投稿者: 石黒わらじろう

  • 瞑想は向いていなかった、なぜならば、、、

    瞑想は向いていなかった、なぜならば、、、

    今日は「瞑想しない」について書きます。

    つい先日にせっかくコロナですから、悟りでも開きましょうかねとのブログを書いたのですが、これは間違いでした。私は瞑想に向いていない。

    瞑想しよう、瞑想しよう、瞑想しようと思いながら生きたら、てきめん頭痛がしてきました。どうも血の巡りが悪くなって、脳に血液が流れないっぽい。

    やり方が問題だったのかもしれませんが、瞑想に向いてないと判定しました。

    ちゃんと考えると、昔からじっとしているのは嫌いだったし、今の趣味などを考えても分かる。
    登山、ランニング、ダンスなど、私が楽しいと思うことはいつも体を動かすことであった。だから私は瞑想して幸せになれるはずがない。

    私は仏陀タイプではなかったのだ。
    空也上人タイプであったのだ。
    あの、踊り念仏の空也上人です。

    瞑想なんてする必要はなくて、ただ音楽をかけて踊れば良いのですよ、私の場合は。そうしたらトランス状態に入れますから、色即是空ですよ。

    逆に椅子に座ったりせず、寝る時以外は動き回ってやろうと思っているところです。それが私の生きる道。

    自分の体質や志向にあった方法があると思います。とにかく瞑想はやめました。

    私は動き回るタイプでした。

    だから、小説を書くのも向いていないのだと思う。さっさと書き上げてやめよう。

    いま、このブログはスタンディングで書いています。
    横から見るとキョンシーのようなスタイルかも。お札は貼ってませんけど。

    これは、腰が痛いという要因もありますので、瞑想とは関係ないです。

    瞑想はしません。マインドフルネスダンスをします。

    以上です。

    (25分)

  • 裏伏見稲荷トレッキング&BBQは自分しか楽しめない

    裏伏見稲荷トレッキング&BBQは自分しか楽しめない

    今日は「裏伏見稲荷トレッキング&バーベキュー」について書きます。

    実は5月15日にそういう企画をやったのです。そしていつもどおり飲みすぎて、半分は記憶がないのです。だから記事にすることが叶わなかった。

    しかし、やったのはやったので、記録には残しておきたい。

    どうしたか?

    午前中に東福寺駅で待ち合わせ。稲荷山をトレッキング。コースはおみくじで決めた。そのまま歩いて屋敷に辿り着いて、それからバーベキューという内容でした。

    参加者は5名。男4名、女1名でした。

    実施した感想。この企画は体力のある人しか楽しめないのですよね。稲荷山トレッキングをした時点で、普通の人はバーベキューをする体力が残されていない。みんなグダグダしたがってバーベキューらしい楽しさが発揮されない。

    私にとっては楽しい企画でも、一般人にとっては限界を感じてしまう企画なようだ。
    世間ずれするばかりですね。

    選ばれし者しか参加できない企画だった。

    無理やりにオフロードを歩かせて、

    これが、6kmか7kmは歩いたかな。

    12時前には屋敷についていたので、だいたい2時間くらいトレッキングでした。

    いやはや、難しい。自分が楽しいと思うことを人が楽しいとは限らない。

    もっとネットを積極的に使って楽しさを共感できる人を集めないといけないのかも。

    結局、酒も飲みすぎてしまったし、同じ企画をリリース思わないのだった。

    しかしまぁ、トレッキングが好きな人や体力にあふれている人が集まるのなら、もっとハードなコースでやってみたいですね。

    その際はよろしくおねがいします。

    以上

    (27分)

  • 町おこし小説「ロズウェルなんか知らない」

    町おこし小説「ロズウェルなんか知らない」

    今日は「ロズウェルなんか知らない」という小説について書きます。

    この小説はまちづくり小説として紹介されていたので読んでみました。まちづくりというか、町おこしというイメージです。

    観光資源のなくなった駒木野という山間の田舎町にどうにかして宿泊客を呼び戻そうというストーリー。

    民宿や商店などで構成する青年会のメンバーが主役で、アラフォーのメンバーが頑張る小説です。

    本来であれば私も商店主になって、商店街の役員とかになっていたかもしれない人生ですので、それなりに臨場感を持って読めましたが、やはり京都伏見の商店街と山間の町ではかなり状況は違う。
    じゃあ滋賀県の湖西をイメージして町おこしという気になるかというと、そんなポジションでもないし。
    結局の所、私はどこでも部外者で、責任がないとも言えるし、フィールドがないとも言える。

