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  • 朝寝坊に勝つための入浴習慣

    朝寝坊に勝つための入浴習慣

    拙者は連敗中で、何に敗北しているかというと、朝寝坊との闘い。
    今日なんか、むしろどれだけ寝ていられるかってチキンレースみたいになってしまい、まだ起きんぞ、まだ追い詰められてはいない、と9:50まで布団の中だった。
    それ故すべてが30分遅れで進行し、あくせくせざる負えない。1.2倍速で動く。
    でも、充分に寝たお陰で判断力は増していた。脳みそが冴えわたり、お料理が全部美味しくできた。
    やはり寝るのも大事。

    とにかく連敗中なのだが、良い発見もあって、それはお風呂についてだ。
    朝寝坊なのは、胃腸の調子や、体温や、疲れ、不眠など諸々の要因によって引き起こされる。
    あ、まず前提として、何らかの約束がある時は朝寝坊しません。そういう時の意思は固い。特段大事な用もないのに、豊かさのために早起きしようと思っているだけ。
    だから、現状では睡眠を優先させたほうが豊かになるんだろうなぁ。
    だけど、色んな習慣を変えることによって、たとえば早寝するとか、で朝寝坊をやめたいのである。

    話を戻して、入浴についての発見の話。

    まず、これまでは夕食→風呂だったのだが、これは良くないらしい。
    なぜならば、食後すぐに風呂に入ると全身に血液が回り、胃腸に血液がいかないため消化に良くないとのこと。
    体を温めた方が消化に良いと思っていたのだが、これは勘違いだった。
    食事をしたら、2時間は風呂に入らないほうが良いらしい。
    だから、夕食→ブログ→風呂に変えてみたところ、たしかに朝のお腹のスッキリ感が違う気がする。

    今後は、帰宅→風呂→夕食→ブログに変えたい。
    でも、寝る前3時間は食事をするなとも言うし、なかなか矛盾をはらんでいて難しいぞ。
    なんとか、調整したい。

    次に、風呂の温度の話。
    拙者は熱い風呂が好きで、ギリギリ我慢できるくらいの湯に入って、ぬおおおお、となりたいタイプだったが、良くないようだ。
    20分くらい浸かってほんのり額に汗が出てくるくらいが丁度良いらしい。39℃前後。
    風呂用の温度計がいるなと思いつつ、いつもよりぬるめのお湯に浸かってみたところ、たしかに効果があって、湯冷めしにくいのを実感。過剰に汗をかくと、湯冷めするんだって。
    また、熱疲労というのもあって、熱いお湯だとお風呂に入ったにも関わらず、疲れてしまう。
    今後はぬるい湯にする。風呂用の温度計も買おう。

    ちなみに銭湯は熱めが多いと思うのだが、そういう時は額に汗が出たら風呂から出て休む、というのを繰り返すのが良いようだ。
    水風呂もあるから、上手く利用すればいいかもね。

    というわけで、朝寝坊に根性で打ち勝とうとするのではなく、周辺からじわじわ追い詰めていこうと思う。
    朝寝坊などにスキを与えぬぞ。
    勝利の日は近い!

    以上。

  • 説教は快楽、それを避けるには?

    説教は快楽、それを避けるには?

    人間と社会には多くのバグがある。バグを自覚してパッチを当てるように生きようと思っている。

    人間には食欲があるし、それがないと生きていけないけれど、現代社会で食欲を野放しにすると、肥満など生活習慣病に苛まれるし、見た目も悪くなる。
    だから、「これ以上食べると問題が起こるぞ」とパッチをあてる。
    「スイーツを食べると脳に快楽物質が出るけど、あとで頭がボーっとなるからやめとけ」とパッチを当てる。

    人間の体は動物のままなのに、環境が変わってしまって、バグが生まれる。
    体も環境も簡単には変えられないので、欲求をコントロールする必要がある。

    と、小難しいことから書き出したけど、もっと身近なところで発見があった。

    今日、母に対して、ああした方がいい、こうした方がいいって説教っぽいことを言った。これは、親切心からスタートしたのだが、どうも言ってるうちに、気持ちよくなってくる自覚があり、もっと指摘したいような気になってしまった。
    あれ? そんなキャラじゃないのに! と思った。
    この心境を調べてみると、説教は快楽であり、ドーパミンが分泌するとWebの記事で出てくる。

