カテゴリー: 京都で交流ダンス

  • のらぼん、とは?

    のらぼん、とは?

    コロナ禍がきっかけで途絶えた文化があると思う。
    途絶えるものは人知れず終わるのだ。うら寂しき世の無常。
    盆踊りもコロナ前と踊りが変わった話を聞くし、京都に範囲を狭めてもコロナ以降開催していない地域の踊り方は忘れ去られてしまうかもしれない。

    拙者はこういうものに関してクールであるので、滅ぶものは滅んでしまえと思っている。
    少子化Japanであるし、あれもこれもと言ったところで受け継ぎ手がいないのである。
    映像化しとくのが関の山だな。
    少子化対策に力を入れない点において、現政権を支持できない。ぜんぜん保守じゃない。

    悲しむなかれ、滅ぶものもあれば生まれるものもあるはずだ。
    コロナ禍がきっかけで生まれた文化がそろそろ芽吹く時期かもしれない。
    盆踊りについて言うと、コロナによってのらぼんが活発になったらしい。

    のらぼんとはなにか?
    検索すると出てくるが、野良の盆踊り。
    公園などに盆踊り愛好者が集まって、勝手に踊る会をのらぼんと言うようになりつつあるらしい。
    コロナ禍で盆踊りの中止が相次いで、勝手に集まって勝手に踊る文化が生まれた。
    自分らで曲流して、唄って、踊ったらええじゃないか、と。

    京都において拙者がやり始めたサイレント盆踊りも、まさしくのらぼんであるし、こないだ実施した踊れや唄えやの盆踊り練習会も、まさしくのらぼんであった。

    練習会は9/22(金)に実施したが、鴨川デルタにおいて、6人が集まって、自分たちで唄う唄、掛け声で踊った。江州音頭、炭坑節、ドンパン節をやった。
    日が落ちだす時間の河川敷は良い風が吹いて、夕涼みと踊りを兼ねたような雰囲気で、いいムードだった。
    本来の夕涼み勢にとってはうるさくて申し訳なかったが、あくまでも自分たちの発声が届く範囲の小規模であるので許してくれたまえ。

    拙者の感想としては、唄いながら踊るのはめちゃめちゃ体力を消耗するので、めちゃめちゃ練習が必要だと思った。
    他の参加者は声出しながら踊ると楽しい、と言っていた。
    道具をほとんど使わずに楽しさを生み出すのであるから、人間パワーの最大出力である。
    その結果、何が起こるかというと、パラパラ雨が降ってきた。
    だいたいいつもこうだ。

    のらぼんというのは、原点回帰なんだろうな。原初の盆踊りスタイル。
    原点から見れる奴は強い。あらゆるものに根があるし、枝葉を追うには多すぎるし。

    のらぼんというフレーズを聞いて、拙者も大きな流れの中に存在しているんだなと感じる。
    コロナ禍でスタートを切ったのは我々だけではなかった。
    どこかで同じことを考え、実施した仲間たちがいるのだ。これはとても勇気づけられる。
    我々もこの方向で進んでいこう。
    盆踊りは活況なり!

    以上

  • 盆踊り視点 踊り子サイドと主催者サイド

    盆踊り視点 踊り子サイドと主催者サイド

    近江商人は「三方良し」を理念に商売したと聞く。
    「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」の三方。
    自分視点で生きて自分の主張を曲げないのも強いけれど、多視点で状況判断する方が、最終的には信頼を得られ、生きやすくなる。

    先日、拙者は盆踊りの主催者サイドに立ってみたところ、踊り子サイドとは違う価値基準があると発見した。
    拙者のように経験値の高い盆フェスダンサーは主催者サイドから歓迎されると思っていたが、それは勘違いであった。
    邪魔になるときもある(笑)

    踊り子サイド

    踊り子はそれぞれに志向が違うので、欲求には強弱があるし、明確に語る人も少ないので、ここは主に拙者の視点で語らねばならない。

    ・良い音響で踊りたい
    ・生音頭なら上手い人がいい
    ・上手く踊ってほどほどに注目を浴びたい
    ・スペースが広々してるとありがたい
    ・おなごが浴衣姿で踊るのを見たい
    ・踊りの上手い人がいると燃える
    ・屋外で大騒ぎしたい
    ・事前に曲目が分かると嬉しい

    拙者は上記だが、他の人は

    ・仲間と踊りたい、仲間を増やしたい
    ・ナンパしたい
    ・自分が中心になって踊りたい
    ・トランス状態に入りたい
    ・学んだ踊りを披露したい
    ・音頭取りさんのファン

    などの欲求があろうかと思う。また、経験によって求めるものが変わることもある。
    さてもう一方の主催者サイドはどうだろうか?

