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  • 不穏な音に起こされる

    不穏な音に起こされる

    今日はスムーズに言葉が出てこないので、睡眠不足かもしれない。

    昨夜は中途覚醒してしまい、やべぇ、不眠症か、と心配になった。
    けれども、起きてしまったのは不穏な物音が聞こえてくるからだ。
    拙者は古い民家に住んでいるので、何らかの侵入者を疑う。
    なにかの落ちる音、ドスン。
    ちょうど、テーブルの上から食料の入ったトートバックが落ちるような音。
    すやすや眠っていたのに、そんな音に起こされた。

    ああ起きてしまった、不眠症かな、と思っていると、不穏な音は定期的に聞こえてくる。
    これは何の音かと考えてみると、答えにたどり着いた。

    拙者は幼少のころ地獄耳と言われた事がある。
    ひそひそ喋ってる声や、遠くの日常会話が聞こえて、それに回答すると驚かれていた。
    しかし今では聴覚過敏と称するのではないか?
    人がつけるテレビの音がうるさかったり、踊るためのクラブとかは頭が痛くなり実はストレスを抱える、それを酒で紛らわす。
    ロックバンドとかより、アイリッシュの生演奏を好むのはこれの影響かな。
    静かな場所を好むので、誰かと一緒に住むのは向いてないかも。
    でも、おばけの声が聞こえるわけじゃないので、セーフ。

    ガヤガヤした場所では、人より疲れてしまうので、気をつけねばならんな。
    いやそれって、自分が一番ガヤガヤしてるからちゃうか?
    さもありなん。

    話を戻します。
    京都には珍しく雪が積もった日。
    不穏な音の正体は、瓦屋根から金属屋根に落ちる雪の音だった。
    ドサドサ、ドサドサ聞こえてきた。
    寝る段になっても迷惑な雪だな、と思ったが、いつもと違う珍しいことだから、許してやろう。

    ゆるやかに春に向かって下さい。お願いします。

    以上です。

  • 二人で閉じ込められるなら雪も良いのだが

    二人で閉じ込められるなら雪も良いのだが

    10年に1度の最強寒波がやってきて、京都にも雪が降った。
    風が強いなぁと思って、17時頃に家の外に出ると雪景色だった。
    この時間にこの雪は交通が危ないなぁと思っていたら、長らく近くの道が渋滞し、エンジンを吹かす音がブォンブォン、タイヤが地面を滑る音がキュルキュルと、賑やかだった。

    皆さん、事故なく帰れましたかね?
    明日は大丈夫かな?

    拙者はいつもとは違う状況に少し興奮気味ですが、この興奮の捌け口は特になくて、ブログに向き合っている。
    今までなら興奮を治めるために赤ワインを飲んでいたところだが、戒律で禁じているので口が寂しい。
    雪の降る日に一人きりで、寂しい。

    人生で1度ぐらいは、女性と一緒に雪山に閉じ込められて、焚き火を燃やして一夜を明かしたいし、それって裸で抱き合ったりするのだろうか。あるいは寝たら死ぬぞ、みたいになって、思い出話を一晩中語るのだろうか。
    しかし、拙者は雪山などには行かないし、今日も出歩かず、早めに風呂に入って、ぬくぬくと夕飯を食べた。
    きっと雪山に閉じ込められることは一生涯ないし、つまらぬ人生だと言える。

    過去を振り返っても、体育倉庫に女子と二人きりとか、ロッカーに二人で隠れるとか、クローゼットとか、記憶になくて、1度や2度は経験したかったものだ。
    マンガばかり読んでいたからダメなんだろうな。

    ホントさぁ、青春時代に、世間的にはちょっと悪いことをしでかして、夜空の下を女の子と一緒に逃げた思い出とか、欲しいよねぇ。ドキドキしたかったなぁ。
    普段は降らぬ雪のせいで、人生への後悔に苛まれてきた。

    こういった後悔への対処法は、チャレンジしかなくて、望む未来を描いておれば、後悔してる暇はなくなる。
    夢を諦めても良いので、さっさと次の夢を見ればいい。
    加齢によってできないことは増えていくけれど、それでも最後まで何かをやりたい気持ちは持てるはずだ。

