投稿者: 石黒わらじろう

  • 謎のランニングサークルのメンバーです

    謎のランニングサークルのメンバーです

    ハッシュと称されるサークルに参加している。
    このブログにも何度か書いているが、ゲーム的なジョギングの後に美味しくビールを飲む会で、正式名称はHash House Harriersという。

    この遊びの魅力は尽きないのだが、説明するのは今さら感があるので、いちいち説明しないでおく。
    ・ビールが好き
    ・アウトドア遊びが好き
    ・ゆるく走りたい
    この3つに当てはまる人が参加してるように思う。

    かくいう拙者もHashを語れるほどの真髄は味わってはおらず、日本の全国大会や世界大会なども実施されているらしいが、一度も参加したことがなく、京都から出ていかないハッシャーである。
    ドラクエ3で例えると、アリアハンの大陸から旅立っていない。
    2011年からずっとアリアハンで、かれこれ12年になるわけか……。

    最初に参加した当時は、街を舞台に遊ぶことがたまらなく面白かった。シンプルな道具で、ものすごい楽しさを生み出すことに感動したし、知名度の低い遊びを楽しんでいる自分も好きだった。

    それから徐々にシリアス(真剣な)ランナーに成長してしまい、マラソン大会に参加しだし、ハッシュじゃ負荷が足らなくなって、参加する意義が少し薄れた。

    さらにそこから最近になって、やはりハッシュは良いと思うようになった。自動的に飲み会の予定が入るのが楽だ。
    走ったゴール地点にビールが用意されており、同じく走った仲間と杯を酌み交わせることに価値を感じている。

    まぁ、自分が楽しむかわりに、コースづくりの当番が回ってきて、そこそこ労力がかかり奉仕の精神が必要なのだが、良いコースを作ると評価が上がって、居心地がどんどん良くなる。
    拙者もようやく使えるヤツという評価を得られてきたところ。

    まさに昨日がそのハッシュで、楽しく走って、楽しく飲んで、楽しく喋った。
    そして、かなり飲みすぎた。終電ちかくまで粘るのは久々だった。
    コロナ以降は飲み会が滅んでいるから、ハッシュでの飲み会はありがたい。
    外人さんとも、女性ともたくさん喋って、女の子を抱っこしたりして、おっぱいが大きい方がいいかニップがいいかって中身のない話をして、居眠りしだす人は寝て、ろれつが回らない代わりにニコニコしだして、なんかもうパーティーだった。

    そんな素敵なサークルが皆さんのお陰で維持されていて、大変ありがたいことで、幸せなことです。
    人間同士のことなので、色々とトラブルも起こり得るのですが、そこは大人力でなんとかしたい。

    この夏、拙者はとある目論見を描いていて、それはハッシュのゴール地点が盆踊り会場というすごい企画。
    走って、ビール飲んで、踊る!
    ヤバすぎ!

    上手く予定が合えば良いなぁ。
    乞うご期待!

    女の子を抱っこしてる図
  • スプリング ハズ カム

    スプリング ハズ カム

    110ccのスーパーカブ(JA10)を仕事用の愛車にしている。かなり大量のあるいは大きな荷物が運べて便利。
    オイル交換は長らく自分でやっていて、しかし長らくサボってしまって、なんとなくヤバい反応を示すようになった。エンジンを始動させると、ブルブル、プスンッ、みたいな音が鳴った後に、正常になるような状態。
    寒いので、野外作業は億劫。しかも、オイルは乗車して温まった後に替えるべきだし、それって自分の体は冷えている。家の中で温まりたい。
    でも、拙者は決意して、オイル交換することにした。
    その日は家に帰るのが16時頃で、この時期はすぐに日没になるので、急いでいたのです。焦っていたのです。
    すると、大変なミスを犯してしまった。

    外すべきボルトを間違ってしまって、スプリングがビヨンと飛び出した。慌てた。

    不安を抱えつつオイル交換は完了したが、エンジンからは賑やかならんちき騒ぎが聞こえるようになってしまった。
    ああ、このまま乗っては危ない。
    ああ、仕事、どうしよう。