    主催者サイド

    主催者にも色んな思惑があると思うが、拙者が仕切った小さな盆踊り会を想定する。

    ・とにかく1重の輪が成立するくらいの人を集めたい
    ・見本になってくれる人を集めたい
    ・かといって、ガチ勢ばかりを集めたいわけじゃない
    ・地域の人や初心者が輪に入りやすいようにしたい
    ・盆踊りとして映える雰囲気を作りたい
    ・浴衣を着て欲しい。特に女性の浴衣は華々しくて良い
    ・子どもたちに踊って欲しい。ほのぼのとして良い絵になる
    ・最初から最後まで踊って欲しい
    ・曲を選り好みしないで欲しい
    ・経験者が一斉に輪から抜けないで欲しい
    ・見本になれる人は連なって踊らないで欲しい。適度に散って踊って欲しい
    ・途中で踊りを変える場合は目立たない場所でやってほしい
    ・掛け声を出して盛り上げて欲しい
    ・見てる人に「どうぞ輪に入って」と声をかけてくれるとすごく嬉しい
    ・華々しい踊りを披露してくれる人がいると嬉しい

    とにかく主催者視点では、最初から踊ってくれるとか、ずっと踊ってくれるとか、周りに配慮できるとかが重要で、踊りの上手さの価値は低い。
    初心者に分かりやすい踊りをしてくれて、そういう踊り子数名をスタート時間に集めてくれるような人が一番ありがたい。

    このように、踊り子サイドと主催者サイドでは価値基準が違っている。
    いや、価値基準がピッタリ合う組み合わせもあるし、全然合わない場合もあるんだろうな。
    実例を上げると、京都左京区の熊野寮やかもがわデルタフェスは主催者が熱狂を求めているようで、拙者との相性はめちゃめちゃ良い。
    かたや、上七軒とかは雅やかすぎて合わないし、規模が小さな会で本気出すと場を呑んでしまいがち。愛を持って欠席、という判断が必要になってくる。

    あるいは、主催者側は惰性で盆踊りをプログラムに入れている会もあって、そもそも盆踊り自体へのやる気がなかったりする。
    盆踊りのイメージが悪くなるのでさっさとやめてほしいが、付け入る隙がないか狙ってみたいところではある。

    とまぁ、話が少しそれたけど、踊り子側は踊りの上手さに価値を置きがちだけれど、主催者側から見るとそこはあまり重要ではないということが発見であった。

    「踊りの上手さは関係ないよー、みんなで踊れるだけで価値があるんだよー」
    と、今後はみんなに声をかけようと思う。
    拙者はこうして主催者側の視点にも立ち、同時に踊りの上手さも求めていくのである。
    やっぱり浴衣姿のおなごの注目を集めたいわけなので、神話のような踊りを目指していく所存。
    テヘヘ。

    以上。

  • FIRST TAKE だったイズミヤ六地蔵盆踊り

    FIRST TAKE だったイズミヤ六地蔵盆踊り

    100点満点よりも及第点のほうが、次の回を楽しみにできるんちゃうかな。守りに入らなくていいから。

    2023年9月3日(日)、イズミヤSC六地蔵店の盆踊り会が実施され、拙者が選曲とレクチャーを担当し、無事にその役割を終えた。
    この会は初開催で、客層や雰囲気の予測が立たず、明確なプログラムもなしに挑んだので少々グダったのだが、臨機応変に良いチョイスができていたと思う。
    大事なことを学び、そして次への希望を抱けている。
    とても良い状況である。

    イズミヤ六地蔵店はここ最近、地域の人々と連携したイベントの開催に力を入れておられる。毎週のように無料のミニコンサートが行われ、そこそこ観衆も集まっているようだ。
    その延長で、夏に盆踊り企画ができないかと館長は構想し、人に相談し、古い音楽仲間から拙者に話が振られ、二つ返事で「私がやります。適任です」とお答えしたのであった。
    サイレント盆踊りやニセ祇園祭などの盆踊り企画を経験し、そろそろゲリラじゃないヤツもやりたいと考えていたところだった。

    これは盆踊りシーズンが始まる前の話で、いざシーズンが始まってみると拙者は色々と複雑な心境になってくる。
    京都の盆踊りは玉石混交で、楽しいのもあるし、ただ消耗するだけのものもある。無理やりにテンション上げざる負えないこともあるし、連絡先を交換したと思った女性から一度も既読がつかずに無視されることもある。
    そういった色んな状況と体調不良も重なって、あまり盆踊りに前向きになれなくなっていた。引退も考えた。
    なにより見本になってくれる踊り子を集めるのも骨折れる。
    こういう心理を抱えたまま、どんどん開催日が近づいてくるのである。

    さらに不自由なこともあって、こちらから提案した時間と店側から返ってきた時間が違っていたし、キッズダンスの先生も演者に組み込むと言われ、これは想定外で「やっぱゲリラが向いてるかな」と考えたほどである。

    しかし、引き受けた以上は責任を果たさねばならぬ。

    迎えた当日、ショッピングセンターのエスカレーター吹き抜けの広場に音頭と拙者の声が響いた。
    結果としては及第点。合格ラインは超えていた、と考えている。

    序盤は子どもたちも巻き込んで2重の輪になっていた。具体的には30名弱の人たちが踊り、会場のスペースいっぱいの規模になっていた。

    また、キッズダンスの先生との連携も上手くとれて、こちら側も先生にマイクを渡した後は一時的に緊張がほぐれて良かったと思っている。

    しかし後半は縁日ブースに子どもたちが流れていき(そういうタイムスケジュールが組まれていた)、内輪向けの選曲をせざる負えなかった。ゆえに発表会的な感じになってしまったが、最善であったはず。

    頑張って覚えたジャンボリミッキーも子どもたちが集まってくるほどではなかったが、輪を囲んだ人たちはみんなよく踊れていたし、とても楽しめた。

    一応セットリストを書いておくと。
    ・炭坑節(2回)
    ・江州音頭
    >キッズダンスの先生によるオリジナル音頭
    ・かわさき
    ・ドンパン節
    ・ダンシング・ヒーロー
    ・炭坑節(リクエスト)
    ・春駒
    ・河内音頭(手踊り)
    ・ジャンボリミッキー
    ・炭坑節(リクエスト)
    たしか順番はこんな感じだったと記憶している。

