コロナ禍がきっかけで途絶えた文化があると思う。
途絶えるものは人知れず終わるのだ。うら寂しき世の無常。
盆踊りもコロナ前と踊りが変わった話を聞くし、京都に範囲を狭めてもコロナ以降開催していない地域の踊り方は忘れ去られてしまうかもしれない。

拙者はこういうものに関してクールであるので、滅ぶものは滅んでしまえと思っている。
少子化Japanであるし、あれもこれもと言ったところで受け継ぎ手がいないのである。
映像化しとくのが関の山だな。
少子化対策に力を入れない点において、現政権を支持できない。ぜんぜん保守じゃない。

悲しむなかれ、滅ぶものもあれば生まれるものもあるはずだ。
コロナ禍がきっかけで生まれた文化がそろそろ芽吹く時期かもしれない。
盆踊りについて言うと、コロナによってのらぼんが活発になったらしい。

のらぼんとはなにか?
検索すると出てくるが、野良の盆踊り。
公園などに盆踊り愛好者が集まって、勝手に踊る会をのらぼんと言うようになりつつあるらしい。
コロナ禍で盆踊りの中止が相次いで、勝手に集まって勝手に踊る文化が生まれた。
自分らで曲流して、唄って、踊ったらええじゃないか、と。

京都において拙者がやり始めたサイレント盆踊りも、まさしくのらぼんであるし、こないだ実施した踊れや唄えやの盆踊り練習会も、まさしくのらぼんであった。

練習会は9/22(金)に実施したが、鴨川デルタにおいて、6人が集まって、自分たちで唄う唄、掛け声で踊った。江州音頭、炭坑節、ドンパン節をやった。
日が落ちだす時間の河川敷は良い風が吹いて、夕涼みと踊りを兼ねたような雰囲気で、いいムードだった。
本来の夕涼み勢にとってはうるさくて申し訳なかったが、あくまでも自分たちの発声が届く範囲の小規模であるので許してくれたまえ。

拙者の感想としては、唄いながら踊るのはめちゃめちゃ体力を消耗するので、めちゃめちゃ練習が必要だと思った。
他の参加者は声出しながら踊ると楽しい、と言っていた。
道具をほとんど使わずに楽しさを生み出すのであるから、人間パワーの最大出力である。
その結果、何が起こるかというと、パラパラ雨が降ってきた。
だいたいいつもこうだ。

のらぼんというのは、原点回帰なんだろうな。原初の盆踊りスタイル。
原点から見れる奴は強い。あらゆるものに根があるし、枝葉を追うには多すぎるし。

のらぼんというフレーズを聞いて、拙者も大きな流れの中に存在しているんだなと感じる。
コロナ禍でスタートを切ったのは我々だけではなかった。
どこかで同じことを考え、実施した仲間たちがいるのだ。これはとても勇気づけられる。
我々もこの方向で進んでいこう。
盆踊りは活況なり!

以上

投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です