    まぁ、仕事に関してはもう1台のバイクでなんとかなったのですが、先程改めて、スプリングが飛び出る場所を開けたところ(カムチェーンテンショナーと言うらしい)、先っぽの樹脂の部分にダメージがあった。

    また、ここを開けるとオイルを入れないといけないのだが、その場所のボルトが固くて開けられない。

    ああ、どうしょう。問題は問題のままだ。
    ちゃんとプロに頼ることに決めて、バイク屋さんに持っていこうかなぁと思いつつ、
    せっかくの機会なので自力でなんとかして、万能感を味わおうかなぁとも思っている。

    もう40代になったので、どうしてもやりたいこと以外は人に頼る方が正しい道だよなぁ。

    しかし、どうしてもやりたいことって何だろう? それをできているのか? と自問自答せねばならないので、やっぱり自分でやっちゃおうか? タスクを積んどけば考えなくて済むし。

    などと考えて、つまらぬことで思考が渋滞を起こしている。

    だいたいいつもこんな感じ。

    以上。

  • 習慣化したいこと

    習慣化したいこと

    毎日20分くらいは、こうして文章を書くことに費やしたいと思う。
    あるいは、毎日15分くらいは、ウォーキングorジョギングに費やしたいと思う。

    しかしながら、それが思うようにいきませんよね。
    その程度の時間はあるはずなのだが、億劫。なんらか乗り越えねばならぬ壁が存在する。

    拙者が誇るべき良習慣といえば、読書と自炊と妄想かな。
    悪習慣はスマホ。目的のないスマホ。
    惰眠。
    あとやたら女の子をジロジロ見ること(笑)

    最近では好奇心もやる気も低下しておりますので、とにかく習慣的にコツコツコツコツコツコツやって、望むべき方向に自分を誘導するしかない。

    毎日少しで良いんだよなぁ、15分か20分で良いんだよなぁ。
    そのくらいやれよなぁ。

    以前、読書会で習慣化する方法の本をある人が紹介してくれて、よくまとめてあったから、しばらく覚えていたけれど、もう忘れてしまった。
    たしか、3つの時期があって、それを乗り越えないと習慣化できない。怠惰期、倦怠期、矮小化期とかそんなのだったかな。

    ちなみにこれを教えてくれた人に、しばらくしたら会うかもしれないので、その時に改めて聞こうか。
    「一緒に走りましょう」とオファーを頂いた。
    少しだけワクワク。

    バイクで1時間くらいの距離にある公園で待ち合わせて、そこを一緒に走って、そしてどうなるかなぁ?
    拙者はスーパー銭湯に入ろうと思っているし、それで満足だけど、何かがどうにかなるのかなぁ?
    小さな思い出になれば良いかな。

    というところで、今日は以上です。

  • 寝る前に空虚さが広がって、ブログを書く

    寝る前に空虚さが広がって、ブログを書く

    今日は夕方に13kmほど走って、なかなか疲れて、いつもだったらビールを飲むのに、戒律のせいで飲めない。
    「自宅での独り酒」を禁止しているのだ。
    自宅じゃなく野外ならセーフだが、冬の気温がそれを許してくれない、そこそこ汗もかいてる。友達を無理やり家に呼ぶことや、どこかお店に飲みに行くことも考えられるが、そんなことをするくらいならさっさと風呂に入りたい時間帯。
    喉の乾きのままにビールをグッと飲んでぷは~となるあの感覚を、今日は味わえてない。

    そしてまた、贅沢な料理も戒律で控えており、夕食はいつも通りにご飯と味噌汁とだし巻きで、とても美味しかったのだけれど、今日みたいな日は肉の脂が欲しかったな、と思ったりする。

    食後に時間が空いたからと、頼まれていたWEBの更新に取り掛かろうとしたものの、「それってやる意味あんの?」というような指示がきていて、拙者はすぐにイラッときて、一旦保留にしようと決めたので、なんとなくスッキリしない。