    とにかく初めての開催で手探り状態。そんな中でもやりきったし、嬉しいこともあったし、課題も見つかったし、それは次への希望になっている。

    最も嬉しかったのは、有能な仲間がいると再確認できたこと。
    見本となって踊れる人が自分含めて4人で、これは最適な人数だった。櫓の四方に散れば隙がない。
    ジャンボリミッキーやるよ、と言えば履修してくれるし、周りの人に「どうぞ輪に入って~」なども自然に配慮してくれる。
    大阪の遠いところから尊敬すべき盆踊らーも来てくれて、拙者が見本に踊る必要がなかったほどに恵まれていた。
    人材豊富なので、1人でバタバタ動かずにしっかり役割分担をするのと、協力してもらう役割を増やしていくのが大事だと反省している。祭りってのはそういうもんだ。

    特に反省すべき点は、音楽の再生を人に任せられなかった点だろうか。スマホで再生したのであるが、ロック解除して、選曲して、再生するとそこそこ時間がかかり、その間、場がシーンとなり踊り気が散ってしまうような気がした。
    もっと盛り上がりを作れるはずだ。

    あとは、生唄でいけるだろうと思った。ドンパン節の踊りレクチャーのタイミングで歌詞を諳んじた訳だが、見本になる人も豊富だったしそのまま素謡したら良かったかもしれん。
    盆踊り会で唄や演奏まで担うなら、唄が好きな人も仲間に入れられるのでさらに希望が湧く。

    時間配分にも課題があった。1時間の枠を貰っていたのだが、経験不足によりどの程度レクチャーに配分すべきかが分からなかった。もっと時間を使っても良かった。

    みんなの感想としては、「館内だったので涼しい環境で踊れて良かった」という声を聞いている。
    また館長からは「子どもがこんなに来たのは初めてだ」と聞いたし、その後お客さんから「感動した」「またやってください」と2件の電話があったそうだ。
    光栄である。

    拙者の個人的な感想はというと、久しぶりに会を仕切って以前の自分と再会した気する。
    コロナ前まではフォークダンス会や人狼会などで、場を仕切る機会がたまにあったけれど、最近はやっていない。
    人を前にする程よい緊張感と、濃密な時間の流れの中で頑張って頭を回し、適宜判断をして動くのは、疲れるけれども生きてる実感が湧く。
    またやりたくなってくる。

    他にも踊り手側と主催者側の相違に気づいたが、それは別の記事で論じることにする。

    今回の機会をいただき、自分たちが仕切る会の面白みを味わえて、とても刺激を受けた。
    一般の踊り手よりも選択肢が増えて楽しい。
    踊り手は、頑張って踊るか、頑張って声出すか、他の踊り手と交流するか、どんな服装で行くか、くらいの選択肢しかないのだが、仕切る側は選曲もできるし、それを生演奏でやるかも考えられるし、司会はどうするか、何らかの新しい取り組みはできぬか、などなどに思考を巡らせられるので、妄想が広がる。
    愉快なり~。

    仲間と力を合わせ、練習を積み重ね、来年は5ヶ所くらい仕切れるようにと目論んでいる。
    そんなわけで、今後ともお付きいよろしくお願いします。

    以上。

  • 【募】踊れや唄えやの盆踊り練習会(2023.9.22)

    【募】踊れや唄えやの盆踊り練習会(2023.9.22)

    みんな踊って楽しめばいいのに、、それが一番平和なのに、、と思っているのだが、踊りを阻むものは多い。
    恥ずかしいイメージや、正しくなければならない自己抑制や、不真面目だという世間の目。
    すでにこれらを乗り越えた我々は、踊る暇があったら踊るし、唄う暇があったら唄うのである。
    楽しんだもん勝ちやろう、という価値観を増幅させ、体の中から躍動を生み出し、踊って唄って魂をスパークさせる。
    これこそがAIでは代替不可能なことである。

    というわけで、今以上に盆踊りを楽しむために「踊れや唄えやの盆踊り練習会」を実施することにした。
    練習会と題してはいるものの、これは本番でないという意味。練習とは名ばかり。指導したり強制したりしない。ただただ「その踊りでいいよ」と言うだけである。「上手くなくていいよ、楽しかったらいいよ」と言うだけである。
    何でも楽しんでいるうちに上手くなるもので「之を好む者は之を楽しむ者に如かず」という言葉を引用するまでもない。
    自分に自信のない奴らは正しさを求めがちだが、正しさよりも楽しさである。熱狂こそが正解である。

    概要

    [日時]2023年9月22日(金)18:30~20:30頃
    [集合場所]京阪出町柳駅
    [会場]天候や人の流れで適切な場所を選定
    [内容]盆踊りを踊ったり、音頭を唄ったりする
    [スケジュール]
     18:00~会場選定
     18:30~乾杯や自己紹介
     19:00~盆踊り練習、集中タイム
     20:00~アフターミーティング
    [雨天]決行
    [楽しみ方]踊る、唄う、楽器を鳴らす、ただ酒を飲むetc
    [持ち物]飲み物。汗をかいた時のタオルや着替え。レジャーシートがあると良いかも。あれば楽器。
    [踊りそうな曲目]炭坑節、江州音頭、ドンパン節。その他リクエストにお答えする。
    [会費]初回につき無料