    今の拙者は「京都ゆるふわスポーツ大会」を実施しようと思っとるんじゃが、上手くいくかなぁ、プレイヤーは集まるかなぁ、みんな楽しんでくれるかなぁ。
    雪山に閉じ込めれれるより、こっちのほうがやりたい。

    以上。

  • ドラマティックじゃないライフ

    ドラマティックじゃないライフ

    「良いニュースと悪いニュースがある。どっちを先に聞きたい?」
    というセリフが、洋画であったりする。
    ハリウッド映画に多い記憶なのだが、これはアメリカの日常会話に出てくるような言い回しなのか? あるいは映画だけの常套句なのか?
    そんなことを気にして生きてこなかったのだが、今だけちょっと気になる。
    なぜなら、拙者にも嬉しいことと悲しいことがあるからだ。

    映画の場合は、後に言う方をより重大なニュースに仕立てるためにやっているはずだ、例えば解雇のシーンとかで、悪いニュースは会社が大損害を被った、良いニュースは君は解雇だから気にしなくていい、みたいな感じ。
    主人公は、どっちも悪いニュースやないか! という表情を浮かべて、悲しい音楽が流れて、悲嘆に暮れて、恋人から連絡が来たかと思うと別れ話をされる。
    だいたいそんなイメージ。

    しかし、拙者のライフは映画じゃないので、嬉しいことと悲しいことが独立してるし、別にドラマティックでもない。
    ここまで引っ張ってゴメンとさえ思うくらいだが、一応聞いてみよう。

    嬉しいことと悲しいこと、どっちを聞きたい?

    拙者はそこそこ、Webプログラミングができるので、ボタンを押せばポップアップで答えが出てくるようなギミックを仕掛けることもできるが、さほど優秀じゃないし、日常的にやってないし、たぶん1時間くらいかかりそうなのでやめておく。

    そのかわり、ちょっとテンションを上げて言います。

    嬉しいことー!
    それは、我が愛車のスーパカブ110(JA10)のエンジンの異音が解消したこと。
    上手く修理できたようで、乗車して仕事に行けた。
    車体が軽くて取り回しがし易いし、軽さの割には速いし、やっぱり大好きだと改めて感じた。
    もっと愛そうと思う。

    悲しいことー!
    それは、腰が痛いということ。
    今日は調理の仕事をしたのだが、意外にも腰にくる。立って包丁を握るというのは、腰回りの筋肉を使っているようだ。いや、同じ姿勢を小さな筋力で保つのが中殿筋にはキツイみたい。
    仕事をしながらイテテと100回くらい言ったし、こういう日に限って味がバシッと決まらず、余計な仕事を増やすことになる。
    時間がギリギリになって焦った。腰が痛いのに。

    という、全然ドラマティックじゃない拙者のライフ。

    まぁでも、だいたいの人はドラマティックじゃないライフを、ドラマ見たり、金使ったり、異性にメッセージ送ったり、ギャンブルしたりして、変化させようと頑張ってる。
    頑張れみんな、頑張れ!

    拙者も変化させるべく、何らかの新企画を立てて、楽しませながら楽しみたいぞ。
    新しい行動を起こしていくぞー。
    そうして、嬉しいことと悲しいことにぶつかって、スパイシーなライフ。

    こういう変化を望めるってことは、今の拙者は元気な時期だな。
    4月まではこのノリでいきたい。

    以上。

  • The value of health

    The value of health

    こんな調子だと「健康のありがたみを感じる」と毎日書かねばならない。それではつまらぬ。

    昨日木に登り、枝を剪定したら、腰を痛めた。
    その痛みを抱えながら酒を飲み、陽気になったが、寝る段になって痛みが牙を向いてきた。横になったが体勢によっては激しい痛みが突き抜ける。患部に力が入るとビーン!痛みが走り、寝返りが打てず、じっとしているものの、ウトウトすると体を動かしてしまい、ビーン!痛みで眠気が覚める。そんな夜。
    中臀筋の1か所だけで、こんなに動けなくなるものかと驚いた。

