるところが好き。
    こちらは3時間でお囃子の転換も多いので、頑張って踊ったけど1位には届かなかった。

    3位 佛光寺盆踊り 8月30日 1582kcal

    京都の繁華街に近い佛光寺で行われる都市型の盆踊り会。野外なのだが閉ざされた空間の雰囲気があり異様に盛り上がる。
    京都でよく知る盆踊らーはみんなここに集まっていて、みんなも好きみたいだ。
    拙者はどんな曲が出てくるのか?ガチャ感があって楽しみにしている。
    ジャンボリーミッキーが3回くらい流れてめっちゃしんどかった。
    休憩含む3時間。

    4位以下は消費カロリーが誤差の範囲。結局のところ楽しさより継続時間によるね。

    ・人が多くて盛り上がった江州音頭フェスティバル(8/22)

    ・ロケーションが好きな佐久奈度神社御手洗祭(7/31)、お土産もらえるのでまた行かねば。

    ・志賀國天寿一門会の音頭が上手いので白熱できる萱野神社(8/23)

    ・多文化を感じさせる参加者たちがオモロイ鴨川デルタフェスティバル(9/14)

    ・キッズ盆踊りが革新的だった門真まつり(8/9)、その後自分のラインナップにAPT.を取り入れた。

    ・音頭はシンプルだが踊り子に熱気がある松尾大社八朔祭(9/8)

    頼まれた盆踊り会

    数年前から六地蔵のイズミヤショッピングセンターで盆踊りの選曲やレクチャーを頼まれている。
    基本的にはキッズ向けのラインナップだが、大人でもしっかり踊ると楽しい。
    今年はシンガーの荻野まどかさんとの連携を深くし、奈良県の広陵にまで行った。
    また、ベンちゃんに阿波おどりコーナーをやってもらったりした。
    数人だけど顔なじみが増えてきた感じ。

    演者なので、カロリー計測に失敗することも多いし、だいたい写真も撮れない。

    イズミヤSC六地蔵 夏のわいわいフェスタ(8/31)

    イズミヤSC広陵de秋祭り(9/14)

    友人から盆踊りの見本役を頼まれたりもする。

    山科元気まるしぇ(9/28)

    新しい盆踊り会

    新しく催される盆踊り会は情報収集として参加しておきたい。
    楽しいかどうかはおいといて勉強になる。

    ・阿波おどり練習会 (7/26) 練習したら大手筋でのパレードにも参加できる。

    ・ハンナリーズ盆踊り(8/29) チアダンサーが踊りの見本だった。笑顔が良かった。 

    ・ATVK星降るアートな盆踊り(8/11) 初回&雨天だったが、踊り子組織がちゃんとあった。

    ・嵯峨嵐山夏祭り(9/6) 威勢のいい人がいたので来年も続くと思う。

    盆踊りの修羅として

    拙者は消費カロリーのことしか考えない盆踊りの修羅である。
    お気に入りだった伏見稲荷・錦林・高雄の盆踊りが悉くなくなってしまって、いうなれば王将を取られた歩兵みたいなものだ。ゲームセットである。
    以前は盆踊りがもっと盛り上がればいいのになぁ、楽しい会が増えればいいのになぁ、踊る人が集まればいいのになぁ、などと考えておったが、増えるどころか守ることすらできなかった敗者。今は単騎として踊るのみである。

    それでも今年の盆踊りは楽しかった。
    「ひそかに師匠と思ってます」と言われたり、天元さまにビール奢ってもらったり、拙者が一度盆踊りを教えた人がとある盆踊りを仕切っていたり、「六地蔵も広陵も行きました」という人がいたり、デルタフェスでは1年ぶりに会う人が多くて同窓会みたいな気分が味わえたり、人が喜びをはこんでくれるんだよな。
    だから、単騎でもないし、修羅でもない。

    拙者はすでにピークを過ぎた盆踊らーとして、飽きもせず同じイベントに出席し続けて、何らかの温かみを感じれたらいいのかもしれんね。

    というわけで、2025年は前述の盆踊りと宇治田原と京都駅前DJ KOOを足して、18ヶ所盆踊り巡りってことかな。

    まだ盆踊りはありますが、一旦はこれにてまとめます。
    皆さまありがとうございました。
    来年の盆踊りシーズンもよろしくお願いいたします。

    以上

  • 大人のスタンド・バイ・ミー

    大人のスタンド・バイ・ミー

    オジサンになってしまうと友達ができにくい。
    飲み友達程度ならできるかもしれんが、若かりし頃の友達とは質が違う。
    小さな冒険をくぐり抜けたすえの友情はもう得られない。
    あるいは、大人もスタンド・バイ・ミーをせねばならんよね。

