人間と社会には多くのバグがある。バグを自覚してパッチを当てるように生きようと思っている。

人間には食欲があるし、それがないと生きていけないけれど、現代社会で食欲を野放しにすると、肥満など生活習慣病に苛まれるし、見た目も悪くなる。
だから、「これ以上食べると問題が起こるぞ」とパッチをあてる。
「スイーツを食べると脳に快楽物質が出るけど、あとで頭がボーっとなるからやめとけ」とパッチを当てる。

人間の体は動物のままなのに、環境が変わってしまって、バグが生まれる。
体も環境も簡単には変えられないので、欲求をコントロールする必要がある。

と、小難しいことから書き出したけど、もっと身近なところで発見があった。

今日、母に対して、ああした方がいい、こうした方がいいって説教っぽいことを言った。これは、親切心からスタートしたのだが、どうも言ってるうちに、気持ちよくなってくる自覚があり、もっと指摘したいような気になってしまった。
あれ? そんなキャラじゃないのに! と思った。
この心境を調べてみると、説教は快楽であり、ドーパミンが分泌するとWebの記事で出てくる。

ためになる説教なら良いと思うが、一方は気持ちよくなり、もう一方は不快になるようなコミュニケーションっていらんよな。

そういえば、人狼ゲームの司会役をやっていた時、ゲーム終了後に敗因などを指摘したがるプレイヤーがたまにいて、キモいなって思って、何度か制した憶えがあるのだが、あれはああやって気持ちよくなっていたのか。
そういうタイプに自分が近づいてきたと思うと、ガックリくる。

まだ理解をしきれていないのだが、こういうのはオジサンに多い症状だと思うが、オバサンでも同じ症状があるのだろうか?
あるいは、年齢を問わず、スキあらば説教したいものなのだろうか?
オジサンに特有だとするならば、なにがそうさせるのだろうか?
これらの疑問を持った。

説教すると気持ちよくなるのは、自分と同じ考えの人が多いと生存に有利になるから、かな?
あるいは、マウンティング欲求が満たされるから、かな?
拙者は心理学者じゃないので、ちょっと分からん。
疑問のまま寝かしておく。

分からぬまま対策せねばならないとして、
この説教快楽パッチは、
聞かれたこと以外喋らない。アドバイスしない。喋りたいことは全部ブログに書いておく。
自分が出す説教対策はこれでいいかな。

人からの説教対策としては、
「私は口頭でのご指摘が頭に残らないので、文章にしていただけますか」
と、言うことにしよう。
たぶん、「そんな時間はない」
と言われるので、
「でしたら、お互い時間の無駄になりますので、結構です」
というので、良いんじゃないかな。

拙者には上司などいないので、誰か試してみて下さい。
火に油を注ぐかもしれんなー。わははー。

こうやって、パッチを当てて欲求をコントロールしつつ、時には動物に戻り、山野を駆け巡ったり、一心不乱に踊ったり、そうやって生きていく。
でも、AIが発達したあとは、動物時間を増やしたほうが良いかもなー。

以上。

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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