    翌朝になっても痛みが健在で、もうずっと寝てようかと思ったが、何かを食べたくなり、起きる決意を固めるが、どうやって起きれば痛みが出ないかを考えなければならないくらい、どう転んでも痛かった。
    爺さんはこんな感じなのだろうか。
    不便でワイルドな自然派生活は、いつまで続けられるのであろうかと悲しい朝だった。
    去年は足首の靭帯損傷し、年末も調子が悪かったし、今年に入ってこの腰だ。
    「健康のありがたみを感じる」って、そういう話ばかりをする年齢になってきたかも。

    だがしかし、この症状で、ランニングに出かけるという無謀さは持っている。
    昼には痛みがマシになったのもあって、積極的に動かした方が良い系の疾患だと判断した。
    痛みを抱えながら走って、特に下り坂の衝撃でジンジン痛む。速くも走れず、健やかな走りではない。でも進む。
    昼過ぎの伏見稲荷は大賑わいで、お祭りみたいだった。屋台のフードをほおばる人たちが沢山いた。
    腰が痛くなければ、もっと遠くまで走って行きたい晴天だったのにな。皆みたいに人生を愉しみたいよ。
    悔しいけれど、走れるだけでも良しとしよう。

    走るといえば、ミニ駅伝の企画を具体的に考えてみた。
    しかし、考えるほどに、何がオモロイのか分からなくなってきた。
    競い合うのが駅伝の根源的な面白みだが、それだとゆるふわにならなくて、ガチ思考になってしまう。
    ミニ駅伝では新奇性がなく、人を呼べん。
    駅伝じゃなくて、ゆるふわスポーツ大会にすれば、魅力が増すかな?
    こいうところで、止まっている。

    ラブレター駅伝、というアイデアが浮かんで、一瞬盛り上がったが、具体的に考えるといい感じに育たなかった。
    残念。

    自分と皆様の健康に寄与する企画をもうちょい考える。
    とにかく、腰の痛みはマシになった。
    ありがたし、健康!

  • おしりの鬼門

    おしりの鬼門

    こしがいたい。
    と書くと恋がしたいと空目しそうになるけれど、腰が痛いのだ。
    いや、腰というか、おしりの右の上あたりの筋肉が痛い。
    例えば、御所に向かってうつ伏せで寝たら、おしりの鬼門の方角に邪気が漂っている。
    これは呪いなのかと疑うが、原因は明瞭で、木登りして枝を剪定していたところ、枝を捌く時に変な姿勢をとってしまい、ギュっとなった。木の上の作業では気を使うべき項目が多すぎて、腰の筋肉など意識から外れる。負傷したら負けだ。今日拙者は負けた。
    不注意ではなく最近では腰を使う機会がないのが原因かもしれない。
    いやいや、これはエロい意味じゃなくて、サルサダンスを踊っていないなどの意味である。
    どちらにせよ、腰を使う機会はあるべきだと考える。
    柔軟性を保ちたい。
    普段から体を動かしているつもりだが、いつしか同じパターンに陥っているのかもしれない。ランニングを趣味としているが、効率の良い動きを追求して、使わない筋肉が生まれているかもしれない。
    何らかの変化が必要だと、大家さんにも言われた。

    大家さん夫婦と拙者と友人の4人は、庭作業の後、庭で飲んだ。焚き火をしながら飲んだ。みんなアウトドア好きなので気が合う。庭作業も娯楽として、焚き火も娯楽として楽しめる。庭で作物を育てて、それを収穫し、みんなで食べようなどと話して、夢も広がっている。
    だから、自分たちだけで楽しまずに、庭部などを形成しても良いなぁと思っている。
    雑草や蚊と戦わねばならぬけれど、古き良き共同作業が温存されていて、忘れられた幸せがある気がする。

    金を積んだ分だけ良い体験ができると信じている人がいるだろう。
    彼らが信じるものを拙者は否定しないでおこう。
    どうぞ、どうぞ、そのまま信じてくだされ。
    信じるからこそ、幸せになれる。