    拙者は孤独を愛しておるので友達を切望しているわけじゃないのだが、友情が育まれるコミュニティとそうでもないコミュニティがあったとするなら、友情があった方が良いよね。
    例えばみんなで走ってからの飲み会と普通の飲み会を比べるとどうだろう?
    アクティビティを共にした後は、ちょっとした仲間意識が育っていて、すごく喋りやすい。
    かたや普通の飲み会はアルコールで口の滑りを良くしてコミュニケーションしているような感じ。
    両方楽しいのだが、選択できるなら連帯感が強い方がいいな。人は群れで生きる生き物だからな。

    更にいうと一緒に死地を乗り越えたような仲間と飲みたいな。
    現代日本において死地なんてほとんど無いけど、例えば嵐山耐熱リレーマラソンというイベントがあって、8月の京都をリレーで42.195km走るのだから、そこそこ死ねそう。
    先週それに参加した。
    参加費払って、朝から電車に乗って、わざわざ死地に向かう。馬鹿げてる。
    我らのチームは10人で、1周1kmなので2人が5周走り、8人が4周走った。
    容赦のない日差し、舞う砂埃、空は青く雲は白い、青春の舞台にはうってつけ。
    無事に完走できたし、順位も中くらい。
    他のチームも楽しそうだったし、速い人も遅い人もみんな頑張って、まさにみんなが主役という感じの大会だった。
    筋肉痛と日焼けのダメージを負いながら、楽しかったと振り返れる。
    こういうのが大人のスタンド・バイ・ミーだな。

    スタンド・バイ・ミーについての説明は必要ないよね?
    ドラえもんの方じゃなくて当然アメリカ映画のスティーブン・キング原作の方。
    少年達のひと夏の冒険の話。
    冒険の規模とか話す内容にすごくリアリティがあって、何かが心に残る。
    仲間と耐熱マラソンを完走した後に残るものと同じ何かだろうか?

    一方で悪い方の例を出すと、5月にとあるキャンプ会に参加したのだが、雨予報だからといって多くの参加者が飲み会だけで帰ってしまったんだよな。
    キャンプするにしては街に近くて、徒歩で駅に向かえるような場所だったことも大きい。
    拙者にとってはキャンプすると決めたら雨でもキャンプするのがキャンプなので、テントを濡らして一夜を明かしたのだけど、そこには同じレベルの仲間は居なくて、ハズレだったなという感想。
    まぁ、拙者は自転車旅行で日本中野宿しまくったガチ勢なので、ズレるのはしょうがない。
    仲間にはなれないなぁと、キャンプはある程度過酷な場所でやらねばなぁと学んだ。
    要するにスタンド・バイ・ミーじゃなかった。

    少年は自分でどこまでできるか分かってないから過酷なことに挑戦ができ、その過程で友情が育まれるんだろうな。
    大人は自分のできることが分かっている。できないことは金で解決する。あるいは自分が関与しないことを選ぶ。
    大人は死体を探しになんか行かない。そして友情から遠ざかる。

    改めて言うけど、拙者も大人だから友達が欲しいわけではない。
    だけど、友情があった方が楽しくて、豊かってことは明白やんね。

    だから、
    So darlin’ darlin’ stand by me.
    そばにいてね。
    過酷な登山でも、
    炎天下のランニングでも、
    吹雪く日の狩猟でも、
    徹夜の盆踊りでも、
    そう、そばに、そばにいてね。

    拙者はこれからも頑張ってスタンド・バイ・ミーするぞー!

    以上。

  • 友人ミランダはどこに消えたのか?

    友人ミランダはどこに消えたのか?

    ミランダが、あのミランダがいなくなってしまった。
    びょうびょうと泣くほどではないにしろ、なんとなく寂しい。
    数年前はしょっちゅう遭遇したのに。
    ミランダはどこに消えたのか?

