近江商人は「三方良し」を理念に商売したと聞く。
「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」の三方。
自分視点で生きて自分の主張を曲げないのも強いけれど、多視点で状況判断する方が、最終的には信頼を得られ、生きやすくなる。
先日、拙者は盆踊りの主催者サイドに立ってみたところ、踊り子サイドとは違う価値基準があると発見した。
拙者のように経験値の高い盆フェスダンサーは主催者サイドから歓迎されると思っていたが、それは勘違いであった。
邪魔になるときもある(笑)
踊り子サイド
踊り子はそれぞれに志向が違うので、欲求には強弱があるし、明確に語る人も少ないので、ここは主に拙者の視点で語らねばならない。
・良い音響で踊りたい
・生音頭なら上手い人がいい
・上手く踊ってほどほどに注目を浴びたい
・スペースが広々してるとありがたい
・おなごが浴衣姿で踊るのを見たい
・踊りの上手い人がいると燃える
・屋外で大騒ぎしたい
・事前に曲目が分かると嬉しい
拙者は上記だが、他の人は
・仲間と踊りたい、仲間を増やしたい
・ナンパしたい
・自分が中心になって踊りたい
・トランス状態に入りたい
・学んだ踊りを披露したい
・音頭取りさんのファン
などの欲求があろうかと思う。また、経験によって求めるものが変わることもある。
さてもう一方の主催者サイドはどうだろうか?
主催者サイド
主催者にも色んな思惑があると思うが、拙者が仕切った小さな盆踊り会を想定する。
・とにかく1重の輪が成立するくらいの人を集めたい
・見本になってくれる人を集めたい
・かといって、ガチ勢ばかりを集めたいわけじゃない
・地域の人や初心者が輪に入りやすいようにしたい
・盆踊りとして映える雰囲気を作りたい
・浴衣を着て欲しい。特に女性の浴衣は華々しくて良い
・子どもたちに踊って欲しい。ほのぼのとして良い絵になる
・最初から最後まで踊って欲しい
・曲を選り好みしないで欲しい
・経験者が一斉に輪から抜けないで欲しい
・見本になれる人は連なって踊らないで欲しい。適度に散って踊って欲しい
・途中で踊りを変える場合は目立たない場所でやってほしい
・掛け声を出して盛り上げて欲しい
・見てる人に「どうぞ輪に入って」と声をかけてくれるとすごく嬉しい
・華々しい踊りを披露してくれる人がいると嬉しい
とにかく主催者視点では、最初から踊ってくれるとか、ずっと踊ってくれるとか、周りに配慮できるとかが重要で、踊りの上手さの価値は低い。
初心者に分かりやすい踊りをしてくれて、そういう踊り子数名をスタート時間に集めてくれるような人が一番ありがたい。
◯
このように、踊り子サイドと主催者サイドでは価値基準が違っている。
いや、価値基準がピッタリ合う組み合わせもあるし、全然合わない場合もあるんだろうな。
実例を上げると、京都左京区の熊野寮やかもがわデルタフェスは主催者が熱狂を求めているようで、拙者との相性はめちゃめちゃ良い。
かたや、上七軒とかは雅やかすぎて合わないし、規模が小さな会で本気出すと場を呑んでしまいがち。愛を持って欠席、という判断が必要になってくる。
あるいは、主催者側は惰性で盆踊りをプログラムに入れている会もあって、そもそも盆踊り自体へのやる気がなかったりする。
盆踊りのイメージが悪くなるのでさっさとやめてほしいが、付け入る隙がないか狙ってみたいところではある。
とまぁ、話が少しそれたけど、踊り子側は踊りの上手さに価値を置きがちだけれど、主催者側から見るとそこはあまり重要ではないということが発見であった。
「踊りの上手さは関係ないよー、みんなで踊れるだけで価値があるんだよー」
と、今後はみんなに声をかけようと思う。
拙者はこうして主催者側の視点にも立ち、同時に踊りの上手さも求めていくのである。
やっぱり浴衣姿のおなごの注目を集めたいわけなので、神話のような踊りを目指していく所存。
テヘヘ。
以上。
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