    さて物語の駒木野はひょんなことから、オカルトや幽霊、UFOなどといった面に注目が集まって、それをテコに集客するのだが、問題も出てくるといった内容。
    主人公たちは廃墟になった遊園地や、遺跡でストーンサークルを作ったりして人を呼び込むのですが、そういうのはすごく楽しそうで、羨ましく思いました。
    手作りで町おこしするわけです。私もやりたいです。

    これが2008年に発行されていますので、2021年からだと13年前の小説ですね。40歳の人は27歳で、30歳の人は17歳。
    今現在では、オカルト系で観光は難しいだろうけど、ヒーリングとかキャンプとかでは集客できそうかなぁと思いました。少し時代が変わりましたね。

    自分より年齢が上の人との抗争、世代間の対立が描かれていますね。上の世代は状況が分かっていない、みたいな。

    小説としては、長めです。本が厚い。
    ドタバタとしてて楽しく読めますけど、もうちょい短くできなかったのかな?とも思います。

    後半にくる圧倒的な絶望感はとても良いです。うまくいきつつあったものがガシャンと崩れ落ちるんですよね。こうなると読む手が止まりませんね。物語はこうじゃないといけません。

    変なキャラが出てくるものすごく良かったです。おもしろい。

    どういう人にオススメの小説かと聞かれると、難しいですね。
    山間部の町で民宿とかを経営されてる方はとても共感を持つのかもしれません。あとは、観光業の方とか。

    手作りで観光地というか、テーマパークを作って、ツアーを作る、そういうのを体験できる小説です。

    以上

  • せっかくコロナですから、悟りでも開きましょうかね

    せっかくコロナですから、悟りでも開きましょうかね

    今日は「悟り」について書きます。

    考えれば考えるほど「よろこび すくなし」。
    コロナですからやっぱり喜びが少なくなっている。

    「頑張ろう」「気の持ちようだ」「コロナが明けたら楽しもう」なんて言うものの、やはり難しい。

    小説を読んで楽しんではいますが、昨日なんか午後からビールを飲んでグダグダになって寝て、夕方に起きてまたワインを飲むという廃人のような時間をおくってしまった。大丈夫か、俺!

    午後のビールの飲み方は走ってからなのでガツンと急速に酔っぱらい、夜はバニラアイスと赤ワインを交互に口に運んで麻薬的な味わい方をした。
    アルコールは体を壊すからなぁ。もうやめたい。依存症じゃないかと思う。

    依存症と言えば、スマホもそうで、TwitterとFacebookと小説投稿サイトを行ったり来たりしている。餌を探すアリのように彷徨っている。

    SNSのどこにに幸せがあるというのだろうか?
    本来は何を満たしたいのか?
    いいねボタンで満たされる幸せがあるというのか?

    なんかこの、何を満たすためにやっているのか分からないまま行動している自分が嫌いだ。

    てなわけで、酒やSNSで何かを満たすのはやめる戦いをしようと思うのです。

    じゃあ、どうすれば良いのか?

    例えば、「居住まいを正しただけで幸せを感じる」とか、「瞑想しただけで幸せを感じる」とか、こういう状態に自分を持っていけないだろうか。

    他者や物品で幸せになろうとするのは、依存状態を招くわけですよ。じゃあ何にも頼らずに幸せになろうとするならば、ただ姿勢を正すとか、瞑想するとか、お掃除するとかで幸せを感じなければならない。

    、、、こんな状態になったとしたら「悟り」ですよね。

    これはマズい。コロナのせいで思わず「悟り」を開いてしまいそうだ。

    私は怖い。

    自分の内なる声に耳を傾けすぎて、ロード・オブ・ザ・リングのゴラムみたいになったらどうしよう。

    「怖いよ、愛しいしと」

    明日から、魔法の指輪をはめているかもしれません。

    以上

    (30分ほど)

  • 京都伏見桃山で読書会をやることにしました

    京都伏見桃山で読書会をやることにしました

    今日は「読書会の企画」について書きます。

    読書はしますか?
    すごく面白い本と出会った時に「この本を紹介したい!」って思うことはありませんか?

