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  • 山が足りない

    山が足りない

    仕事疲れと飲み疲れ、あと少しだけ執筆疲れが重なって、調子が悪い。
    気持ちが晴れやかじゃないし、お腹の調子が悪く食欲がない。
    とは言え、8キロとか6キロとかは走りに行けているので、病気とかではない。

    人と交流しすぎたかな? 雑音が入りすぎたかな? などと考える。
    春が来た~と浮かれすぎたかな? むしろ孤独が必要かな? などと考える。
    野良仕事を愉しんだ方がいいかな? そういえば、山の中に分け入ったのはいつだっけ?
    は!
    これは、森林浴が足りてないぞ!

    例のトレッキング&バーベキュー会以来、山に入ってない。
    あれは3月4日のことだったから、20日間森林浴をしていない。
    たとえば20日間入浴していないとすれば、由々しき事態である。拙者の精神はきっと垢まみれ、泥まみれなのであろう。
    ああ、落としに行かねばならぬ。
    心の汚れを森林で落とさねばならぬ。

    最近、秘密の花園という児童文学の名作を読んでいて、これは自然回帰がテーマにあるので、自然に触れている気持ちになっていた。
    あるいは、春が来て花をよく見ているので、同じく自然に触れている気持ちになっていた。

    だが、森林の効果とは違っているようだ。

    先日、京阪の枚方公園駅からJR摂津富田駅まで歩いた。これは6kmほどだったと思う。
    できるだけゴチャゴチャしてない河川敷などを選び、菜の花が揺れ、つくしが出ていて春を感じ、ぽかぽか体が温まったのだが、心に響くものはなかったなぁ。
    同じ時間があるのなら、山や森林に突入すべきだった。

    ああ、山に入りたい。

    静寂を、木漏れ日を、鳥のさえずりを、落ち葉を踏むを音を、土の匂いを、デカすぎる木を、朽ちた倒木を、その上に生えるキノコを、存在の薄い小さな花を、突然現れるため池を、つまづきそうになる木の根を、額から流れる汗を、途中でこんなに遠いっけ?と不安になる気持ちを、そこから街に戻ってこれたあの快感を、これらすべてを感じて、心の汚れを落とさねばならぬ。

    とにかく、20日間山に行かないと調子が悪くなることを理解したので、2週間に1回は山を目指そう。

    深夜東京の六畳半 夢を見てた。
    これはyama。

    以上。

  • 桜が咲くのが寂しい

    桜が咲くのが寂しい

    はやく桜が咲いて欲しいって思っていたけど、いざ咲き始めたら、ちょっと待って、そんな急いで咲いたらすぐに散ってしまう、と焦りのような気持ちがあらわれる。

    すぐに咲いて、すぐに散りそう。
    来週がピークかな。
    桜が終わるの寂しいなぁ。

    この寂しさ、創作活動に似ている。
    1ヶ月かけてじわじわ書いていた物語に一区切りついたのだが、早く完成させたいと思っていたけど、いざ終わると寂しい。

    ああ、すごく作家っぽいぞ、この気持は作家っぽいぞ、いけるぞ、と思う。
    この調子で書き進めたい、しかし筆が進まない。
    目を閉じて、空想の世界で遊ぼうとするのだが、どうも現実世界で遊びたがってる節もあり、上手くいかない。
    豊穣なる空想世界よ、どこへ行った。
    空想鉄道のチケットを失くしてしまったかなー。

    豊かさを取り戻さないと。
    心のうちから溢れ出る想像力の豊かさを。
    自分の豊かさを他者の評価で量らせてはいけない。
    その評価基準ではショボくてもいい、ショボいと思われてもいい。そこでは勝負していない。

