今日は「コンプレックス」について書きます。
あなたはコンプレックスを自覚することがありますか?
そもそもこのコンプレックスという言葉、日本語では間違った使われ方をしているらしい。私が言いたいのは「劣等感」についてです。「劣等感」という言葉はちょっと語感が強すぎる。コンプレックスとカタカナにすることによってマイルドになる。日本語の不思議。
「あなたには劣等感があるでしょう?」と言われたら「何だとこの野郎!」って言いたくなるけど、
「あなたにはコンプレックスがあるでしょう?」と言われたら「まぁ、誰にでもあるよね」と言えるかもしれない。
そんな感じ。
ということで、コンプレックスですけど、誰しもが持ってるんじゃないかと推測しますがいかがでしょうか?
「私は持ってない」という人がいるのであれば、とても平和でよろしいと思います。
体型だとか、容姿だとか、田舎育ちだとか、貧乏だとか、たいていの人が思春期に傷を負い、コンプレックスを持って大人になっているのではないでしょうか。
私はコンプレックスの塊、敢えて言うと劣等感の塊でした。球技が苦手だったし、勉強は嫌いだったし、人に評価される特技もなかったし、下を向きっぱなしの学生時代を過ごした。オタクにならざる負えなかった。
暗い過去と暗い未来しかなく、あるのは暗い現在だけ。ぜんぶ暗いやないか!
私が思うに、コンプレックスとは直接に戦ったほうが良いと思いますね。その方がふんわりと軽く生きられると思います。
30代のあたりに、コンプレックスを解消しておくべきだと思う。
このタイミングで解消できなかったら、いやーなおっさんになってしまって、いやーなジジイになるんですよね。
やけに支配的なおっさんやジジイが現れたら、だいたいコンプレックスを抱えたままその年齢になってしまったと思って良いです。
この人はお金もあるし、地位も高いのに、なぜだか非難や批判が多いとか、やけに目立ちたがり屋であるとかいう場合にはコンプレックスが解消されていない。持ったまま生きている。
コンプレックスを抱えたまま、その歪んだ心で頑張るという方法もあるとは思うのですが、それってあまり幸せにはなれない方法だと思います。どうしても解消でなかったらしょうがないですけどね。金や地位を振りかざす生き方が良いと言う人もいる。
さて、私が最も強くコンプレックスを抱いていたのは病弱さだったと思います。病弱コンプレックス。
幼少期より喘息がひどくて、同級生達と比べぜんぜん活動できなかったのです。「原始時代だったら死んでるな」「現代じゃなければ生きる価値ないよな」と思いながら生きてきた。
ですけれど、コンプレックスをコンプレックスのままにはしておきませんでした。得意を伸ばすより、苦手を克服した。
例えばランニングをするようになって、これだけはずっと続いてて、かれこれ10年以上になる。これは同級生達と速さや距離を比べると、上位3人の中には入れるのではなかろうかと思う。
あるいは、小屋で暮らしたのも生きる力を認識したかったためだと思われる。近代的な生活じゃなくても生きれる自分を証明したかった。
これらの行動により、病弱コンプレックスを解消したのです。前よりも心が軽いし、前よりも挑戦的な人生を生きれている。
まとめに入りますと、
若い方は30代あたりでコンプレックスを解消しとくのがオススメです。これには戦いが待っていますが、頑張って下さい。
40代より上の人でコンプレックスを持っている人はどう戦えばいいのか知りません。他人より自分が優位だと感じたくなる行動に気をつけた方がよろしいかと思います。
なぜかエラそうなおっさんやジジイに出会った場合は、「ああ、この人はコンプレックスを抱えたままこの歳になってしまったんだ、、、」と温かい目で見守りながら無視してあげましょう。あなたの敵はその人ではないのです。
心に刺さったトゲを抜きましょう。そして軽い心で生きていきたいですね。
以上。
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