    読まないなら読まないでいいし、紹介したいと思わなければそれでいい。私は読むし、ブログで紹介するし、さらには直接誰かに語りたいとも思う。

    そんなわけで読書会を主催しようと思いました。

    これはたいへん良い取り組みです。いいサイクルが回せそう。

    本を読む→人に紹介する→人に紹介したいからまた本を読む。

    こういうサイクルができるし。

    人に紹介された本を読む→その人とゆるい繋がりができる。

    こういうサイクルも良いですよね。

    コロナじゃなければこんなことはしないと思う。

    お家時間を充実させるために何かをするとなると、私の場合は読書なのです。動画見たり、ゲームしたり、料理したり、ヨガしたりと色々選択肢がある中で、読書ですね。

    で、この読書をさらに楽しもうというのが、読書会なわけです。

    家でじっと本を読む、のみならず、それを元に交流しようというのだから、とっても素敵。知性のフォークダンスみたい。←ぜんぜんいい比喩じゃないな。

    とうわけで、やります。

    地元の伏見桃山でやります。

    6/11(金)18:30受付開始、19:00スタート

    会場は桃山御陵前駅を東に上がった「ビリオン珈琲」をチョイスしました。まだ視察はしていない。

    会費は無料ですが、それぞれドリンク代がいります。

    6名を予定していて。20:00に終了です。これは緊急事態宣言中ですからね。

    どうでしょう?興味ありますか?

    申し込みはこくちーずで登録してもらえると良いです。

    好きを語ろう読書会(京都伏見桃山)

    不要不急の外出となりますけれども、平和な外出だと思う。

    お家時間を有意義に過ごすための企画だから、いま必要な企画なのではないだろうか。酒を飲んで喋りまくるわけじゃないし。

    こんなコロナの頃だから、とにかくやります。

    読書に限らず「これが好きだ」というのを持ち寄れる会があったらいいなぁって思うんですよね。ネットでつながるのではなく。

    フェイス・トゥ・フェイスで笑顔と共感が返ってくる場が必要だと思う。人間には。

    好きなものを「好きだ」と言って生きていこう。

    以上です。

    (27分)

  • 30代でコンプレックスは解消しておこう

    30代でコンプレックスは解消しておこう

    今日は「コンプレックス」について書きます。

    あなたはコンプレックスを自覚することがありますか?

    そもそもこのコンプレックスという言葉、日本語では間違った使われ方をしているらしい。私が言いたいのは「劣等感」についてです。「劣等感」という言葉はちょっと語感が強すぎる。コンプレックスとカタカナにすることによってマイルドになる。日本語の不思議。
    「あなたには劣等感があるでしょう?」と言われたら「何だとこの野郎!」って言いたくなるけど、
    「あなたにはコンプレックスがあるでしょう?」と言われたら「まぁ、誰にでもあるよね」と言えるかもしれない。
    そんな感じ。

    ということで、コンプレックスですけど、誰しもが持ってるんじゃないかと推測しますがいかがでしょうか?
    「私は持ってない」という人がいるのであれば、とても平和でよろしいと思います。

    体型だとか、容姿だとか、田舎育ちだとか、貧乏だとか、たいていの人が思春期に傷を負い、コンプレックスを持って大人になっているのではないでしょうか。

    私はコンプレックスの塊、敢えて言うと劣等感の塊でした。球技が苦手だったし、勉強は嫌いだったし、人に評価される特技もなかったし、下を向きっぱなしの学生時代を過ごした。オタクにならざる負えなかった。
    暗い過去と暗い未来しかなく、あるのは暗い現在だけ。ぜんぶ暗いやないか!

    私が思うに、コンプレックスとは直接に戦ったほうが良いと思いますね。その方がふんわりと軽く生きられると思います。
    30代のあたりに、コンプレックスを解消しておくべきだと思う。

    このタイミングで解消できなかったら、いやーなおっさんになってしまって、いやーなジジイになるんですよね。

    やけに支配的なおっさんやジジイが現れたら、だいたいコンプレックスを抱えたままその年齢になってしまったと思って良いです。

    この人はお金もあるし、地位も高いのに、なぜだか非難や批判が多いとか、やけに目立ちたがり屋であるとかいう場合にはコンプレックスが解消されていない。持ったまま生きている。

    コンプレックスを抱えたまま、その歪んだ心で頑張るという方法もあるとは思うのですが、それってあまり幸せにはなれない方法だと思います。どうしても解消でなかったらしょうがないですけどね。金や地位を振りかざす生き方が良いと言う人もいる。