    ためになる説教なら良いと思うが、一方は気持ちよくなり、もう一方は不快になるようなコミュニケーションっていらんよな。

    そういえば、人狼ゲームの司会役をやっていた時、ゲーム終了後に敗因などを指摘したがるプレイヤーがたまにいて、キモいなって思って、何度か制した憶えがあるのだが、あれはああやって気持ちよくなっていたのか。
    そういうタイプに自分が近づいてきたと思うと、ガックリくる。

    まだ理解をしきれていないのだが、こういうのはオジサンに多い症状だと思うが、オバサンでも同じ症状があるのだろうか?
    あるいは、年齢を問わず、スキあらば説教したいものなのだろうか?
    オジサンに特有だとするならば、なにがそうさせるのだろうか?
    これらの疑問を持った。

    説教すると気持ちよくなるのは、自分と同じ考えの人が多いと生存に有利になるから、かな?
    あるいは、マウンティング欲求が満たされるから、かな?
    拙者は心理学者じゃないので、ちょっと分からん。
    疑問のまま寝かしておく。

    分からぬまま対策せねばならないとして、
    この説教快楽パッチは、
    聞かれたこと以外喋らない。アドバイスしない。喋りたいことは全部ブログに書いておく。
    自分が出す説教対策はこれでいいかな。

    人からの説教対策としては、
    「私は口頭でのご指摘が頭に残らないので、文章にしていただけますか」
    と、言うことにしよう。
    たぶん、「そんな時間はない」
    と言われるので、
    「でしたら、お互い時間の無駄になりますので、結構です」
    というので、良いんじゃないかな。

    拙者には上司などいないので、誰か試してみて下さい。
    火に油を注ぐかもしれんなー。わははー。

    こうやって、パッチを当てて欲求をコントロールしつつ、時には動物に戻り、山野を駆け巡ったり、一心不乱に踊ったり、そうやって生きていく。
    でも、AIが発達したあとは、動物時間を増やしたほうが良いかもなー。

    以上。

  • 誰かのために生きるほうが、なにかと怖い

    誰かのために生きるほうが、なにかと怖い

    残念ながら、今日も朝寝坊だった。
    敗因は夕飯を食べすぎて、消化に時間がかかりすぎ、頭がスッキリしなかったせいかと思っておる。
    もちろん、遅くまでスマホを触っていたのだが、それは良しとする。

    拙者にとって朝の散歩はさほど魅力的じゃないのかなぁ。この桜の頃においても布団を出る圧力がかからないとは、風流心がないなぁ。

    逆に何があれば起きられるのか?
    そうだなぁ、可愛い彼女の朝食を作るためになら起きれる。必ず起きれる。
    いや、必ずではないか、「あ、ゴメン、起きれなかった」という日もある、「いいよ、いいよ、グラノーラでいいよ」って彼女は言うんだけど、違うんだよ食べさせたいだけなんだよ、君にありがとうって言って欲しいいんだよ、という気持ちになって、翌朝はきっと起きれる。
    まぁ、これは妄想だ。

    この歳になると、自分のためだけに生きるのは限界がある。そんなことを今田耕司氏が言っていたし、我々世代の有名な歌、アスファルトタイヤを切りつけながら、で始まる歌もそんな歌詞だ。

    It’s your pain or my pain or somebody’s pain
    誰かのために生きられるなら
    It’s your dream or my dream or somebody’s dream
    何も こわくはない

    Get Wild

    いや、むしろ独りで生きている方が何も怖くなくて、銃を乱射する無敵の人とかが生まれるわけで、誰かのために生きるほうが怖いものが増えるというのが実際のところだ。
    でも、怖いものの話をしているわけではなく、いざ何かの行動を起こそうとする時に、誰かのためにならないことは、あまりにも億劫。
    自分のためだけに行動するのは、限界がある。
    だから拙者は早起きなどできない。

