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  • ただゴキゲンに生きる

    ただゴキゲンに生きる

    よくもまぁ毎日毎日、誰の役にも立たない無駄な文章が書けるもんだ。
    というのが、このブログを自分で読む感想。
    最近では、情報価値をのっけてなるものか、とさえ思っている。

    情報価値がないのにも関わらず読みに来てくれた人と間接的な時間のやり取りをすれば良くって、最新ニュースを知りたいとか、もっと頭が良くなりたいとか、仕事に役立てたいなどと思う人は、ワラクリなどに来るべきではない。
    貴重な時間を無駄にしなさんな。

    昔は拙者も世の中の役に立てたらいいなぁと思っていたし、アクセス数が上がればいいなぁと思っていたし、注目を集める記事はどんなだろうかと考えていたこともあった。
    しかし、花開かずに今に至る。青いまま枯れていく。

    今やブログは、時間つぶし、というと悪く言い過ぎで、文章を書くというリラックスタイム。
    縁側でお茶をすするように、ブログを書いている。
    お茶をすすっていると、「今朝は冷えましたね」などと読者がやってくる。
    「そうでしたね、布団から出るのが億劫でしたよ」と答えつつ、拙者は今日の出来事を振り返るのである。
    プールに行けなかったな、母が全力で掃除をしていたな、カツカレーを食べたな、お店に知り合いがいたな、大きな荷物を背負った学生たちが多かったな、酢豚の味がパシッと決まらなかったな、白木蓮が満開だったな、などなど14時間くらい起きてるとそこそこ記憶が残っていて、寝る前に振り返っておくとスッキリ眠れて良いのである。
    皆も、動画見たり、ゲームしたり、酒のんだりするのをいったんやめて、少し一日を振り返ったほうが良いよ。

    ああ、しもた、役に立とうとしてしまった。
    アドバイスしてしもた、ダメだダメだ。

    役に立たずに生きるぞ。
    目指すところとしては、ただ毎日ゴキゲンに生きて、そのゴキゲンさによってなくてはならない存在になりたいなぁ。

    今の社会は知識や才能を磨いて、それを証明して、周りに認めてもらわにゃならぬ。
    そこには競争があり、批判合戦があり、マウンティングがあり、セルフブランディングがあり、アテンション・エコノミーがあり、破壊的パフォーマンスがあり、炎上がある。
    もう、わしゃ、疲れたわい。

    有能さを捨てて、ゴキゲンに生きようぜ。
    わざわざ怒りを感じる情報を集めず、芸術活動・創作活動をする人たちから魂のパワーをもらって、ニコニコ生きる。
    誰かを馬鹿にしたくなった時は、心が貧しくなっている症状だから、心を回復させよう。
    とにかく心を豊かにしとこう。

    人から馬鹿にされたらいいんだ。
    馬鹿にされたくないと思っていて馬鹿にされたら、くそう! となるけど、
    どうぞ、馬鹿にしてもいいよー、と思っていて馬鹿にされたら、それ狙い通り、となる。
    気持ち良い。

    心が豊かになるように、花の名前を少しでも覚えよう。

    これはなんだろう?
    椿の仲間かな?

    以上。

  • なぜ確定申告に恐怖心を抱かねばならぬのか?

    なぜ確定申告に恐怖心を抱かねばならぬのか?

    確定申告終わりました。
    休日を潰して入力作業をし、税務署は近いので本日の朝イチを狙って提出しに行った。
    ほとんど待ち時間なく無事ゴール。
    職員さんが「お疲れ様でした」と言う。
    朝イチでその言葉を聞いた。
    お祓いしてもらった気分。
    青空がやっと青く見えた。

    確定申告って呪いなんだろうなぁ。

    拙者は水道料金をギリギリまで滞納してしまうけれど、確定申告だけは毎年期限内にゴールしている。
    何らかの恐怖心があるんですよ。
    税務署と言う響きが怖い。
    濁音から始まるものはだいたい怖い。
    ガイコツ、ギロチン、グリズリー、ゲゲゲの鬼太郎、ゴキブリ。
    惨殺、自殺、ズタズタ、税務署、ゾンビ。
    あー怖い。
    水道局なんて全然怖くない。
    でも、上下水道局になると、ちょっと怖くなる。
    まぁ、とにかく、税務署の確定申告は多くの人にとって怖いのだ。