    色々とどうぞ>>お問い合せ

    盆踊りにも楽しい会とイマイチな会があって、それを分けるものは音頭の上手さや音響の良さによるのではないかと思っている。どうしても没入感が変わる。
    そういった外的要因によって楽しさが変わるのはしょうがないことであるが、環境をもろともしない強さが手に入らないだろうか? と考える。

    自ら唄いながら踊ったのであれば常に大音量で、おのれが生み出す振動によってビートを刻めるのではないか。
    これができる人を大量に集めれば、どこにもないものすごい場が生まれる。
    あらゆる娯楽を超えていける。

    楽しみである。

    以上。

  • 立ち入り禁止になっていた大文字サイレント盆踊りのこと

    立ち入り禁止になっていた大文字サイレント盆踊りのこと

    自分が死んだとして、お盆にはあの世からこの世にちょこっと顔を出せるとして、そんな日に人々が輪になって踊ってくれていたら、めちゃめちゃ嬉しいだろうな。特に参加したことのある盆踊り会が脈々と続いてて、それを空から見下ろせたら、思い出に浸れて良いなぁ。

    2023年8月16日(水)、大文字サイレント盆踊りを実施した。
    ちょっと思い通りにいかないことがあって、当日は不満を抱いていたけれど、振り返ってみると良いことはたくさんあった。偶然の出会いや思いつきで前進した。
    この活動は続けるべきだ。
    台風とことなかれ主義に振り回されたとしても、頑張ろう。

    京都が暴風に襲われたのは15日で、その翌日の話である。
    拙者は踊り会場としている鴨川三角州は増水のため使えないのではないかと心配した。
    しかし、親切な友人が朝から現地の写真を撮って送ってくれた。
    飛び石は浸かっているが、デルタが沈没しているほどではない。
    天気予報を見ると台風一過で雨の心配はなく、去年と比べると条件は良いと思われた。
    旅の直後なので準備には手間取ったが、夕方になると出町柳駅に向かった。

    しかし電車内でスマホの通知がくる。
    仲間から写真が送られてきたところ、三角州への立ち入りはご遠慮ください、と書いてあるらしい。
    ムムム、とひるんだが、すぐに別の場所に切り替える判断が必要で。その判断をするのは拙者である。

    悩みを抱えながら駅に到着すると、すでに駅は臨戦態勢で、駅員さんが誘導し始めていたし、地上に出ると警官が警備を始めるところであった。
    祭りの前のあの物々しさが漂ってきていた。

    すでに仲間が視察し、代わりの会場の候補地を見繕ってくれていた。
    広々とした場所はいくつかあって、一方は少し段が高くなっていたり、もう一方は警官に近かったりする。
    むろん、警官に近い方を選んだ。

    準備は遅れ気味だった。急いで浴衣を着て、急いで灯籠を立て、とにかく音楽を流し、踊る。
    警官が近いので踊り手は萎縮気味だが、警備に忙しい人達がわざわざ取り締まったりしないことは明白であったし、もし取り締まられるのであれば、逆にテロリズムに走る覚悟であった。
    いや、ここはエロリズムにしておこう。

    エロく腰をふって踊りたいところであるが、残念ながら拙者は偏屈なので心に引っかかることがある。
    どうしても三角州で踊りたかった。
    彼の地を封鎖する法的根拠はないはずだ。
    もし河川敷が危ないのであれば、朝から封鎖すべきであって、送り火の実施時間だけ封鎖するのは、警察の怠慢ではあるまいか? 警備の楽さを動機として、河川敷を立ち入り禁止にしたのではないのか?
    くそう。
    などと考えると、踊りが楽しくなくなってしまう。
    彼の地ならもっと注目を浴びれるのに。飛び入り参加も増えるのに。灯籠が灯台みたいになってカッコいいのに。
    などと考えながら踊るので、いつもの調子が出ない。
    その場を全力で楽しめば良いのにな。

    こうして8時前になり、前半を終える。
    そして大文字が点火される。木の間から見る。あまり良い場所ではないが、それは重要ではない。こういうのをネタに仲間と集まれるのが重要。
    仲間の差し入れてくれた日本酒を飲む。
    祝という酒米を使った割には飲みやすく上品で美味い酒だった。
    今年も平穏に送り火が見れて良かった。

    と、記事を締めそうになっているが、実は踊りは後半もある。

    灯籠に興味を持った女性がカメラを向けてきた。
    「こんなものあったっけ?」と驚いたらしい。
    ご夫婦と3歳の子連れであったので、なにか子どもが喜びそうな曲をかけてみた。
    ジャンボリミッキー。
    これが子どもにかなりウケてこちらも楽しくなる。

    その後も色々とポップな曲を流して、おジャ魔女カーニバルが流れるとスペイン人の集団が来たんだっけ。
    たしか6人くらい。濃い顔の男たちが輪になったり列になったりで大盛りあがり。
    「おジャ魔女カーニバルは子どもの頃に聞いていた」
    と言ってたらしいが、いま何歳? どういうタイミングでスペインにおジャ魔女どれみが放送されていたんだ?
    謎は深まるばかりだった。

    その後、炭坑節を踊っていると、また外国人が来たんだったかな。
    ハーフの女性とアメリカ人のカップルだった。
    炭坑節はアメリカ人にもわかりやすくて、
    「Dig Dig Dig Dig! Carry Carry!」
    などと、動きを言うと、わかりやすいようだ。
    月を見るのは、Watch the moon、かなと思ったり、「Push Push! open!」と言ったりした。
    炭坑節はよい盆踊りである。

    また逆に、アメリカ人のお国のダンスを教えてくれと言ってみた。
    彼はそれを引き受けてくれて、「All My Ex’s Live in Texas」という曲をリクエストし、カウボーイっぽいダンスを披露してくれ、それを拙者たちも踊った。
    肩を組んだりして、宴っぽかったな。踊りは最高潮。

    Dance is no border.

