今の環境でできる限り頑張りたいと思っているのだが、なかなかに閉塞感が漂って、ここではない何処かで新たな生活がしたいと思っている。相変わらずである。

陽光が春めいてきた。ふと気づくとなんだか外が眩しい。2月の立春を感じているところだ。
しかし、拙者の気持ちはというと、ズドンと沈んでいる。就職したせいで思っていたより時間がなく、時間がないせいで生活を愉しむ余裕がない。
フルタイムの労働といえば8時間であるが、拙者は8:30~17:30の間拘束される身分になった。お昼休憩があるので9時間拘束。さらにいうと、8:30に出勤するためには、朝7時くらいから慌ただしく準備せねばならないし、始業終業の前後30分は通勤をするわけで、考えると11時間はある意味仕事時間。
生活時間はというと、夜の10時~朝の5時30分まではしっかり寝ることにしているし、7時間30分が睡眠時間で、仕事時間と睡眠時間を24時間から引くと、5時間30分が生活時間ということになる。
風呂の時間や料理・食事の時間を捻出すると、ほとんど時間が残っていない。
というか、生活時間のほとんどを明日仕事に行くための準備時間かのように使ってしまうので、愉しむことができかねる。
生活自体を愉しむことをコンセプトに生きていたのになぁ。

また、土日祝も出勤を求められるサービス業を選んでしまったので、これまで遊んでいた会に行けなくなった。走ってからみんなでビール飲んだり、ダンスしたりという会はだいたい土日に実施されるので出席できない。
娯楽が減った。

手っ取り早くリラックスしたり気持ちよくなるために、食と酒に頼ることになってしまい、その安易さに辟易とする。胃腸と肝臓が悲鳴を上げる。

仕事内容が有意義で、給与が高く、さらには未来への展望が拓けるのなら、生活面の不具合に目をつむることができるかもしれないが、そんなことは全然なくて、就職して間もない今から、次はどうしようか? と考えざる負えない。

次はどうしようか、というのが具体的な計画として現れ、日々の小さな活動の積み重ねになるのであれば、それもありなのだが、だいたいいつもみたいに逃げ道としての夢想であるので、なんの行動力も生み出さず、何者にもなれない。

まぁ、世の中にはもっと忙しい人がいっぱいいて、子育て中の人とかを例に上げるまでもなく、甘すぎると叱責されるだろうな。

結局のところは、時間に余裕がないことより、夢がないんだよな。愛する人もおらず、思いやりの対象もない。
これらが人生を空っぽにして、胃袋を限界まで満たし、脳をどうでもいい情報で満たすだけの日々に押し流してしまう。
これを不幸と言うのだ。

せめて夢を叶えるための準備期間であったり、人を愛するための修行期間であればよいのにな。

などと、人生の本質的な部分に向き合うには、ちょっと心が弱すぎるので、やっぱり酒のんで満足しとくしかない。

以上。

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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