    とまぁ、言い訳ばかりをしてきた人生でした。

    誰かのために生きることに、全振りできなかったからここにいるくせに、何を言ってやがるんだ、まったく。プンプン。
    ブチギレじゃー、こんにやろう。
    戒律なんだから守ればいいんだよ、そこに理由は必要ない。
    戒律が嫌なら、戒律を変えろ。自分で決めたんだろうがー。

    と、キレキャラを発揮して、4月1日から頑張る♪
    今は助走期間ってことで、許す。
    戒律を破っても、拙者は拙者を許す。

    以上。

    今読んでいる本

    不思議の国のアリス

  • 朝寝坊禁止にしたいのだけど

    朝寝坊禁止にしたいのだけど

    朝寝坊を戒律で禁止にしたい。
    普通の時間に起きて、爽やかに朝の散歩とかに出かけたい。

    現在は夜更かしも惰眠も許可していて、平日は7時半に起きようと思いつつ、9時か9時半まで寝ているし、夜は枕元のスマホでだらだら執筆していたりする。
    拙者はお布団作家を自認しており、お布団の中でぬくぬくと小説を書くのである。スマホ時代の作家ここに現る。冬場はこれが一番エコロジーなのである。ちなみに寝ている時間は取材時間で、夢に見たことを小説として書けたら便利だなぁと思っている。
    だから、夜更かしも惰眠も限界まで許可しているのである。
    お布団にいることが本業なのである。

    だが、生活を大事にした方が、心が豊かになって執筆が捗るのじゃなかろうかと思ったりして、朝寝坊を禁止にすべきかなぁと、昨日から悩んでいる。

    家での独り酒禁止の戒律は昨年末からきちんと守られていて、はや4ヶ月ということになる。
    独り酒を禁止したことにより、こうやってブログが捗っているし、外で飲むことが楽しみになるので、交遊が豊かになった。
    外で飲むと高くつくと思われるかもしれないが、家呑みでもコンビニでつまみも含めて買うと1000円はかかって、それを3日に1回のペースで1日333円、1週間で2331円となる。
    外で飲むと3000円~5000円はかかるので、たしかに高くついている。
    でも、僅差僅差。外で飲むほうが楽しいから外で飲むよ。

    何が言いたいかというと、独り酒禁止にして豊かになったと言いたい。
    同じく、朝寝坊禁止で豊かになれるのではないかと推測する。

    ちなみに今朝は、お布団の中で葛藤があって、
    ああ、朝が来た、桜も咲いているよ、お出かけすると気持ちいいよ。
    いや、お布団の中で充分気持ちいい、作家にとっては睡眠こそ大事なんだ。
    1年に1度のチャンスじゃないか、桜が咲いているのは今だけだぞ。
    大丈夫なんだよ、作家は心の中で花を咲かすんだよ。
    いや、臨場感とか、モチベーションも上がるかもしれんやん。この風景を文章にして伝えたいって思うかもしれんやん。
    だって、まだ眠いし。
    と、頭の中で戦いが勃発したので、朝イチから疲れた。
    頭の中がうるさくなって、寝てられなくなって、7時半に起きた。
    でも、散歩には行かなかった。
    拙者は中立を守った。

    でも明日からは、いや4月からは、朝寝坊禁止にしようかなぁ。
    ひとまず1ヶ月間はそうしようかなぁ。
    がんばれー!

    以上。

    今読んでいる本

    秘密の花園

  • 仕事より遊びより大事なもの、それは君さ、とは言わない

    仕事より遊びより大事なもの、それは君さ、とは言わない

    仕事している自分ではなく、遊んでる自分でもなく、創作している自分でもなく、生活している自分こそが主たる人格だと思う。
    炊事、洗濯、掃除、薪割り、風呂炊きなどなどの生活をする時間。これを大切にしようと主張すると暮しの手帖っぽくなるが、そう考えるのが合理的じゃないか?