    小さな小さな一人遊びって、馬鹿にされがちだ。
    大勢で遊ぶことはいつも称賛されるが、密やかな楽しみは貶される。
    しかし、この情報過多の時代にあって、何者でもない拙者が書くべきなのは、誰にもAIにも書けないこういう小さなことじゃなかろうか。
    あまりに小さなことに1500字くらい使おうと思う。

    さて、本題に入る。
    ミランダとは架空とも実在してるとも言い切れぬ拙者の友達である。
    かのアン・シャーリーがケティ・モーリスやヴィオレッタを友としていたのと似ている。
    アン・シャーリーは孤独の中にあって妄想上の友達とお喋りしていたのだが、拙者も孤独を愛し、孤独からも愛されているようで、相思相愛すぎて、もう病気になりそうだ。

    何年前か忘れたけど、2年か3年前くらいであって欲しいと思っているのだが、若い女性が髪の毛を奇抜な色に染めていたことがあった。
    例えば、ピンク、紫、白いくらいの金髪、あとはライトグリーンとか。
    拙者は断然ツヤツヤの黒髪派なので、それらの髪色は受け入れ難く、街で見かける度に、なんちゅー色やねん! と心のなかで非難していた。
    ロッカーなのか? と。
    普通でいいやんか、もう! と嘆いていた。

    だが、ある考えが浮かんだ。
    突然髪色を奇抜に染め上げるといえば、ミランダだよな。
    その日から、街で見かける奇抜な髪色の女性をミランダと呼ぶことにした。
    もちろん、心の中だけで。

    そうすると、奇抜な髪色への苦手意識が消え、むしろホッとした気持ちになる。
    ミランダ、ミランダ、呼び続けていると、本当に友達に会ったような気分になって、あっミランダいたやーん、と思いがけない遭遇を喜ぶようになった。
    地元の大手筋にも、鴨川沿いにも、河原町にもそこかしこにミランダがいたのだ。
    京都は狭い町なので、どこに行っても知り合いに会うことで有名だが、当時は全国的にミランダだらけだったんだろうな。

    ちなみにミランダという呼び名は、アメリカの児童小説「ワンダー」の登場人物に由来している。
    奇妙な顔に生まれた少年と家族と友達の物語。

    こんな風に、拙者はミランダにまつわる一人遊びを密かに密かに実行して、ついぞ実際に「ミランダ」と声をかけそうになりつつも、それを制してきた。

    だけれど、いつの間にかミランダはいなくなってしまった。
    奇抜な髪色の女性をもはや見かけない。
    流行が終わってしまったんだなぁ。
    無常感あるなぁ。

    などと言っておるが、町でミランダを見かけなくなると同時に、ミランダの存在感も拙者の中で消えていったんだよな。
    こちらもこちらで薄情である。

    先日、出町柳に何かをしに行った際、ああ、あれは調理師試験の帰りだったかな、久しぶりに奇抜な髪色の女性を目撃した。
    後ろ姿だけだった。
    スタイルがすごく良かった。
    外国人ぽかったので、彼女こそ本物のミランダだったのかもしれない。
    京都一魑魅魍魎が巣食う出町デルタに行けば、またミランダに会えるかもしれないな。
    その時こそ、「ミランダ」と声をかけてみよう。
    いよいよ、一人遊びを脱する時だ。

    というわけで、ハッピーエンドだね

    以上。

  • 調理師になってどうなるというのか

    調理師になってどうなるというのか

    明日、調理師試験を受ける。
    難易度は高くないのでたぶん合格する。(合格率:60%~70%)
    だから呑気に構えている。
    そして、調理師になってどうなるというのか? という気持ちもある。

    調理師というのは国家資格であり、飲食店などの店を持ちたい人は必要な資格。
    と思っている人は多いだろう。
    しかし実際のところ、店を持つときには食品衛生責任者という1日の座学を受ければOKな資格があるので、調理師免許はさほど必要がない。
    更にいうと、拙者は食品衛生責任者の講座を受け、持っているし、調理師の必要性は皆無と言っても過言ではない。
    別にいらんねん、という話である。

    じゃあ、なぜ受けるのか?
    というと、中2レベルの理由がある。

    そもそもとして、拙者は年に1つは試験を受けよう、と目標に掲げている。
    これは、電気工事の試験を受けた時、あまりに緊張が走り、こんなはずじゃない! と思ったからである。
    ワナワナしながら受けた試験だったが無事に受かり、その後京都検定2級、わな猟免許を取得した。
    ちなみに年に1つは……と言いながら、ちょっと間が空いているが、試験慣れ、勉強慣れしておくのは良いことだ。

    昨年のわな猟免許では大きく人生が変わった。
    庭に出没するイタチを捕まえられたら良かったのだが、ご縁があって鹿を捕まえられるようになった。
    え? 人生ってこんな風に動くの? と驚いている。