    あと、IDとパスワードを忘れたサイトがあって、ログインできない。

    なんだかなぁ。
    別に不幸でもないけど、愉快ではないなぁ。

    まぁ、幸せを探せば幸せなんですよ。
    例えば、足首の調子は良くなってきて、阿弥陀ヶ峰まで走っていって、暗くなりそうな時間に下山して、躓きそうでハラハラしたけど、無事に戻ってこれたこと。
    湯船に浸かりなが読む森絵都サマの文章が大好きで惚れ惚れすること。
    自作の薪ストーブはちゃんと部屋を暖めてくれること。
    こうしてブログをつらつら書けること。

    だけれど、終わっていく1日実感する寝る前は、なんだか空虚な気持ちになっていく。
    ああそういえば、今日は誰とも一言も会話をしていない。
    ランニングで行った伏見稲荷では外国人観光客を抜き去って、女坂や東福寺駅近くでは女子高生を抜き去ったけど、荒い息で足音をペタペタと鳴らしただけで、誰とも会話をしていない。

    こういう空虚さや孤独さを燃料にして、小説を書けたらいいなぁと思いつつ、ブログを書くことにしたのはなぜなんだ?

    こんなんでいいのかなぁ? と思ったからだな。
    何か爪痕残さなきゃ、と思ったからだな。

    シフトしきれてないんですよね。
    空想を愉しむ生活に。
    酒をやめて、人との交流も少なくて、TVもYouTubeも見なくて、これといった勉強もせず、すごく空虚。
    これを赤毛のアンばりに空想で埋めようと思っておるのですが、なかなか上手くはいきません。

    明日はちゃんと愉しめるようになろう。
    エイエイオー!

    では、お布団に入って、空想に浸ります。

    以上です。

  • 何が自分の幸せですか? これが私の幸せですよ。

    何が自分の幸せですか? これが私の幸せですよ。

    昨日、人間にできることは整理整頓、という記事を書いたので、今年やりたいことを整理整頓をしようと思いました。
    拙者はとっちらかったまま、長期計画がなく、衝動的な勢いで行動することが多いのですが、志向の整理整頓には意味があるのだろうか?
    とにかくやってみよう。

    何が自分の幸せですか?

    ・人から感謝をされること
    ・後から思い出せるくらいの嬉しさを人から与えてもらうこと
    ・自分の価値観に沿った生活を送ること
    ・自分で生み出した物語の中を漂うこと
    ・踊ってスパークすること

    そうなるために何をしますか?

    ・好きなこと、得意なことをする
    ・気の合う人と仲良くなる
    ・価値観を磨く
    ・修行する
    ・想像する
    ・素敵な踊り会に行くor主催する

    具体的には?

    好きなこと、得意なこと
    ・踊り
    ・文章
    ・コミュニティイベント企画、実施

    気の合う人と出会い仲良くなる方法
    ・興味のある社会人サークル的なものに出没していれば出会える
    ・なければ自分でサークルを作る
    ・旅トーク会は引き続き実施

    価値観を磨くには
    ・世間一般の価値観から外れる強さを持つこと
    ・行動によって価値観を強化する

    修行項目
    ・修験道してみる
    ・野菜の自給自足、鶏を飼いたい
    ・トライアスロン出走を目指す
    ・10kmを50分切りで走れるのを目指す
    ・戒律を守る

    物語の創作
    ・観察、読書、執筆を生活に取り込む

    素敵な踊り会
    ・盆踊り会実施、音頭取りも務めてみたい
    ・機を見てフォークダンス会実施を狙う

    とまぁ、整理してみたが、これが拙者の幸せだろうか?
    やりたいことは、映像で思い浮かべるタイプなので、意味ないかもしれんなぁ。
    映像で浮かべた足りないものをコツコツ補っていくようなのが、拙者のやり方のような気がする。