    拙者の評価は創作物によって決まるのだ。
    豊かかどうかはそこに現れる。

    いや、しかし、創作しようと頑張るな、
    人間なんて所詮は自然の恵みに頼らねば生きてはいけぬ。
    創作も自然の恩恵を受けようとすればいい。
    種を撒いて、時を待て。
    雑草はできるだけ切っていこう。創作における雑草が何かは分かるだろう。
    観察しよう、匂いを嗅ごう、風を浴びよう、不思議さを不思議なままで持っておこう。

    というのが、創作欲求と外遊び欲求の板挟みになっている心境。
    春だからなぁ、お外に出ていっぱい遊びたいんだよなぁ。

    以上

    今読んでいる本

    秘密の花園

  • 春のジェニファー気分

    春のジェニファー気分

    「さよならは~♪ 言わないで ジェニファー♪」って、あいみょんが歌う歌があって、これは失恋ソングで、恋人とのお別れが迫ってくるけどつなぎとめたい気持ちを歌っていて、出会いと別れの春にピッタリくる。
    拙者は何度も聴いては口ずさみ、どこの誰かも知らぬジェニファーを想い、メランコリーな状態になってしまった。

    土・日と酒を飲んで、月は休んで、火もまた飲んだ。
    飲んでる時は楽しいのだが、翌日にはダメージがくる。いつも飲みすぎるからなぁ。
    睡眠は浅くなるし、趣味の執筆ができなくなるし、メランコリーさの正体はエチルアルコールのせいかもしれない。

    あるいは、春になって街には若者たちが多い気がする。
    昨日飲んだお店でも、元気な若者たちがいて、季節の春も人生の春も謳歌している様子で、あぁもう拙者の歳では主役を張れねぇ、などと思う。

    イケイケの若者の図

    京都には野球の強い平安高校があって、そのコーチに川口氏が就任したという記事を見た。
    川口氏は拙者が高校3年生の時に名を馳せたプレイヤーで、要するに同い年である。
    あの川口がコーチになる年齢なのだなぁと、しみじみ思って、裏で支えるポジションにつくべき歳ってことで、そらぁ主役を張れないのも仕方ない。

    主役を張るべきは大谷翔平28歳である。

    だけども、WBCとかには熱狂せずに自分に熱狂したいってまだ思っていて、主役の座を諦めずにいて、だからこそメランコリーな独身中年男性。ジェニファーを求める独身中年男性。

    盆踊りとかブログとか自分の世界を保ちつつ、自分の存在が軽い場所にも恐れずに赴き、どんな状況でも言葉にし、生きていく。
    酒の席のハイテンションは痛々しい年齢になってきたかもしれんし、筋力も瞬発力も衰える。
    だが、長距離走は平均以上だし、どんなコミュニケーションのボールもだいたいキャッチできる経験があるだろっ。

    まだ主役を狙いつつ、監督みたいなポジションも狙いつつ、本当は小説家になることを狙っているので、なんだか忙しいけれど、若者にもAIにも負けんぞ! って虚勢を張っておくよ、ジェニファー。

    以上。

    今読んでいる本

    秘密の花園


  • コミュニティしかいらん

    コミュニティしかいらん

    昨日はハッシュ、一昨日は秘密のランニングクラブ、その前は読書会ってことで、3日連続で何らかのコミュニティに参加させてもらって、人間関係充実しております。(酒は充実し過ぎで、キャパオーバー。)

    拙者の属性は、独身中年男性が狂ってしまって、狂ったまま落ち着いてきた姿であり、夏場になればまた踊り狂う機会を虎視眈々と狙っている眠れる獅子なので……。要するに独身中年男性なので、交遊の機会は貴重であるし、一人旅とか、美食とか、映画鑑賞とか、推し活とかより、コミュニティがいいなぁと思っております。

    さらには飽き性であることも相まって、決まったメンバーのグループ活動が苦手で、違った人と出会えるような会を好んでおります。

    そういう性格なものですから、狭く深くという人付き合いよりも、広く浅くというタイプで、コロナ禍とはめちゃめちゃ相性が悪かったのです。憎っくきコロナ! 憎っくき政府のコロナ対策!
    悲しき3年間を過ごしました。