    鹿を捕まえるようになって、その肉を料理するようになって、
    おや、これは調理師免許があったらちょっとオモロイな。と妄想した。
    ドラクエⅥ的な考えだ。(1995年発売。ハッサンが出てくるやつ)
    ドラクエⅥには転職システムがあって、戦士とか盗賊とか魔法使いとか使える技が変わるのだが、上級職の概念が登場したのだ。
    戦士と武闘家でバトルマスター、魔法使いと僧侶で賢者などである。
    そんなファンタジーRPGの世界観を引きずっている我々は、現実世界でもそういう面白いことが起こるんじゃないかと期待する。
    わな猟師と調理師で、何になるのか?
    特級厨師かもしれないな。

    特級厨師は無理かもしれないが、ジビエ調理師という上級職ならばどうか、
    勝手に転職したことにしよう。

    調理師の勉強をして初めて知ったが、調理師という名称は調理師免許を持っている人しか名乗れないし、他に給食調理師など〇〇調理師というのも名乗ってはいけないことになっている。30万円以下の罰金!
    料理人なら問題ないので、名乗るほどのものではない気はするけどね。

    まぁ、そんなわけで、明日調理の試験を受ける。
    実技はない。4択問題が60問。

    では、それなりに頑張ります!
    クドア・セプテンプンクタータ!

  • そして命が軽くなる

    そして命が軽くなる

    昨年から動物を殺めまくっている。
    ちゃんと食べているので、シメルやトメルという言葉を使うべきだが、過程としては同じだ。
    ニワトリ、シカ、タヌキ、イタチ、ハクビシンなどの命を絶った、我が手で。
    さして特別さを感じずに命を奪えるようになり、そして自分の命も軽くなっていく。

    肉を食べる人ならば誰しもが間接的に動物を殺めている。
    誰かが仕事としてそれを代行したのだ。
    拙者は人に頼らず自ら行う自立的な人間というだけの話で、残忍でも、無惨でも、サイコパスでもない。
    責任を果たしているだけだ。
    むしろ前よりもモノの道理が分かったんじゃないかと思う。

    すべては庭でニワトリを飼うところから始まった。
    ヒヨコがイタチに襲われるので、守りたいがためにワナ猟免許を取った。
    その結果、山にはシカを獲りに行き、庭のニワトリは育ち、それらは拙者の食糧となる。

    シカは増えすぎている。
    農作物は収穫量が減り、山の植物は絶滅の危機に瀕し、土地が荒れて土砂崩れの可能性が高まる。毒のある外来植物ばかりが増えたりする。
    政治的には有害鳥獣駆除に報酬を出す対策をしている、シカはだいたい2万円くらい。
    だがこの制度は正しいのか? と疑問に思う。
    多くの猟師は報奨金をもらって、殺めたシカは山にポイ。
    仕留めた場所が悪いのか、肉を持ち運ぶ体力がないのかは知らないが、聞くところによると8割のシカはただ殺されただけになる。
    拙者は憤りを感じる。
    殺めた以上は食えよ! と思う。
    だから拙者のような料理もできる猟師が山に入り、できるだけシカを獲って、無駄なく料理をするべきなのだ。
    拙者は猟期中、山にワナを仕掛け、かかったシカにトドメを刺し、その場で解体し、肉を持ち帰った。
    シカの悲しそうな鳴き声や、光を失っていく瞳を覚たままで。

    卵から孵したヒヨコの半数は130日ほど経つと、夜明けの頃にコケコッコーと鳴き始める。
    拙者が眠り眼でふらつきながら庭に出て、雄鶏をなだめても脅しても、朝鳴きをやめようとしない。
    こうして殺める日がやってくる。
    最初の1羽をシメた時は1日中罪悪感に囚われたが、その肉の旨さを体感してからは、食糧獲得の順当な手段だと思うようになった。
    5度目6度目と経験し、自分なりのコツを掴み、首をはねた後でも体が動くことへの気味悪さにも慣れてきた。
    ラストダンス。脳の支配を解かれた体の躍動に、尊さと悲しさを感じながら羽をむしる準備を進めている。

    弱肉強食だと思えば、オレはツヨイ、だから食う! と、自分の強さに惚れ惚れできるかもしれない。
    多くの猟師はそういう雄々しさを持っているのかな、と思う。
    しかし拙者は我が命も彼の命も同じだと思うし、これが日本人の考え方の主流だと思うんだよな。
    いつかは同じく死ぬのだよ。
    いやむしろ、我が肉体は感謝をもって食べてくれる人がいなくて、死して皮も名も残せない。
    軽い命だ。
    命を奪うことに慣れた、そして、いつか命を奪われることへの許容度が増した。
    因果応報ってやつやんね。

    そんな軽い命で書く文章に重みなどなく、価値などない。
    だから僕は文章をやめた。
    もう何も遺さない。
    誰にも知られず、顧みられず、注目を浴びず、フォロワーも増えず、馬鹿なままで、鳥頭で、ただ生きることにする。

    拙者はいつかラストダンスを踊るのだろうか、
    脳が死してもなお、3時間くらい踊り続けられるように、体を鍛えておくよ。
    誰か音楽を奏でてくれたまえ!