    さて、私が最も強くコンプレックスを抱いていたのは病弱さだったと思います。病弱コンプレックス。

    幼少期より喘息がひどくて、同級生達と比べぜんぜん活動できなかったのです。「原始時代だったら死んでるな」「現代じゃなければ生きる価値ないよな」と思いながら生きてきた。

    ですけれど、コンプレックスをコンプレックスのままにはしておきませんでした。得意を伸ばすより、苦手を克服した。

    例えばランニングをするようになって、これだけはずっと続いてて、かれこれ10年以上になる。これは同級生達と速さや距離を比べると、上位3人の中には入れるのではなかろうかと思う。

    あるいは、小屋で暮らしたのも生きる力を認識したかったためだと思われる。近代的な生活じゃなくても生きれる自分を証明したかった。

    これらの行動により、病弱コンプレックスを解消したのです。前よりも心が軽いし、前よりも挑戦的な人生を生きれている。

    まとめに入りますと、

    若い方は30代あたりでコンプレックスを解消しとくのがオススメです。これには戦いが待っていますが、頑張って下さい。

    40代より上の人でコンプレックスを持っている人はどう戦えばいいのか知りません。他人より自分が優位だと感じたくなる行動に気をつけた方がよろしいかと思います。

    なぜかエラそうなおっさんやジジイに出会った場合は、「ああ、この人はコンプレックスを抱えたままこの歳になってしまったんだ、、、」と温かい目で見守りながら無視してあげましょう。あなたの敵はその人ではないのです。

    心に刺さったトゲを抜きましょう。そして軽い心で生きていきたいですね。

    以上。

    20:35(29分、1555字)

  • 小説を書くのはあれと似ている

    小説を書くのはあれと似ている

    今日は「小説を書くのはあれと似ている」について書きます。

    皆さんはいかがお過ごしですかね?

    私の住む京都では5月末で緊急事態宣言が解除されるかと思いきや、延長されるようです。いつまで延長されるのか情報を追うのが意味ないと思うくらいに何もかもが信じられなくなっています。

    確か、6月の何日かに盆踊りの情報があったんですけれど、あれも中止になるのかな?覚悟はしていたことですけどね。

    そういう世の中で、いわゆるニューノーマル、新しい生活様式は確立できましたでしょうか?

    私はダンスを失い苦悩しておりましたが、小説を書いて、小説を読むという新しいスタイルを確立しつつあります。あと、この、無駄なブログを書くというのも新しいスタイルです。

    で、小説を書いているのですけれども、とてもしんどいんですよね。このしんどさは、マラソンや登山に例えるとスッキリきます。

    とにかく書くのですけど、いつになったら終わりにたどり着けるのか分からない。走り出してもなかなかゴールにたどり着けないマラソンに似ている。

    小説は終盤になるにつれて盛り上げていかなければならない。マラソンも終盤にしんどくなるのが似ている。

    小説にも基礎体力に似た、基礎的な文章打ち込み力みたいなのが必要っぽい。書こうと思っていることがあっても、それが途方もなく時間がかかりそうなら、それを避けたくなるんです。文章を打ち込むのが早ければ、立ち向かえる。マラソンも基礎体力がないと完走できない。

    あとマラソンに似ているのは、私がどれだけ頑張っても東京マラソンで1位に輝いたりはできなことだろうか。小説で何かを受賞するのはものすごく遠い。

    でもね、私がプロ野球選手になる可能性はゼロですけど、小説家になる可能性は5%くらいはあるはず。いや、小説家になれなくてもいい、1冊だけでいい。これは叶うかどうかは50%の可能性はあるはずだ。

    あと、小説は個人技だという点、チームワークが必要ないのはマラソンに似ている。だから小説は野球にもサッカーにも似ていないのだ。そうだ、私はチームワークが必要なことはすべて苦手なのだ。

    私は小説に向いている。
    私は小説に向いている。
    私は小説に向いている。

    自己暗示。

    まぁ、要するに、コロナの緊急事態宣言で自由が奪われていますけれども、私はまぁまぁ有意義に過ごせています。

    小説を書いて、小説を読む。

    酒も飲む。

    あと、読書会も開く。

    なんとか、頑張りましょう。

    以上です。

    (20分、1006字)