別に自給自足の生活をしたいわけじゃないのだが、サスティナブルやごみゼロを考えると、自給自足に近くなる。

拙者は自給自足の生活を目指しているわけではない。
なんにでもその道のプロはいるもので、自分で作るよりも高品質で納得のいく価格のものを売ってくれるなら買えばいいと思っている。
また、市場にたくさんあるものを自分で作るよりも、ちょっとしかないものを作った方が良いということも分かる。
たとえば野菜とかって安いと思う。野菜づくりは時間がかかるしちゃんと育たない場合もあるし、農家さんに感謝し売ってもらえば良いのだ。

しかし、サスティナブルやごみゼロの観点で見ると話が変わってくる。
拙者は生ゴミを出したくないので、庭の土に埋めている。あるいはコンポストで堆肥化する人もいるだろう。
土や堆肥が手元にあるなら、じゃあ野菜も育てたほうが合理的だな、という志向になるのだ。
だいたい多くの野菜はポリ袋に入れられて売られているので、そのポリ袋が不要で邪魔なのである。
昔ながらの八百屋さんは今でも籠盛りで売られているが、スーパーにしても直売所にしても商品がポリ袋に包まれている。これはバーコードとレジのせいかと思うのだが、とにかくいらん。
あるいは、ニワトリを飼うと糞が出てくるので、その糞を有効利用するために野菜を育てようという志向にもなる。

サスティナブルの視点でいくと、暖房にも化石燃料を使いたくない。流石に調理やお風呂はガスや電気を使っているのだが、暖房は薪ストーブを使いたい。これは趣味でもあるのだが、エネルギーの自給自足ということになる。
そもそも、家で燃やせるものを燃えるゴミに出して、灯油をわざわざ買うのって馬鹿げてないかい? まぁ、置き場所の効率性を考えると馬鹿げてはいないのだが、もし近くに燃やせる木々が豊富なのであれば、どこかの産油国から運ばれたエネルギーを使うよりも断然正しい。

上記の通り、サスティナブルやごみゼロを考えると、自給自足に近づいていくのである。
これは社会が未熟だからだ。
自分の理想を追うと、自立した生活を目指さねばならない。
ほどほどに人と関わりながら生きていきたいのにな。

都市型の生活は生態系が壊れているんだよ。
昨日、金原ひとみさんのワンオペ育児の寄稿文(母の仮面が苦しいあなたへ 「自分」は今もそこにいる)を拝読したのだが、子育てがしんどいってことは人間の生態系が壊れてるよなって思った。
仕事、生活、価値観など、都市型の生活は人間として生きるには環境が壊れている。
ニワトリが駆け回り、子どもたちも駆け回れるような環境でしか、人は本来生きていけないんじゃないのかい?

都会に憧れた人や、ずっと都市に住んでる人はこういうことに気づけないんだろうな。
拙者は自分で作った小屋で暮らし、今も古い民家を借りて、庭のある暮らしを体験し、畑にしたり、ニワトリを飼うなどして、やっと時間を取り戻せた。そして人間の生育環境の壊れっぷりに気づけた。

都市に生きる多くの人は、生きる自信がない。
だから知名度があるなにかに行列を作ったりするのだ。
共感を求めて消費し、自尊心を求めて消費する。
空っぽやな。

こんな感じで、生態系が壊れているぞと警笛を鳴らしつつ、サスティナブルやごみゼロを目指して頑張って生きていく。

ちなみに娯楽は自給自足が一番楽しいよね。

以上。

投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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