    人と協力し合うものであれば、文章化が役に立つかもしれんけど、上記のようなプライベートなことって、今日はこんなふうに思っているよ、という意味でしかないかもね。

    意味はないかもしれんけど、整理整頓はしてみました。
    人間らしくなってきたかもしれん。

    以上です。

  • 人間にできることなんて整理整頓くらい説

    人間にできることなんて整理整頓くらい説

    クリエイティブに生きたいと思っておるが、自然と接しているうちに「人間にできることなんて整理整頓くらい」と頭に浮かぶ。

    拙者は平均的な現役日本人に比べると、自然に触れ合う機会が豊富であるし、自らそうしようとも思っている。
    一日中空調の効いた部屋にいて、ディスプレイに向かって仕事し、料理もスイッチ操作のみというような生活はしたくない。木を燃やして火力を得て、自ら獲得した食材を調理する、体を動かした後に旨い飯を食う生活がしたい。
    田舎暮らしや小屋暮らしに憧れつつ、現状はそこそこ住宅地に住んで、家庭菜園を管理し、薪を割ったりしているのみだ。

    少しでも理想に近づこうと、草ボーボーの場所を畑にしたところ、とてもキレイになった。整然としてて良い。

    小松菜畑

    また、生木を切って雑に置いておくよりも、きちんと割って並べたところ、とてもキレイになった。整然としてて良い。

    薪棚

    これらにより、人間なんて整理整頓くらいしかできないんじゃないか? 自然の方が圧倒的に生産的だ。クリエイティブだなんて馬鹿じゃねえの。生産的だと思っていることは実は余計なことなんじゃないか? などと考えた。

    結局のところ人間など、自然が生産してくれるものの恩恵を受けているに過ぎない。食料しかり、エネルギーしかり。

    今や多くの現代人が無駄な仕事をしている。
    わざわざ社会制度を複雑化させて、それを処理する人を生み出したりしている。
    たいして必要のないものを作り、たいして必要のないものを買う。経済が回ればそれで良しなどと言いながら、自然から収奪し続けている。
    いらんことせんでええんちゃうか?
    整理整頓さえしとけばええんちゃうか?

    などと考えながら、畑を拡大するために、土を掘り返したり、それを運んだりする。
    土を掘り返すと、野鳥が寄ってくる。
    むき出しになった大地には餌になる虫が出てくるのかな?
    庭に野鳥と二人きり。
    たぶんモズだと思われる。そこそこかわいい。
    拙者が土を掘り返しても何も生み出さないけれど、モズの役には立ったようだ。

    クリエイティブってなんだろうな。
    拙者は作品を生み出したいという意味で使ってる。
    でも、モノを生み出す時は何らかの素材の組み合わせだし、小説を生み出すのも言葉や文節やエピソードの組み合わせなんだよなぁ。
    それって、基礎にあるのは整理整頓だよな。

    自分は自分の思考を整理整頓できているのだろうか?

    いっつもぐちゃぐちゃやな。

    雑然としたままで、本日のブログを閉じたいと思います。

    以上です。

  • 2023年抱負「他力本願と土づくり」

    2023年抱負「他力本願と土づくり」

    あけましておめでとうございます。
    と、言ってるうちに正月気分になってきました。

    今年は特別なお誘いをいただいて、清水寺で除夜の鐘を撞くという年明けになり、ごおお~んという波動により穢れが取り払われたようです。年明け0時の清水寺境内はどこを見てもあまりに美しく、天界に昇ったかのようで、2023年は早くも最高潮に達しました。
    お誘いいただいたS氏には大いなる感謝を抱き、またビールを奢っていただいたJ氏、同行してくれたH氏、清水寺の僧侶の方々や警備に方々、とてもありがとうございます。

    その後、清水寺から八坂神社に向かう道中、振袖姿の女子たちが前方を歩いていて、どうやら清水寺にもいた子らで、ナンパじゃないけど声をかけたのです。こんばんは~、と。
    まぁ、拙者は若い子らを相手に気の利いた会話などできませんので、「着物で寒くないんですか?」と聞いたところ、か細い手をスリスリしながら「寒いです」とのこと。
    「ほな、抱きしめたろか」と、昔はよく言ったものですけど、会話が寒くなった時に持ち直す馬力はもう失われてしまいました。
    「二人組の子らに1つしかないなぁ」と思いつつも、使っていないカイロを差し出したところ、「きゃー、ありがとうございます」って、花束を渡した時のような喜びが返ってきて、静かな夜道が明るくなりました。
    お役に立てて光栄でした。
    こんな風に、感謝したり感謝されたりしながら、生きていきたい。

