拙者はくよくよと生きることを自分のキャラにしてきたが、この頃は自分に自信を持っている。
それってつまりは井の中の蛙ってことなんやけど、たいてい自信を持っている人は井の中の蛙だってことに気づいた。
自信を持ちたいのであれば井の中の蛙になれば良い。

拙者の社会的ステータスを見ると、自信を持てるはずもない。
収入はないし、独身でパートナーもなく、SNSのフォロワー数も少なく、とびきりのイケメンでもなく、小説家になりたかったけどぜんぜんなれず、金が無いので落ちてるドングリを拾って食べ、あまりお金のいらない盆踊りやランニングを楽しんでいる。
くよくよ、くよくよ。

しかし、最近では謎の自信を持っている。
これっていうのはおそらく、社会への関心が低下しているのと、評価されることへの興味も同じく下がっていることに起因すると思う。
拙者が今注目しているのは自分の健康と生活だけである。たまに仲間や友達のいる所属コミュニティには関心を払うのだけど、「自分の生活が第一」という野党だったら絶対に票が集まらないであろうキャッチフレーズな生き方になっている。

「自分の生活が第一」な拙者の生活っぷりを多くの人は評価せず、また羨ましがらないであろうけれど、群を抜いている。
毎日玄米を精米して炊きたてのご飯を食べている。毎日煮干し(頭と腹を取る)で出汁をひいた味噌汁を飲んでいる。自分で採集したドクダミを干してお茶にして飲んでいる。ぬか床を管理しぬか漬けを食べている。小さく畑を維持している。自作の柚子胡椒を汁物に入れると美味しい。ニワトリを育てている。米ぬかぼかしを作る。薪ストーブで暖を取る。食べれるドングリを研究している。勝手に庭に生えてきたニラのような草を天津飯にいれて調理している。
こんな風に、生活者としてのレベルが異常に高い。
そして不思議なことに上記が自信の源になっている。

自分の生活にしか興味のなくなった男が生活者としてレベルを上げることに満足して生きる。まさに井の中の蛙なのである。
これは、金儲けに興味のある人が金儲けして自信を持つのも、異性に興味のある人が異性と性交渉をして自信を持つのも、結局は井の中の蛙で、家族の幸せが第一という人も、ゲームに夢中になるのも、だいたい井の中。
自信を持つってのはこういうことだな。

言いたいことは3つある。
自信を持っている人は魅力的に映るらしいけど、しょせんは井の中の蛙だということ。
自信のない人は興味・関心の範囲が広いわけで、それって悪いことじゃないよなってこと。
生活に自信を持つと毎日そこに戻れるので、気持ちが安定しやすいってこと。

自信があるのもないのも、両方に良い面がある。

だが、歳を重ねると、新しいことにチャレンジせず、興味・関心も失い、しょぼい自信を頼りに生きるようになるのかもしれんな。
生活者としての自信はただの老化なのかも……。

まだまだチャレンジしよう。
くよくよしよう。

以上

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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