仕事している自分ではなく、遊んでる自分でもなく、創作している自分でもなく、生活している自分こそが主たる人格だと思う。
炊事、洗濯、掃除、薪割り、風呂炊きなどなどの生活をする時間。これを大切にしようと主張すると暮しの手帖っぽくなるが、そう考えるのが合理的じゃないか?

仕事って変わる場合もあるし、終わる場合もある。そんなものを自分の中心に置くのはリスキーだ。同じように遊びも変わるし、創作も変わる。
食べる、寝る、掃除するなどの生活は絶対に自分から切り離せず、切り離そうとするなら、ほとんど死んでいる。

そういや、家族が大切・家族と一緒にいる自分が大切、というのもあって、とても美しいのだが、やはり家族の形態も変わりがちなので、それを自分の中心に据えると、ツラいところがありますな。

とまぁ、今日は小難しいことを書いているけど、この記事→ノミカイとイセカイの続きだと捉えて欲しい。
遊びの時間は異世界に行っていたようなもので、その際の自分の人格は変身後の姿なんじゃないか? 基本形態は何なのか? 基本形態がしっかりしたら、変身後の姿はもっとパワーアップするんじゃないか?
と、拙者は考えておった。

考えつつ、ブログを書き、小説を書き、仕事をし、炊事をし、読書をし、感づいた。
生活は自分から切り離せないし、生活をおざなりにすると人生が荒れてくる。
真面目にご飯を作り、掃除して、洗濯して、できれば畑仕事をして、花とか活けて、生活にこそ全力をつくす。そうすると、軸が定まる。軸があれば、他者からの評価など気にならなくなるし、いちいち問題を見つけて文句を言うこともなくなるのでは?
自分で自分を大切にしてるかどうかは、自分が一番見ている。

たぶんこれは正解。
でも、実行するのは難しいやつだな。
トレーニングが必要だ。

話を変えるが、最近はランニングフォームの改善に取り組んでいて、日常レベルの姿勢から変えようとしている。
油断すると、背筋がだらっとなる。
それを、シャキンとする。
ちょっとづつ効果が出てきていて、足に疲れが残りにくくなった。
今まではふくらはぎの筋力で前進していたのが、モモやお尻の筋肉に変わったのが実際の効果。
長距離を走るにはフォームが大切。

人生におけるフォームとは生活のことだ。
というのは、自分でも異論が出そうなたとえだが、今日は強引に押し通すことにする。

仕事も遊びも創作も、拙者にとっては異世界で、現実世界は生活にある。
だから、仕事よりも遊びよりも生活を充実させる。
基本人格を強化する。

そのために何をするかは、こんど考える。
もう、寝る準備に入らないとな。
生活が大事だからな。

以上。

投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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