    彼らが去った後は、しっぽりとナイトピクニックタイム。
    盆踊りとか、山本英さんについて熱弁したりした。
    結局のところ、拙者たちの仲間として集まったのは5人で、あとはゲストとして10人前後の人たちと踊ったわけで、3年目にも関わらず参加する人は増えていなくて、活動が伸びていない。
    このあたりを分析すると、別に人を多く集めたいわけじゃなくて、尖ったことがしたいという想いがあり、それって付いてこれる人は少ないよな、というのが結論。
    常人の範疇にいてたまるか! 一般人に合わせてたまるか! とさらにクレイジーさを磨く決意をした。

    後片付けをして「一本締めしようか」との意見があって、しかし、郡上帰りの拙者には、締めといえばまつさかである。体が自然に動いたし、歌詞は分からないまま掛け声だけで踊ってみた。それでも飽き足らず、江州音頭の締めの伊勢音頭っぽいものも唄ってみた。
    このなんだかよく分からない思いつきの踊りだが、変に高揚感があって心に響いた。他の4人にも伝わるものがあったようだ。
    この高揚感の正体はちゃんと把握してから書こうと思う。とにかく、これが活動の転機になるのである。
    後日譚ではあるが、唄いながら踊る集団になろうかなと思っているところ。

    家に帰って、スマホを操作し、一緒に踊ったアメリカ人のInstagramを見てみる。
    拙者達と踊ったショート動画がアップされていた。
    旅先で現地人と踊れるなんてめちゃめちゃオモロイもんな。印象的な出来事になっているに違いない。
    ずっと彼の記憶に残って欲しい。拙者達も彼から教わった曲と踊りを盆踊りラインナップに入れて踊り伝えていくよ。

    送り火の日に出町柳の三角州で踊る文化が脈々と続いて欲しいなぁ。
    それを空から見て、くすっと笑って、あの世に帰ろうと思う。

    以上。

  • 郡上の徹夜おどりに行ったけど、台風のせいで…【2.郡上おどり編】

    郡上の徹夜おどりに行ったけど、台風のせいで…【2.郡上おどり編】

    人は色んな理由で足止めされるわけだが、多くの旅を経験している人には普通のことだろう。

    台風接近のため、京都へ帰る高速バスが運休になった時点で、拙者には16日の夕方までには京都に帰らねばならぬ使命がのしかかってきた。なぜなら大文字サイレント盆踊りという企画を抱えていたからである。
    帰りの心配を抱えたままの旅であった。

    さてこの記事は、郡上の徹夜おどりに行ったけど、台風のせいで…【1.拝殿おどり・白鳥おどり編】の続きである。
    すえすけさんの車に乗せてもらい、拝殿おどり、白鳥おどりとハシゴした後の話。いよいよ郡上八幡の徹夜おどりへ繰り出そうとしていた。
    夜は更け、日付は15日に変わったばかり。
    暗がりの中の駐車場を軽自動車に乗って出発した後……。

    ここからは他者の失態を書かねばならぬので筆が重い。
    だが、旅日記としては最高の山場であるし、避けては通れない。
    誰にでも起こり得ることなので、他山の石としてほしい。

    深夜の国道にてすえすけさんは空腹を感じ、それを満たすためにコンビニに入ろうとした。右折入場である。
    あっという間の出来事であった。
    車は赤いポールめがけて真っ直ぐに進み、そのまま縁石に乗り上げ、飛び越え、自由を奪われた。
    拙者はビックリしたが、シートベルトを抜かりなくしていたので衝撃は受けていない。車から降りてみると、右前輪のタイヤがみるみるうちにぺちゃんこになっていくところであった。
    タイヤは空回りするばかりで、身動きとれないことはすぐに分かった。

    すえすけさんはパニックになられていたことだろう。拙者も車での事故経験はなく、あまり頼りにならないが、
    「警察に電話しましょう、保険屋さんに電話しましょう」
    などとアドバイスはした。
    JAFにはすぐに繋がって、警察官もまもなく来たが、加入している任意保険の連絡先が不明で、この点で不安を抱える。だ…‥大丈夫か? と思った。
    すえすけさんは事故に対処せねばならぬ上に、拙者に対しても気を使われて、
    「ここはほっといて、郡上八幡に向かって下さい」
    などと言われたが、なんらか解決の見通しが立たないと不安だし、
    「僕のことは全然気にしないで、問題解決しましょう」
    と、返した。
    すえすけさんにとっては、わざわざ京都から踊りに来た人を自分の失態で足止めさせて申し訳ない、という気持ちだっただろうな。事故の重みがましたことだろう。
    拙者の方はというと、予定通りに事が運ぶより、物語性がある方が好きなので、ぜんぜん平気。