    以上

  • 野生の肉で生きていく

    野生の肉で生きていく

    我が人生で最も肉を食べている。
    食えども食えども肉がある。
    なぜなら狩猟者になったからだ。
    自分で獲得した肉は、ちょっと固くて、味わいがあって、美味しくて、おぞましい。
    命をいただく毎日。

    本当は守るためにわな猟免許とったのだ。
    庭のニワトリをイタチから守るために正しく罠を設置したかったのだ。
    しかし、ひょんなことから花背に赴き、師匠に出会い、狩猟を教えてもらえる事になった。
    罠猟は銃猟ほど攻撃的でないにしろ、積極的に獲物を取るために罠を仕掛ける。餌でおびき寄せ、掛かるのを待つ。
    掛かった獲物をどうやって仕留めるのか?
    なかなか、むごたらしい。

    猟師というのは、近くて遠い存在だ。
    赤ずきんちゃんを筆頭として昔話に出てくるので、幼い頃から馴染みがある。
    だが実際の猟師に出会うことはあまりないだろう。
    そもそも最近では職業として成立させるのが難しい。
    狩猟を始めたと言ったら、周りの人から熱心に話を聞かれるようになった。
    みんな知ってはいるけど、具体的にはよく分からなくて、小さな憧れがあるのかもしれない。
    山に出かけて肉を取ってくる存在に。

    猟師といえば、銃猟のことをイメージすると思う。
    ♪せんばやまにはタヌキがおってさ、それを猟師が鉄砲で撃ってさ……
    だが拙者は罠猟なので猟師っぽくはない。
    どっちかというと工作員。
    スコップだのワイヤーだのバネだのを持って、さらには米ぬかを持ってえっちらおっちら山を移動する。
    罠猟は毎日罠を見回るのがルールなので、あまり山深いところまでは行かない。毎日探索できる範囲に留めておく。
    やはり、猟師っぽくはない。

    拙者の師匠は20年の経験を持つ人で、11月15日の猟期が始まって以降、同行させもらって、色々な経験をさせてもらった。
    罠猟は7段階ある。
    罠を作る。罠を設置・仕掛ける。餌を撒いて罠に誘引する。罠を見回る。罠に掛かったら仕留める。獲物を解体する。料理する。
    人によっては好き・得意なパートと、嫌い・めんどくさいパートがあることだろう。重労働なところも多い。
    拙者は料理するのが一番好きだ。
    それ以外のパートでは、掛からないで欲しいな、かわいそうだなと思っている。
    やはり、命を奪う行為はむごたらしい。

    とはいえ、自分が食べる肉はどんな風に自分の食卓にやってきたのか知っているだろうか?
    その鶏はどうやって育った? その豚はどんな餌を食べた? その牛はどうやって屠殺された?
    家畜もどこかでむごたらしいことが行われていて、そういうことは大っぴらにされていない。
    きれいに隠匿され、みんな無邪気に肉を食う。
    なんなら、部位の名前が書かれた木札と一緒に盛られた肉の画像を投稿する。

    狩猟を始める前は、拙者も無邪気に鹿が捕れたとか猪が捕れたとか、ブログに書くつもりでいたのだが、自慢げに語る行為ではないなと、今は思っている。

    けれど、野生の肉はどんどん食べた方が良い。
    狩猟をする前は、鹿とか猪とかわざわざ獲ってまで食べる必要はないよな、と思っていたのだが、今では家畜の肉を食べるよりマシだと思う。
    家畜はおおむね外国産飼料で育っているし、限られたスペースで飼われるし、抗生物質やワクチンの懸念もある。
    もっとも家畜の現状や屠殺の現場を拙者はよく知らない。
    よく知らないものを食べるのはセンスが悪い。
    一方で、野生の鹿は増えすぎているし、植物を食べすぎて山が荒れる。
    自分が手を下した生物ならば、どこで生きていたか明白で、自然のものを食べただろうから安全だ。オーガニック。
    これからは野生の肉と自分で育てたニワトリとその卵を食べて生きていきたいものだ。

    今はまだ、肉の各部位と最適な調理法が分かっていないので研究中だけど、美味しいのができたら、みんなにも食べてもらおうと思う。
    ジビエパーティーしよう。
    掛かった獲物をどうやって仕留めるかも、その時にお伝えしよう。

    以上。