人は色んな理由で足止めされるわけだが、多くの旅を経験している人には普通のことだろう。

台風接近のため、京都へ帰る高速バスが運休になった時点で、拙者には16日の夕方までには京都に帰らねばならぬ使命がのしかかってきた。なぜなら大文字サイレント盆踊りという企画を抱えていたからである。
帰りの心配を抱えたままの旅であった。

さてこの記事は、郡上の徹夜おどりに行ったけど、台風のせいで…【1.拝殿おどり・白鳥おどり編】の続きである。
すえすけさんの車に乗せてもらい、拝殿おどり、白鳥おどりとハシゴした後の話。いよいよ郡上八幡の徹夜おどりへ繰り出そうとしていた。
夜は更け、日付は15日に変わったばかり。
暗がりの中の駐車場を軽自動車に乗って出発した後……。

ここからは他者の失態を書かねばならぬので筆が重い。
だが、旅日記としては最高の山場であるし、避けては通れない。
誰にでも起こり得ることなので、他山の石としてほしい。

深夜の国道にてすえすけさんは空腹を感じ、それを満たすためにコンビニに入ろうとした。右折入場である。
あっという間の出来事であった。
車は赤いポールめがけて真っ直ぐに進み、そのまま縁石に乗り上げ、飛び越え、自由を奪われた。
拙者はビックリしたが、シートベルトを抜かりなくしていたので衝撃は受けていない。車から降りてみると、右前輪のタイヤがみるみるうちにぺちゃんこになっていくところであった。
タイヤは空回りするばかりで、身動きとれないことはすぐに分かった。

すえすけさんはパニックになられていたことだろう。拙者も車での事故経験はなく、あまり頼りにならないが、
「警察に電話しましょう、保険屋さんに電話しましょう」
などとアドバイスはした。
JAFにはすぐに繋がって、警察官もまもなく来たが、加入している任意保険の連絡先が不明で、この点で不安を抱える。だ…‥大丈夫か? と思った。
すえすけさんは事故に対処せねばならぬ上に、拙者に対しても気を使われて、
「ここはほっといて、郡上八幡に向かって下さい」
などと言われたが、なんらか解決の見通しが立たないと不安だし、
「僕のことは全然気にしないで、問題解決しましょう」
と、返した。
すえすけさんにとっては、わざわざ京都から踊りに来た人を自分の失態で足止めさせて申し訳ない、という気持ちだっただろうな。事故の重みがましたことだろう。
拙者の方はというと、予定通りに事が運ぶより、物語性がある方が好きなので、ぜんぜん平気。

深夜の国道を走る車は少なかったけれど、興味深そうに事故現場を目視し、通り過ぎていった。
さっきまでそっちの世界にいたんだけどな。
まもなく任意保険の電話番号が分かり、そして参照もでき、ホッとして。さらにはJAFの方が来て、縁石からの脱出を処置された。
これが職人芸で、感心した。
枕木を積み上げて坂にして、縁石の上を一本橋のように通り抜ける。
色々と難しい点があったようだが、最後には見事に脱出し、ぺしゃんこのタイヤにもかかわらず上手く動かし、コンビニの駐車場に移動された。

この間、すえすけさんは拙者のために盆踊り界隈における人脈を発揮し、ほうぼうに連絡をとり、白鳥から郡上八幡に向かう人がいないかと探してくれ、何度か落胆した様子だったが、最後にはちょうど向かう人を探し当てたのである。
めちゃめちゃすごいな、と思った。
そして、その方も間もなく来てくれたのである。

車はバンパーが割れていたのとタイヤがパンクした以外は無事。この時、スペアタイヤがあれば交換して走れる状況であったが、それはなく、パンク修理キットレベルではダメだった。
どこかにレッカー移動だな、いつもの車屋さんはお盆休みだな、じゃあどこに移動してもらえば良いのか? などと混乱したが、JAFの方が親切で、近くのガソリンスタンド、あるいはタイヤ屋さんで交換してもらえるんじゃないかと結論が出た。
この時、深夜3時前後なので、とにかく朝まで待って、電話で付け替えられるタイヤの在庫を確認して、その後にレッカー移動してもらう、という結論になった。
これで解決の見通しが立ったわけである。