    拙者は何を信じようかな。
    幸せは仲間が運んでくれる。
    貢献した分だけ、仲間から信頼される、あるいは仲間が増える。
    そして集まって飲む。
    今はそういう世界観。

    拙者は大したことなどできぬ。
    木に登ればおしりの鬼門を痛める若輩者だ。
    酒に酔って靭帯を切ったり、カブのオイルを交換すれば異音を発生させたり、買ったばかりのスマホを落として画面を割ったり、相変わらず金はないし、実現できぬ夢を見て、実現できぬままでもいいかって思ってる。

    そんな拙者と一緒で良ければ、庭部とか、駅伝とか、盆踊りとか、旅トーク会とか、そんなので愉しんで生きていきましょう。

    とにかく今日は腰が痛いので、鬼門封じに膏薬を貼ろう。

    以上。

  • 作家とご近所

    作家とご近所

    本当は小説家になりたいのだけれど、何も書いていない。
    だからせめてこうしてブログを書いている。

    社会に爪痕を残したい。
    街に落書きを残す不良少年のようなことを思っている不良中年なのですけど、そこそこ真面目なのでブログで落書きをしている。
    あわよくば本として残したいよ。
    拙者の本を買う読者を目撃したいよ。
    古本屋で100円で売られている我が書籍を目撃して、複雑な気持ちを味わいたいよ。表紙をめくると自分のサインが書かれていたりして。

    それ以外のことはあまり望んでいない。
    恋もしないし、美味しいものも求めないし、海外旅行も行きたくない、人から傅かれたくもない。

    でも、健康ではいたいし、庭の畑に野菜を植えて生長を愉しみたいし、鶏も飼いたい。
    盆踊りも楽しみたいし、何なら音頭取りにもなりたい。師匠と呼ばれたい。

    これらのことは、頑張るべき方向がよく分かるのだが、小説家ばかりはどう頑張れば良いのか一向に分からない。
    諦めるべき判断の仕方も分からない。
    今、書けてない時点で、すでに負けているのかもしれない。

    で、ここからいつものブログであれば、「でも頑張る」というオチに向かって進んでいくのだが、そういうのも飽きたので、全然別の話をしよう。

    拙者は資産家ではないので、住まいを借りて生きているが、現在は庭付きの一軒家を借りている。というと聞こえが良いが、いわく付きの古民家でもある。
    道に面した駐車スペースでスーパーカブの修理をしていたところ、散歩中のおばさんがこちらをジロジロと伺っている。
    どんなきっかけで、会話が成立したんだったかな? 拙者が「こんにちは」とか「どうもー」とか言ったっけ? なぜだか自然に会話が始まった。
    「いい土地やねぇ」などと言われて、「借りてるだけですよ」と答えた。
    「空き家になってるみたいだから心配してた」と言われて、「誰かが管理しないとねぇ」と答えた。
    「人はいなくなるからねぇ」と言われて、なんだかしゅんとした。おばさんが会話の中に無常観をはさんでくる。

    とまぁ、別になんでもない会話を交わしただけだが、あえて意義を見出すとしたら、古い家に住んでるだけでも何かしらの地域貢献があるってことだな。おばさんとの会話でそれに気づけた。
    もう少しオープンな性格になって、ご近所に挨拶と笑顔を振りまきたいけどな、そんな人間は小説家など目指さないのだ。
    作家は薄暗い部屋で頭を掻きむしりながら、ウムウム独りごちて、世の中への憎しみと羨望を秘めながら文字を走らせるものだ。
    しかし、実際の拙者は、おばさんに雑草のせいで庭の管理が大変なことや、木を登って枝を剪定した苦労話を聞いてもらって、地に足のついた感覚を得たんだよな。
    「落ちたらアカンで」と言われた。
    これは空が茜に色付きそうな夕方の話で、スーパーカブの修理も一通り終わった後の話。家に戻る足取りが軽くなっていた。

    もう小説家を諦めて、ご近所さんに愛される人を目指します。

    いやいや、両方目指せよ!

