自分が死んだとして、お盆にはあの世からこの世にちょこっと顔を出せるとして、そんな日に人々が輪になって踊ってくれていたら、めちゃめちゃ嬉しいだろうな。特に参加したことのある盆踊り会が脈々と続いてて、それを空から見下ろせたら、思い出に浸れて良いなぁ。

2023年8月16日(水)、大文字サイレント盆踊りを実施した。
ちょっと思い通りにいかないことがあって、当日は不満を抱いていたけれど、振り返ってみると良いことはたくさんあった。偶然の出会いや思いつきで前進した。
この活動は続けるべきだ。
台風とことなかれ主義に振り回されたとしても、頑張ろう。

京都が暴風に襲われたのは15日で、その翌日の話である。
拙者は踊り会場としている鴨川三角州は増水のため使えないのではないかと心配した。
しかし、親切な友人が朝から現地の写真を撮って送ってくれた。
飛び石は浸かっているが、デルタが沈没しているほどではない。
天気予報を見ると台風一過で雨の心配はなく、去年と比べると条件は良いと思われた。
旅の直後なので準備には手間取ったが、夕方になると出町柳駅に向かった。

しかし電車内でスマホの通知がくる。
仲間から写真が送られてきたところ、三角州への立ち入りはご遠慮ください、と書いてあるらしい。
ムムム、とひるんだが、すぐに別の場所に切り替える判断が必要で。その判断をするのは拙者である。

悩みを抱えながら駅に到着すると、すでに駅は臨戦態勢で、駅員さんが誘導し始めていたし、地上に出ると警官が警備を始めるところであった。
祭りの前のあの物々しさが漂ってきていた。

すでに仲間が視察し、代わりの会場の候補地を見繕ってくれていた。
広々とした場所はいくつかあって、一方は少し段が高くなっていたり、もう一方は警官に近かったりする。
むろん、警官に近い方を選んだ。

準備は遅れ気味だった。急いで浴衣を着て、急いで灯籠を立て、とにかく音楽を流し、踊る。
警官が近いので踊り手は萎縮気味だが、警備に忙しい人達がわざわざ取り締まったりしないことは明白であったし、もし取り締まられるのであれば、逆にテロリズムに走る覚悟であった。
いや、ここはエロリズムにしておこう。

エロく腰をふって踊りたいところであるが、残念ながら拙者は偏屈なので心に引っかかることがある。
どうしても三角州で踊りたかった。
彼の地を封鎖する法的根拠はないはずだ。
もし河川敷が危ないのであれば、朝から封鎖すべきであって、送り火の実施時間だけ封鎖するのは、警察の怠慢ではあるまいか? 警備の楽さを動機として、河川敷を立ち入り禁止にしたのではないのか?
くそう。
などと考えると、踊りが楽しくなくなってしまう。
彼の地ならもっと注目を浴びれるのに。飛び入り参加も増えるのに。灯籠が灯台みたいになってカッコいいのに。
などと考えながら踊るので、いつもの調子が出ない。
その場を全力で楽しめば良いのにな。

こうして8時前になり、前半を終える。
そして大文字が点火される。木の間から見る。あまり良い場所ではないが、それは重要ではない。こういうのをネタに仲間と集まれるのが重要。
仲間の差し入れてくれた日本酒を飲む。
祝という酒米を使った割には飲みやすく上品で美味い酒だった。
今年も平穏に送り火が見れて良かった。

と、記事を締めそうになっているが、実は踊りは後半もある。

灯籠に興味を持った女性がカメラを向けてきた。
「こんなものあったっけ?」と驚いたらしい。
ご夫婦と3歳の子連れであったので、なにか子どもが喜びそうな曲をかけてみた。
ジャンボリミッキー。
これが子どもにかなりウケてこちらも楽しくなる。

その後も色々とポップな曲を流して、おジャ魔女カーニバルが流れるとスペイン人の集団が来たんだっけ。
たしか6人くらい。濃い顔の男たちが輪になったり列になったりで大盛りあがり。
「おジャ魔女カーニバルは子どもの頃に聞いていた」
と言ってたらしいが、いま何歳? どういうタイミングでスペインにおジャ魔女どれみが放送されていたんだ?
謎は深まるばかりだった。

その後、炭坑節を踊っていると、また外国人が来たんだったかな。
ハーフの女性とアメリカ人のカップルだった。
炭坑節はアメリカ人にもわかりやすくて、
「Dig Dig Dig Dig! Carry Carry!」
などと、動きを言うと、わかりやすいようだ。
月を見るのは、Watch the moon、かなと思ったり、「Push Push! open!」と言ったりした。
炭坑節はよい盆踊りである。

また逆に、アメリカ人のお国のダンスを教えてくれと言ってみた。
彼はそれを引き受けてくれて、「All My Ex’s Live in Texas」という曲をリクエストし、カウボーイっぽいダンスを披露してくれ、それを拙者たちも踊った。
肩を組んだりして、宴っぽかったな。踊りは最高潮。

Dance is no border.

彼らが去った後は、しっぽりとナイトピクニックタイム。
盆踊りとか、山本英さんについて熱弁したりした。
結局のところ、拙者たちの仲間として集まったのは5人で、あとはゲストとして10人前後の人たちと踊ったわけで、3年目にも関わらず参加する人は増えていなくて、活動が伸びていない。
このあたりを分析すると、別に人を多く集めたいわけじゃなくて、尖ったことがしたいという想いがあり、それって付いてこれる人は少ないよな、というのが結論。
常人の範疇にいてたまるか! 一般人に合わせてたまるか! とさらにクレイジーさを磨く決意をした。

後片付けをして「一本締めしようか」との意見があって、しかし、郡上帰りの拙者には、締めといえばまつさかである。体が自然に動いたし、歌詞は分からないまま掛け声だけで踊ってみた。それでも飽き足らず、江州音頭の締めの伊勢音頭っぽいものも唄ってみた。
このなんだかよく分からない思いつきの踊りだが、変に高揚感があって心に響いた。他の4人にも伝わるものがあったようだ。
この高揚感の正体はちゃんと把握してから書こうと思う。とにかく、これが活動の転機になるのである。
後日譚ではあるが、唄いながら踊る集団になろうかなと思っているところ。

家に帰って、スマホを操作し、一緒に踊ったアメリカ人のInstagramを見てみる。
拙者達と踊ったショート動画がアップされていた。
旅先で現地人と踊れるなんてめちゃめちゃオモロイもんな。印象的な出来事になっているに違いない。
ずっと彼の記憶に残って欲しい。拙者達も彼から教わった曲と踊りを盆踊りラインナップに入れて踊り伝えていくよ。

送り火の日に出町柳の三角州で踊る文化が脈々と続いて欲しいなぁ。
それを空から見て、くすっと笑って、あの世に帰ろうと思う。

以上。

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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