    仕事って変わる場合もあるし、終わる場合もある。そんなものを自分の中心に置くのはリスキーだ。同じように遊びも変わるし、創作も変わる。
    食べる、寝る、掃除するなどの生活は絶対に自分から切り離せず、切り離そうとするなら、ほとんど死んでいる。

    そういや、家族が大切・家族と一緒にいる自分が大切、というのもあって、とても美しいのだが、やはり家族の形態も変わりがちなので、それを自分の中心に据えると、ツラいところがありますな。

    とまぁ、今日は小難しいことを書いているけど、この記事→ノミカイとイセカイの続きだと捉えて欲しい。
    遊びの時間は異世界に行っていたようなもので、その際の自分の人格は変身後の姿なんじゃないか? 基本形態は何なのか? 基本形態がしっかりしたら、変身後の姿はもっとパワーアップするんじゃないか?
    と、拙者は考えておった。

    考えつつ、ブログを書き、小説を書き、仕事をし、炊事をし、読書をし、感づいた。
    生活は自分から切り離せないし、生活をおざなりにすると人生が荒れてくる。
    真面目にご飯を作り、掃除して、洗濯して、できれば畑仕事をして、花とか活けて、生活にこそ全力をつくす。そうすると、軸が定まる。軸があれば、他者からの評価など気にならなくなるし、いちいち問題を見つけて文句を言うこともなくなるのでは?
    自分で自分を大切にしてるかどうかは、自分が一番見ている。

    たぶんこれは正解。
    でも、実行するのは難しいやつだな。
    トレーニングが必要だ。

    話を変えるが、最近はランニングフォームの改善に取り組んでいて、日常レベルの姿勢から変えようとしている。
    油断すると、背筋がだらっとなる。
    それを、シャキンとする。
    ちょっとづつ効果が出てきていて、足に疲れが残りにくくなった。
    今まではふくらはぎの筋力で前進していたのが、モモやお尻の筋肉に変わったのが実際の効果。
    長距離を走るにはフォームが大切。

    人生におけるフォームとは生活のことだ。
    というのは、自分でも異論が出そうなたとえだが、今日は強引に押し通すことにする。

    仕事も遊びも創作も、拙者にとっては異世界で、現実世界は生活にある。
    だから、仕事よりも遊びよりも生活を充実させる。
    基本人格を強化する。

    そのために何をするかは、こんど考える。
    もう、寝る準備に入らないとな。
    生活が大事だからな。

    以上。

  • 桜じゃなくて青空を見ていたのかも

    桜じゃなくて青空を見ていたのかも

    SNSを見ていると、友達や観光系アカウントが桜の写真をUPしているのだけど、天気が悪くて桜が映えていない。
    さほどやなぁって思ってしまうのは、今まで桜を見ていたと思っていたが、青空を見ていたのかもしれない。
    青空って大事だからなぁ。

    アウトドア活動をよくやる拙者にとって雨は行動に制限がかかるのみならず、危険性が増す。
    二輪車のタイヤが滑るというのが現実的な危険で、雨に振られると体温が下がるというのが生得的な不快感で、雨に濡れた岩の上は滑りやすくて、比良の百間堤で転んで大ダメージを受けた、あわや大事故のあの実体験。

    そんなこんなで、青空を求めているし、桜の写真にもそれを求めるんだろうなぁ。

    青春ってのも、青い春なわけだから、晴れわたった空がみんな大好きなんだろうよ。

    しかし、桜が満開になったというのに、朝から雨が降っていて、残念な日曜日。
    何か約束があったのなら出かけただろうけど、そんなものはなく、ひねもすのたりと家で過ごすことになった。
    洗濯をしたり、仕込んだチャーシューのようなものを食べたり、これといったこともなく、読みかけの小説に手を伸ばす。
    と、この小説がすんごく青春で、最高。
    作者のことを、大好き! 大好き! 大好き! って思いながら読み進めた。
    お陰さまでとても充実した春の日、いや青春回帰の日になった。