    コロナ禍が収まり、ようやくコミュニティ活動が再開されたので、来たぞ来たぞ、やっと来たぞ。いや、行くんだ。コミュニティのあるところに行くんだ、と思うところ。
    本当に、オシャレなカフェとか、評判のレストランとか、ばえるスポットとか、ぜんぜん行きたくない。コミュニティのあるところに行きたい。
    なぜならば、文化ってのはコミュニティのあるところでしか体験できないから。
    今の時代に必要なのは文化であり、物語であり、歴史なのである。

    しかし、拙者がコミュニティを語るのは、ちょっと説得力がなくて、様々なコミュニティを立ち上げては壊してきてしまったので、分かってない奴なのです。
    修行が足らなかったってことで、大目に見ていただきたい。
    今度から頑張る。

    春になったし、色々と遊びに行きたいんやけど、遊びに行くなら、コミュニティのあるところがいいなぁ。
    ちゃんと受け入れてもらえるように、良い人でいよう。

    以上

  • 哀しさを前提として差異を楽しむ

    哀しさを前提として差異を楽しむ

    今しがた読書会に参加して、色々と本の情報を得てきた。
    面白そうな本はあらすじが語られるだけで面白い。
    みんな熱を込めて紹介してくれるし、疑問点にも答えてくれるので便利だ。
    ただし、大事なオチまでは語られないので、ストレスになる部分もある。
    「気にはなるけど、そのジャンル読まないんだよな~」って。
    メリットもデメリットもある。

    拙者は読書会を主催していたので何度も参加したわけだが、結局は読書好きと一括りにはできないことを理解するばかりだ。
    そもそも、実用書と小説に分かれるし、小説でもジャンルが多岐にわたる。
    本を知れば知るほど、人はバラバラなのが分かってきてしまって、同調よりも差異の感情を抱く。「ああ、同じ気持ちだ!」という気持ち良さより、「好きも、興味も、疑問点も違っているな」という哀しさが分かるようになる。
    なんとなく、結婚生活に通ずるものがあるな。
    知れば知るほど差異が明らかになっていく。

    差異はたぶん乗り越えられると思うけど、時間が限られていたりするから、スルーしとくとか、分かり合わないままで折り合いをつけておく必要があって、哀しいままで生きるべき時があるんだよな、きっと。

    そもそもの前提を変えなきゃならんのだよな。
    読書会は読書好きの同じ趣味の人たちが集まっている、などと思ってはいけない。ぜんぜん趣味嗜好が違う人が語り合う場で、その差異を楽しむのが正しい楽しみ方かもしれんな。
    「うえー、そんな見方するのかー!」
    「ひえー、そんなのに興味あるんかー!」
    って。

    結婚もきっと、相性の良い人を選ぶのだろうけれど、蓋を開けてみると異境で育った者同士が共同生活を送るようなところがあって、その差異を楽しめないと、哀しさばかりになってしまうよな。
    もっとも、差異を明らかにできぬほどコミュニケーション能力に劣っていたら、もっと悲劇だけれども。
    言葉にしなくても分かってほしい、みたいなのは勘弁。

    ちゃんと野性的じゃない人同士のコミュニケーションが取れるのは前提として、人との差異を楽しめるようになるかなぁ。
    趣味、あるいは能力がぜんぜん違うのに、お互いが全力を発揮して、上手く噛み合うみたいなの、そういうの楽しみたい気持ち。

    自分の知らない面白いことがまだまだある気がする。
    新年度がやってくる。
    衝撃的な出会いがありますように。

    以上。

  • 桜が満開の頃に種を蒔く

    桜が満開の頃に種を蒔く

    「桜が満開の頃に種を蒔く」
    これってすごくロマンティック。
    桜の満開を待つ気持ちも、満開の時に巻いた種が育っていく過程も、収穫して食べるのも全部が楽しみ。