    深夜の国道を走る車は少なかったけれど、興味深そうに事故現場を目視し、通り過ぎていった。
    さっきまでそっちの世界にいたんだけどな。
    まもなく任意保険の電話番号が分かり、そして参照もでき、ホッとして。さらにはJAFの方が来て、縁石からの脱出を処置された。
    これが職人芸で、感心した。
    枕木を積み上げて坂にして、縁石の上を一本橋のように通り抜ける。
    色々と難しい点があったようだが、最後には見事に脱出し、ぺしゃんこのタイヤにもかかわらず上手く動かし、コンビニの駐車場に移動された。

    この間、すえすけさんは拙者のために盆踊り界隈における人脈を発揮し、ほうぼうに連絡をとり、白鳥から郡上八幡に向かう人がいないかと探してくれ、何度か落胆した様子だったが、最後にはちょうど向かう人を探し当てたのである。
    めちゃめちゃすごいな、と思った。
    そして、その方も間もなく来てくれたのである。

    車はバンパーが割れていたのとタイヤがパンクした以外は無事。この時、スペアタイヤがあれば交換して走れる状況であったが、それはなく、パンク修理キットレベルではダメだった。
    どこかにレッカー移動だな、いつもの車屋さんはお盆休みだな、じゃあどこに移動してもらえば良いのか? などと混乱したが、JAFの方が親切で、近くのガソリンスタンド、あるいはタイヤ屋さんで交換してもらえるんじゃないかと結論が出た。
    この時、深夜3時前後なので、とにかく朝まで待って、電話で付け替えられるタイヤの在庫を確認して、その後にレッカー移動してもらう、という結論になった。
    これで解決の見通しが立ったわけである。

    後に聞いた話によると、朝の8時頃にはタイヤ交換してもらえて、すえすけさんは車を走らせて無事に帰られたそうである。
    結果からいうと、この程度で済んで良かったな、ということだろう。
    人をはねたり、車同士でぶつかっていたなら、もっと大変な事になっていた。
    拙者にとっては旅先で3時間ほど足止めを食らい、踊り時間が減ったわけだが、思い出深いエピソードになった。
    というわけで皆様、車の運転には充分に気をつけて下さい。

    さて、拙者の旅はまだ続く。念願の郡上八幡、徹夜おどりに行けたのだ。
    すえすけさんが呼び出してくれた方をここではさんと呼ぶことにする。解決の見通しが立った後はその場にいても役に立たないので、さんの車に乗せてもらい、郡上八幡に向かった。深夜の長良川沿いは湿度が高いようで、フロントガラスが曇った。
    車中でお話を伺っていると、このさんもすごい方で、郡上おどりや白鳥おどりの音頭を人前で唄えるレベルの人だと知った。

    買ったばかりの下駄をカラカラとさせ踊りの会場に到着する。踊り子が輪になり踊っている。中央にやかたが見える。
    拙者にとっては5年ぶりの郡上おどりで、ものすごく懐かしさを感じた。別に故郷でもないのに郷愁があった。踊り子たちが十字にぐるぐる回るあの世界は、拙者の記憶に深い印象を刻んでいたようだ。
    かといって、踊りは体に馴染んではいない。さっそく踊りの輪の中に入ったが、手慣れた踊り子たちの中でまだまだ新参者である。
    よそ者でもあるので知り合いはいないはずだったが、高島おどりで顔を合わせ、お喋りした方がいた。高島在住の方である。ここでは諏訪さんとお呼びしよう。
    声をかけたところ、ちょっとだけ勘違いされ、まあ良いかと思っていると、京都の人ってところで思い出してもらえたようである。
    その方は、積極的に唄っておられた。CDをめちゃめちゃ聞いて、習ってもいたそうだ。陽気で、楽しそうでいいなぁと思った。私も負けじと知ってる合いの手を発声し、ちょっとは慣れた奴ぶれただろうか。諏訪さんも今後はこの界隈で名を上げていくんだろうな。
    拙者が郡上おどりに参加できたのは、深夜3時半頃で、朝5時終了だとすると残り時間1時間半。大半の踊り子たちはすでに体力を使い果たした後のようで、しかし拙者は体力を余し気味。パーティーに遅れて行ったのは確かだったようだ。やたらにこやかに踊ってしまい、なに余裕ぶってんだ! と思われたかもしれない。

    踊り続けていると、真っ黒だった空は、徐々に、徐々に、白さが増していき、少しづつ魔法がとけていく。ああ、終わっちゃうんだな、と思った。さっきまで幻想の中にいたのに、リアルさに侵食される。艶やかな浴衣の美女たちはどこかに消えていく。
    春駒のどんちゃん騒ぎの後、まつさかで終わりを迎えた。
    踊り子たちは写真撮影タイムを迎え、そして散っていくのである。

    郡上の徹夜おどりを終えたが台風は接近している。拙者はなんとかして京都に帰らねばならない。
    さんの計らいで、美濃加茂方面まで乗せて行ってもらうことになったが、JRの運休の報が入っており、朝は動いている名鉄の駅まで送っていただいた。
    車中では盆踊りの楽しい話を聞かせてもらい、事故というトラブルはあったけれど新たなご縁ができて、面白いものだなと思った。
    さんは郡上おどりに初参加した当初から踊りよりも音頭の方に関心が高く、自身でバンドを結成され、今ではメンバーも増え、出演機会も豊富らしい。何事も続けるのが大事だなと感じた。
    今度はさん出演の盆踊り会に足を運ぼうと決意している。