    高校3年生を描いた連作短編集で、同じ高校の別の世代の話。
    各年代で流行ったものが作中に取り入れられていて、エモい。ノスタルジー。小さな年代記。
    現在53歳~40歳の人にはめちゃめちゃ刺さる青春小説になっているので、この年代の人には超オススメ。
    各短編もその頃に流行ったストーリーを下敷きにしているんじゃないかと推察する。
    作者がいろんな仕掛けを用意してくれているので、心にズバズバきますよ。

    伊吹有喜さんの犬がいた季節という作品です。

    拙者はめちゃめちゃ青春回帰してたみたいで、読み終わって鏡を見るとそこに映った自分の姿に違和感を覚えるくらいだった。
    悲しくもあり、その読書体験の凄さに嬉しくもある。

    降りしきる雨のお陰で、ほぼ一気読みできたので、こんな雨の日も良い。
    拙者は読書の神様に好かれてるみたいで、たまたま読み進めた時と作中の時期がピッタリ合うことが多くて(まぁ狙ってそれをやることもあるけど)出会いと別れの春にピッタリの作品で、神様、雨様、有喜様、ありがとう! って感謝してる。

    雨降りの休日で、実際にこの目で満開の桜は見れなかったのだけど、作中の桜に思いを馳せ、それは美しく、香りまでも美しく、青春を感じることができた。

    桜を見る時、桜じゃなくて青空を見ていたのかもしれない。
    いや、その風景が思い出させる物語を見ていたのかもしれない。

    良い作品を読んだから、もっと美しい桜を見れるかもしれない。

    以上。

  • ノミカイとイセカイ

    ノミカイとイセカイ

    自分の基本はどこにあるのだろうか?
    今こうしてブログをしたためている自分は、最も自分の本質に近い存在か?
    ということを、パーティーに行きつ戻りし拙者は思う。

    飲んで騒ぐことが急に増えた。
    いや、コロナ禍で上記がなくなっていたという表現が正しい。
    今日もとあるクラフトビール店の周年記念イベントに顔を出し、ビールを飲んで、お喋りしたり、DJが流す音でリズムをとったりした。
    なんだか嵐に巻き込まれたような時間を過ごすんですよ。ビールの味、人の顔、流れる音楽、初対面の人、どんなトークをしようか、隣りにいる女の子になんて声をかけようか、なんとなくSPEEDのヒロコに似ているな~など。
    物凄い情報量が頭を駆け巡る。そして酒の量が増えていき、情報はあやふやになり、なんだか夢のようなひとときになる。
    これってつまりは異世界探訪。
    要するに、中つ国や鏡の国、アレフガルドに行ってきたようなものだ。

    そして、家に返ってくると独りなわけで、あれ? なんだっけ? さっきまで楽しかったのに? あの感じ、どこいった?
    という風になりがち。
    パーティーの後遺症で荒野に1人でぽつんと立ってるような感じになる。
    だから、家でも酒を飲んだり、会場で限界まで飲んだり、やたらSNSを見たり、またパーティーにでかけたくなったりする。

    でも対処法が分かってきた。「さっきまでのは異世界」って思うことだ。「旅は終わり」って思うこと。
    異世界の扉を開き、その世界のドリンクを飲み、なんだかんだと揉まれたけれど、戻ってこれた。
    これでハッピーエンド。良かった良かった。

    そして、異世界の自分は自分じゃないかもしれんよね。
    何らかの変身があるのかもしれんよね。
    いつもと違う立ち振舞がそこにあるから。

    パーティーを異世界だとすると、山に行くこと、小説を読んだり書いたりすること、野良仕事をすること、これらも異世界トリップかもしれない。
    じゃあ、自分にとっての現実世界はどこで、自分の基本はなに? と精神が分裂してくる。
    ブログを書いている時も、文字の世界にトリップしているような節がある。
    自分の基本は何かって、すげー難しいんやけど、たぶん、自分で決めるべきなんだろうな。

    確固たる主人格みたいなものを持つと、もっと異世界ではっちゃけられるような気がしている。
    変身じゃー!って。

    どうだろうか?
    もうちょっと研究してみる。

    以上。