後に聞いた話によると、朝の8時頃にはタイヤ交換してもらえて、すえすけさんは車を走らせて無事に帰られたそうである。
結果からいうと、この程度で済んで良かったな、ということだろう。
人をはねたり、車同士でぶつかっていたなら、もっと大変な事になっていた。
拙者にとっては旅先で3時間ほど足止めを食らい、踊り時間が減ったわけだが、思い出深いエピソードになった。
というわけで皆様、車の運転には充分に気をつけて下さい。

さて、拙者の旅はまだ続く。念願の郡上八幡、徹夜おどりに行けたのだ。
すえすけさんが呼び出してくれた方をここではさんと呼ぶことにする。解決の見通しが立った後はその場にいても役に立たないので、さんの車に乗せてもらい、郡上八幡に向かった。深夜の長良川沿いは湿度が高いようで、フロントガラスが曇った。
車中でお話を伺っていると、このさんもすごい方で、郡上おどりや白鳥おどりの音頭を人前で唄えるレベルの人だと知った。

買ったばかりの下駄をカラカラとさせ踊りの会場に到着する。踊り子が輪になり踊っている。中央にやかたが見える。
拙者にとっては5年ぶりの郡上おどりで、ものすごく懐かしさを感じた。別に故郷でもないのに郷愁があった。踊り子たちが十字にぐるぐる回るあの世界は、拙者の記憶に深い印象を刻んでいたようだ。
かといって、踊りは体に馴染んではいない。さっそく踊りの輪の中に入ったが、手慣れた踊り子たちの中でまだまだ新参者である。
よそ者でもあるので知り合いはいないはずだったが、高島おどりで顔を合わせ、お喋りした方がいた。高島在住の方である。ここでは諏訪さんとお呼びしよう。
声をかけたところ、ちょっとだけ勘違いされ、まあ良いかと思っていると、京都の人ってところで思い出してもらえたようである。
その方は、積極的に唄っておられた。CDをめちゃめちゃ聞いて、習ってもいたそうだ。陽気で、楽しそうでいいなぁと思った。私も負けじと知ってる合いの手を発声し、ちょっとは慣れた奴ぶれただろうか。諏訪さんも今後はこの界隈で名を上げていくんだろうな。
拙者が郡上おどりに参加できたのは、深夜3時半頃で、朝5時終了だとすると残り時間1時間半。大半の踊り子たちはすでに体力を使い果たした後のようで、しかし拙者は体力を余し気味。パーティーに遅れて行ったのは確かだったようだ。やたらにこやかに踊ってしまい、なに余裕ぶってんだ! と思われたかもしれない。

踊り続けていると、真っ黒だった空は、徐々に、徐々に、白さが増していき、少しづつ魔法がとけていく。ああ、終わっちゃうんだな、と思った。さっきまで幻想の中にいたのに、リアルさに侵食される。艶やかな浴衣の美女たちはどこかに消えていく。
春駒のどんちゃん騒ぎの後、まつさかで終わりを迎えた。
踊り子たちは写真撮影タイムを迎え、そして散っていくのである。

郡上の徹夜おどりを終えたが台風は接近している。拙者はなんとかして京都に帰らねばならない。
さんの計らいで、美濃加茂方面まで乗せて行ってもらうことになったが、JRの運休の報が入っており、朝は動いている名鉄の駅まで送っていただいた。
車中では盆踊りの楽しい話を聞かせてもらい、事故というトラブルはあったけれど新たなご縁ができて、面白いものだなと思った。
さんは郡上おどりに初参加した当初から踊りよりも音頭の方に関心が高く、自身でバンドを結成され、今ではメンバーも増え、出演機会も豊富らしい。何事も続けるのが大事だなと感じた。
今度はさん出演の盆踊り会に足を運ぼうと決意している。

いいご縁があってありがたいなぁと、居眠りしながら名古屋駅に着いたのは7時半ごろ。街に出てほっと一息つけるはずが、安心できるものではなかった。
新幹線も、JR各線も、近鉄も、高速バスも、京都へ向かうあらゆる交通機関は運休が決定していた。さらには、周辺のデパート等の大型商業施設は臨時休業だったのである。
都心部らしからぬ姿を見せる名古屋駅で、どう動こうかと頭を悩ました。
いくつか問題がある。
・徹夜おどりの後で汗をかいたままだ
・スマホの充電がどんどん消費され、充電器も持ってきていない
・夜を明かすことになるなら、どこを寝床にするか?
・夜を明かして何で帰るのか?
・旅費が潤沢というわけでもない
・大文字サイレント盆踊りには間に合うのか?

これらの問題を抱え、閑散とする名古屋駅を徘徊するのである。

つづく

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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