    いいご縁があってありがたいなぁと、居眠りしながら名古屋駅に着いたのは7時半ごろ。街に出てほっと一息つけるはずが、安心できるものではなかった。
    新幹線も、JR各線も、近鉄も、高速バスも、京都へ向かうあらゆる交通機関は運休が決定していた。さらには、周辺のデパート等の大型商業施設は臨時休業だったのである。
    都心部らしからぬ姿を見せる名古屋駅で、どう動こうかと頭を悩ました。
    いくつか問題がある。
    ・徹夜おどりの後で汗をかいたままだ
    ・スマホの充電がどんどん消費され、充電器も持ってきていない
    ・夜を明かすことになるなら、どこを寝床にするか?
    ・夜を明かして何で帰るのか?
    ・旅費が潤沢というわけでもない
    ・大文字サイレント盆踊りには間に合うのか?

    これらの問題を抱え、閑散とする名古屋駅を徘徊するのである。

    つづく

  • 郡上の徹夜おどりに行ったけど、台風のせいで…【1.拝殿おどり・白鳥おどり編】

    郡上の徹夜おどりに行ったけど、台風のせいで…【1.拝殿おどり・白鳥おどり編】

    人の行き来が激しくなるお盆に台風が来るなんてどうかしてるし、
    台風が来ると分かっているのに郡上八幡の徹夜おどりに行くと決断するのもどうかしている。台風からは逃げられると信じていたのだが……。

    8月14日、連日の盆踊りで眠たい体を無理やり起こし、朝の8:40に京都駅を出発する高速バスに乗り、だいたい予定通りの12時前に郡上八幡インターに到着した時、空は晴れわたり日差しが暑かった。長良川のダイナミックな流れや小高い山の緑を見ると旅情があふれ、徹夜踊りを味わえる高揚感に足取りが軽くなった。
    しかし、すぐさま不安に苛まれることになる。
    予約していた帰りのバスの運休が決定した。
    こうして、3つほど予期せぬ出来事に出くわした旅が始まったのである。

    日本3大盆踊りをご存知だろうか?
    みなまでは言わないが、一つは岐阜県郡上八幡市の郡上おどりである。
    水が豊かな城下町で、長い日数実施されるし、お盆の4日間は徹夜で踊り明かすことでも有名。音頭と下駄の音が朝まで鳴り響く。

    拙者は郡上おどりin京都を4回ほど体験したし、現地の徹夜おどりも1度だけ体験済みである。
    また行きたいなと思いつつ、コロナ禍に阻まれていた。
    そして今年、ようやく完全復活を遂げる。行かねば、行かねば。

    だが、どうやって行こうか?
    バイクで走って、キャンプで1泊するのはどうか? という案も考えていた。これをすれば、白鳥おどりにも参加できる。
    あるいは、前回同様の0泊の高速バス弾丸トラベルはどうか? 徹夜おどりなので、宿泊する必要はないのである。
    考えているうちに、ヒヨコが孵化したり、でもいなくなったり、台風が来たりして、高速バス弾丸トラベルを選択する事になった。
    結果論として選択は失敗であった。撃ち放った弾は途中で失速し、帰れなくなったのである。
    バス会社は復路の対案も示さぬまま運休の連絡をよこした。

    さて、どうやって帰ろうか?
    と深くは考えないことにした。
    まずは踊り用の下駄を買う。遅い時間になると混雑するので早めに買ったほうが良い。

    次に、郡上八幡に来たらやりたいことがあった。
    それは川遊びである。
    町のすぐ近くを流れる川(吉田川)で遊ぶ人が多く、また橋の上から飛び込むのも有名である。
    泳ぐのが苦手であったがこの5年間で拙者は変わった。泳げる場所では泳ぎたい。
    家から水泳用のインナーを身につけてきたので、後は脱ぐだけ。
    暑い日なので川遊びする若者は多かった。まずは恐る恐る川に浸かってみる。
    冷たい。ひえひえだ。琵琶湖や温水プールに慣れた体には、想定外の冷たさだ。水は濁っていて清流とは言えない。どんな深さなのか全く分からない。
    初体験の拙者を横に、勝手知ったる人たちは岩場や橋から飛び込んでいる。
    自分もチャレンジしてみるべきだと思った。

    拙者は度胸も無鉄砲さもあるので、落ちるのはできる。
    しかしながら、飛んだ後は恐怖で身がすくむし、おっさんなのに「キャア」と声が出てしまう、入水時のフォームも悪くてめちゃめちゃ衝撃を受けてしまう。
    そこそこ町中で育ったから苦手なのはしょうがないよな、と自分を慰めたけれど、田舎で育ったとしても苦手だっただろうな。

    この川の冷たさに味をしめて、気温が暑くてもランニングができると確信した。
    周囲をぐるりと走り、町を体感した。特徴的なのはやはり水の豊かさ。鮎釣りの人をよく見かけるし、水を引いた場所をそこかしこで見かける。
    城山にもアタックし、満足感を得た。トータル7km。
    そして、再び川岸に行き、汗びしょびしょのウェアを脱ぎ、岩場から川に飛び込む。
    やはり怖くて「キャア」と声が出てしまうし、入水が下手でキンタマに衝撃を食らった。
    町中育ちなのでしょうがない。