    以上。

  • ミッドライフ・クライシス

    ミッドライフ・クライシス

    たまにはワラクリを開いて、自分の人生について書いておこうと思います。
    もう本当に、私的な文章です。
    最近の人達は(私も含めて)文章を読まなくなったし、それならば自分のためにだけ書いておけば良いのですよ。
    簡単です。

    いや、むしろ文章を書くだけでメンドクサイヤツと思われる世の中になりつつあるかもしれません。
    ただ脳の整理ツールとしてのブログ、ブレインログ、みたいな使い方が流行るかもしれん。

    では本題に入ります。

    中年の危機を迎えています。
    表現が正しいかどうかは分かりませんが、きっとこれだ。青年、あるいは壮年の終わりがきている。
    「ああ、もう、失ってくばっかりなんだろうなぁ」
    という、諦め、展望のなさ、儚さ、みたいなのが押し寄せています。

    これまでは、経験も増えて、体力もランニング等で鍛えていたので衰えはせず、望めば人間関係も増える、小屋などの自分の作品も増えていく。生きれば生きるほど、プラスプラス、まぁ別れはあるけれど、その経験も含めてプラスだと思えていた。

    しかし、42歳を越えまして、足の靭帯が切れてしまったのも大きいのですけど、これから先は失っていく方が多くなるんだな、という気づきがありました。

    と、まぁ、「いや、そんなことはないぞ、まだ若いじゃないか」と切り返されると思うのですけれど、こういう考えがよぎることこそが「中年の危機」と呼ぶのではないでしょうかね。

    好奇心より面倒くささの方が勝る。
    体力が落ちるし、消化能力・アルコール分解能力が落ちる。
    新しい人間関係が築けなくなってくる。
    新しいテクノロジーが使えなくなる。
    時代の空気感が読めなくなる。
    今まで自分の武器にしていたものが、崩れていくなぁと、
    国に敗れてサンバあり、ピーピッピピー、ピーピッピッピーピー! みたいな気持ちです。
    (いや、山河ありやろ!)

    かたや、花とかを愛するようにはなってきてて、小説を読んでいて、食事も肉類を好まなくなってきた。
    一人称も「わし」と言い出すかもしれない。間違って「たか」と言うかもしれないけど。

    どうせなら理想の中年になりたいところだけれど、そうなるにはいろんな点が欠けている。分かっとる分かっとる、そんな準備はしてこなかったもんな。
    配偶者もおらんし、核となる仕事もなく、これだ!という趣味もない(盆踊り・ダンス・ランニング・登山は靭帯が切れた時点で死んだ)。

    ようやくコロナ禍が収束を迎えつつあるのに、気づけば自分だけが歳をとっていたような、浦島太郎に例えたいけど、竜宮城に行ってねーし、なんの物語も生まれん。

    と、ここまではグチグチ、クサクサと文を運んでしまったので、すこし上向き加減のことを書いていくのですけどね、
    まだ夢は描けている。
    右足の靭帯なんかより、夢を失うほうが人間が腐る。
    憂さ晴らしだけで生きたくはない。

    小説を書いている。
    1年半が経過して、分かってきたことも増えてきた。
    小説家というよりは、ストーリーテラーとして自分を認識して、芸術性の高いものではなくて、クライアントのニーズに答えるような作品を生み出したい。
    文章へのニーズはなくなってきているのですが、物語へのニーズは絶対になくならない。人間ってそういうものだ。

    遊ぶ力が衰えてきて、それでもなお社会に存在したいなら仕事しかないとも思ってもいる。

    脳が思考を止めぬ夜もあるし、ぜんぜん起きれない朝もあるし、どこにも出かけたくない昼もある。
    だけど、文章だけはこんな風に世界の何処かに置いておけるから、便利な世の中になった。

    そろそろ、オチに入らないと。
    だけど特に面白いことは浮かばない。
    これまで頼りにしてきた自分の資質が失われ、展望はないよって話だからな、
    遺書みたいなオチにします。

    サヨ、ナラ、

    この世界が僕らにもたらす焦燥から逃れるように
    夜空に向かって駆け出した。
    (↑これはタナトスの誘惑ってのをパクってるんですけどね)