    他力本願で幸せになる

    拙者は現在42歳でございまして、数え年であれば43歳になります。
    すでに若者時代は終わりました。
    これまでは能力開発が大事だと思い、自分の力でどこまでできるのか?と、チャレンジをし、達成する喜びが確かにありました。
    だけど今では、自分はスゴイ、自分はこんなことができるんだって、振り返ってみても、なんだか虚しくなる。
    そもそも自分で自分を喜ばすために生きることが、面倒くさくなってきています。
    幸せなんて所詮は思い込みなんだよなぁ、わざわざそれを求めるのってめんどくさいなぁ、と。

    だからもう、自分で頑張って幸せになるのはやめたい。
    その代わりに他者に幸せにしてもらおう。そして大っぴらに感謝しよう。
    すごい人など目指さず、敗者のままでいて、誰かのお陰で生きていこう。
    他力本願という良い言葉がありますので、まさにそんな感じ。

    土づくり

    庭で野菜を育てようとすると、そもそも土づくりが大事だよなぁと実感します。
    しかしこれは、農業に限ったことではない。

    これを実感したのは、2022年の盆踊り活動においてですが、大文字サイレント盆踊りやニセ祇園祭りを実施するにあたって、信頼関係とか経験とか目に見えない部分、云わば良い土があるから決行することができた、と感じました。
    やりたいからやるという性質のものではなくて、土台の上になりたっているのです。

    例えば小説家になりたいとするならば、書き上げた小説が必要で、そのためには書く技術、書く時間が必要で、アイデアなども必要ですけど、その前にもっと必要なことがあります。
    それは創作を喜べること。
    書くことを愉しめる人じゃないと続けられない。
    愉しむことが土の部分です。

    このように、どうやって幸せになるか、何を愉しみ、何で悦ぶか、それらを選び取る力をつけることが人生のおける土づくりかなぁと考えております。

    戒律で幸せになる

    幸せを選ぶ、と言えば、現代社会では本能のままに生きれば幸せになれるほど単純ではない。
    旨いものを食い続けると肥満や糖尿病になるし、自己顕示欲を満たそうとすれば周りから人が去っていき、楽すれば楽するほど弱くなるし、金で解決すればするほど人間関係が薄っぺらくなる、社会環境と人間の本能が合わなくなっている。

    拙者にも本能的というか享楽的に「楽しかったらOK」という時代があったのですが、そういった刺激にも慣れてしまって、今では逆に「修行」みたいなのを好む節がある。

    例えば現在は真冬ですが、石油ストーブもエアコンもあるけれど、手作りの薪ストーブを稼働させて暖をとっています。
    これはとってもとっても不便で、一番は薪を用意するのがたいへん。
    生木だと割って1年以上は乾燥させないといけない。
    だからせっせと薪を割る。たいへんだ。
    しかしこの苦労に修行性があって、愉しさを感じれるので不思議です。ちょっとゲームっぽいのです。パッカンと真っ二つになるのが気持ちいいし、もっと上手くなりたいとも思う。

    このように何かをやらないことによって、喜びが見いだせるかもしれない。

    だから、
    ・自宅での独り酒をしない
    ・批判することによって上に立ったような気にならない
    ・コーヒーを飲まない
    ・贅沢な料理で幸せにならない
    と、このような戒律から始めようと思います。

    欲しい物を手に入れる喜びと、戒律を守り通す喜びは、同じなのか? 違うのか? 違うなら何が違うのか? を見極めたいと思います。

    小難しいぞ!

    というわけで、全体を通して、小難しいことを考えている。
    だから、若い女の子を相手に気の利いた会話ができない。

    しょうがないので、カイロをポケットに忍ばせて、街に出ていこうと思います。

    以上です。
    本年もよろしくお願いします。