    春がきたので野菜の種を買ってきた。
    土とともに生きようと思うのだ。
    芽が出てくること、育つこと、収穫することを愉しもうと思う。
    雑草をコントロールし、手入れされた庭をキープしたい。

    昨秋、草ボーボーだった庭を草刈りのついでで畑にした。
    土を盛り上げ畝にして小松菜の種を撒いたら、市販品みたいには育たなかったものの、何度か食べられた。
    畝とその上に整然と並ぶ葉野菜は美しい。
    管理が行き届いているの畑は美しいのだ。
    だから畑を拡げることにした。

    しかし、冬場に育つ野菜はほとんどなく、畑を作るだけで種を撒けない。
    正月あたりから春よ来い、春よ来いと心待ちにしていた。

    気候が暖かくなってきて、やっとシーズンがやってきたって気持ちで調子に乗って種を買ったら1500円にもなってしまって、これは元がとれなさそうだ。
    しかも、野菜が育つことへの執着心はあまりなく、肥料とかやらないだろうし、熱心に植え方などを調べたりもしていない。
    全体的に美しい菜園にするのが理想。収穫は二の次。

    そんなこんなで、拙者はどうやら農業に向いてないようだ。
    作付面積と買う種の計算などできないし、生えてきたやつを育てたらええんやってライオン農法、買った種も適当で、種まきと定植の時期などを考えて準備せねばならぬようだから難しい。
    間違っても就農しようなどと思わないでおく。

    収穫とかより、ハニーバンタムのロマンティックさに興味を惹かれる。
    桜が満開になったら種を蒔く。
    物語性があるなぁ。
    そんな野菜たちを集めたい。

    はやく桜が満開にならないかなぁ。

    以上

  • 食あたりの体当たり文章

    食あたりの体当たり文章

    豊かさを、
    こぼれ落ちるほどの豊かさを得ようとしているのだが、食あたりになってしまった。
    流石にこんな日は、何が悪かったんだろうか、あれかなこれかな、揚げ物ばかりを食いすぎたかな、と反省しており、豊かな想像力は阻まれている。

    4ヶ月ぶりくらいにプールに行った。この間、皮膚の調子が悪かったり、足の傷があったりで休んでいた。筋力は低下したので遅くはなったが、基礎体力はあるので存分に泳げた。
    泳ぐとヘトヘトになって、お腹がペコペコになって、その勢いで食べてしまって、お腹の調子が悪くなる。
    プールで体も冷えるんだろうな。
    水泳後の食事は、次回から気をつける。

    もともと胃腸が弱いのに、周りに食べ物が豊富にあってそのギャップに苦しんでいる。食物資源を活かしきれず、もどかしい。
    胃腸を強くする方法があるなら教えて欲しい。
    たまに強力わかもとを摂取している。

    体が丈夫じゃないと、それだけで心配事が1つ増えてしまい、豊かさから遠ざかってしまう。
    腹痛を抱えたままでは、笑ってなどいられないし、眉根が寄り、文章も堅くなる。
    花粉症もあるしなぁ、鼻水ダラダラ出るしなぁ。
    胃腸が強けりゃなぁ。
    皮膚が強けりゃなぁ。
    こうして足りないものに思いを馳せて、心が貧しくなるのである。

    まずはこぼれ落ちるほどの豊かさを持ってから、何かを表現すべきだと思う。
    弱気な表現は哀れみしか生まれない。
    注目を浴びたいがための表現は、足元を見られてしまうというか、貧しさが露呈して、感動が生まれない。
    表現ってのは、こっちの世界においでよ、ってそういうもので、その世界が貧しかったら、即、行きたくねーよ、という回答。

    後半にくるにつれ、メモみたいになっていく拙者の貧しき文章。
    だってさ、胃腸が弱いからさぁ。

    カモミールティー飲んで、明日には復活したい。

    以上。