    その後の時間は、旅先の暇時間になり、本来であれば夕食を食べて、夜8時の踊りスタートを待つだけだが、意外なエピソードを挟まねばならない。
    7月の高島おどりにてご縁をいただいたのだが、郡上おどりを含む奥美濃の踊りに詳しい方と連絡をやり取りする関係になり、「白鳥の拝殿おどりの練習会に行ってみませんか?」とお誘いをいただいた。「足がないので今回は厳しい」とお答えしたところ、「送迎しますよ」とのこと。最近は他力本願を念頭においているので、こういうお誘いは極力受けることにしており、「折角なので行きます」とお答えした。
    この答えにより、かなり旅の運命が変わる、一般的には悪い方に。

    午後6時半、日が暮れかかり、観光客がわさわさと町に出てきて、ちょっと温泉街の趣を見せる郡上八幡の通りを、拙者は逆に去る。国道に出て車に乗せてもらうためである。
    高速を飛ばしてやってきてくれたその人の名をここでは、すえすけさんとお呼びしよう。
    お会いするのは2回目であるので、いささか正体不明である。
    持っている情報としては、盆踊り好き、学生時代は京都にいた、2つくらい。
    車内でお喋りした結果、お仕事のことや、踊りよりも音頭や民謡に興味・造詣が深いことが判明した。
    山々に霞みがかった田舎道を軽自動車は走り抜け、白鳥の前谷白山神社に連れて行ってもらったのである。

    拝殿おどりというものを拙者はよく知らない。
    だが、Twitterに流れてきた動画を見た記憶がある。儀式感があって好きな感じだった。
    現場に行くと、おっちゃん方が集まっていて6・7人。すでに拝殿おどりの練習その1が実施された後で、女性陣は別の盆踊り会に出掛けたらしい。郡上おどり、白鳥おどりをはじめ、色んな場所で盆踊り会があるとのこと。

    少人数で踊られた拝殿おどりはどんな感じだったか?
    一言でいうと、大人のかごめかごめ。
    まず、拝殿というのはこんな感じ。

    京都の神社にも拝殿はあるけれど、神輿が置かれたり、献酒が置かれたり、太鼓の演奏があるようなイメージ。一般人が上って踊るイメージは全くない。
    拝殿おどりの本番は踊り子全員が拝殿に上って踊れる人数で行われるらしい。
    拙者も体験したが、踊りよりも唄が重要らしく、リーダーが歌い、フォロワーが返すパターン。七五調で、都々逸というのが似たものとして挙げられるだろうか。歌い手は歌える人が順番に回すらしく、その歌詞を手持ちカードのように繰り出すようだ。踊りはさほど難しくはなかったはず。
    下駄のリズムと生唄だけのかなり原始的な踊りだが、唄や踊りは流行に合わせて補充され、踊りの種類も歌詞も豊富らしい。
    すえすけさんは良い声で歌っておられたし、拙者も合いの手を多少頑張った。
    拙者はフレンチフォークダンス会にも参加するのだが、同じようにシンプルなステップと生唄だけの踊りがあり、原始的な踊りは世界共通だなと感心した。
    派手な楽しさはないものの、盆踊りの歴史が感じられ、脈々と受け継がれている流れに身を委ねる安心感があった。盆踊りの奥深さを感じたところである。

    とにかく、よそ者を受け入れてくださり、保存会の三島さまを筆頭に皆様に感謝を申し上げたい。
    ありがとうございました。

    拝殿踊りは夜の10時半頃に失礼し、白鳥おどりに向かった。
    白鳥おどりは噂に聞いていた。郡上おどりよりも速くて激しいと。石黒さんならそっちの方が好きじゃないかと言われていた。若者は白鳥おどりを好むとも聞いていた。
    ゆえに、いつか来ようと思っていた盆踊りであり、すえすけさんの計らいで体験できる事になった。感謝である。

    会場に到着すると、噂に聞いていたとおり若者たちが多い。どっから出てきたん?と思うほどに多い。
    さっそく踊りの輪の中に入ってみる。速い、ムズい。
    それなのに、なんでみんな悠々と踊れているのか? 郡上おどりには踊り初心者みたいな人も多いのに、白鳥ではそういう人をあまり見かけない。
    自分の踊れなさに唖然とする。
    ちょっといけそうな時もあるのだが、集中力を切らすと急に踊れなくなる。盆力が足りない。
    それでもなんとか輪の中には入っていたが、神代(じんだい)という曲はダメだった。輪から出ざる負えなかった。
    若者たちは余裕で踊ったり、駆け回るように踊ったり、ただの行進やないか!と思うレベルで踊ったりしていて、衝撃的だった。


    次回は、頭のフレッシュな序盤から参加して、踊りをマスターすべきだと思った。
    この地ですえすけさんは色んな人に声をかけられ、親しくし、この界隈の売れっ子なんだな、と思い知る事になった。

    ちなみに、なぜみんなあんなに踊れるのか? とすえすけさんに言ってみると、初心者は諦めて早々に輪から出るから、という答えだった。ガチ勢時間になっていたもんな。

    日付が変わってしばらくした後、本命だった郡上八幡へ向かうのであるが、想定外の出来事に見舞われるのである……。

    つづく