    くーる、きっとくるー、
    とばかりに、2月の中旬から、3月15日の提出期限が迫ってくる。
    この間のストレスはいかばかり。
    ずっと、肩に重荷を背負った気分。
    あー、あれをやらなきゃ、あれをやらなきゃって思いつつ、だらだらしてしまい、だいたい3月7日から作業を開始するのである。
    呪いの1ヶ月間を過ごすのである。

    お寺でも神社でも祓ってもらえなくて、税務署でやっと祓ってもらえるのだ。いや、結果によっては税を払わねばならない。

    数字が苦手な人、書類の管理が苦手な人、仕訳の意味が分からない人など色々いて、拙者も苦手というか、なんでこんなことせなあかんねん、と思って、あーくそ生産性ないなぁ、厭だ厭だと処理している。

    さらに政府はインボイスなどと言い出して、てめえらザルみたいに税金を垂れ流しやがって! 庶民に細かい事させてんな! 商取引にややこしいものを介入さすな! 織田信長の楽市楽座を見習え! と怒り心頭で、でも何らかの判断と対応が必要で、困惑。

    だけれど今日、怒りと困惑と整理と入力の日々が終わった。
    呪いが解けた。
    わーいと羽を広げている。

    確定申告の内容を見てみると、低収入が明らかになり、社会の最底辺に存在することを再認識させられるのだが、
    いいんだ、いいんだ、駆け出しの小説家なので貧しくて当然だ。豊かな小説家なんてニセモンだ。貧しくて、貧しくて、だからこそ空想の世界を愉しむのが本物だ。グスン。
    こんな風に自分を慰め、上昇志向のないままで生きて行くのだ。

    とにかく、水道料金払わなきゃな。

    以上。

    今読んでいる本

    秘密の花園

  • 宝探し、それはミモザ。

    宝探し、それはミモザ。

    現代は何かを見つけ出すのが簡単になってしまって、宝探しのような幸福を失ってしまった。
    ネットで検索すれば売ってるものはだいたい買えてしまう。
    拙者の青年時代はそんなに便利じゃなくて、あっちへ行ったりこっちへ行ったり。ビデオもCDもレンタルしていた時代だった。欲しい物がレンタル中だったりした。
    手間はかかったけれど、手に入れる喜びはそっちのほうが大きかった気がする。
    こういった宝探しがなくなって、今ではお金払って謎解きゲームをやったり、課金してゲームのガチャを引いたり、アプリ上のレアキャラを探す。
    そういう社会。

    みんな求めてるんだなぁ、宝探しを。

    3月になると、Twitterのタイムラインに黄色い花が現れる。
    それはミモザ
    拙者の観測範囲では女性はミモザが大好きみたい。
    拙者はミモザが好きな女性が大好きなので、自然とミモザに興味が湧くのである。
    しかし拙者は知らない。ミモザがどこに咲いているのか。

    梅や桜がどこで咲いているかは把握しているが、ミモザは分からない。
    たぶん植物園とかには咲いているだろうけど、もっと近所にあっても良さそうだし、拙者はランニングを嗜んでいるので、近所の風景には詳しいはず。
    ミモザ~、ミモザ~、僕のミモザ~、と恋人を探すように、花を探していた、わけではないけれど、ここんとこ気にしていた。
    ネットで検索したりもした。

    すると今日、自転車で坂道を気持ちよく下っていると、路地の奥にふわふわの黄色い花が満開になっていた。
    見つけた! と思った。
    わざわざ坂を引き返す。

    近づいて見てみると、思っていたよりふわふわだった。
    気持ちよさそう。ふわふわ~。

    ギンヨウアカシアかな?

    これは近所にミモザを見つけた、という単純な話だ。
    だけれども、心がじんわり温かく、こんなことだけで充実した一日になったのである。

    これは要するに、前述した宝探しに成功したということだ。
    あの時、黄色いふわふわの花と青空を見上げ、ファンファーレが鳴り響いた。

    ミモザの発見で幸福を得られるわけだから、もっとこういう宝探しをすべきなんだろうなぁと思った。
    先日一緒にトレッキングした先生は比良山の隠された道を探しておられるし、心地よいCafeを探している人もいるし、酒場巡りも楽しいし、旨い酒、良い陶器などなど探す人がいる。
    拙者も面白みのあるランニングコースをいつも探している。
    まだ知らぬ盆踊り会を探している。
    酒飲んで踊り明かすくらいにめっちゃ楽しいことも探している。

    みんなが欲しがるものじゃなくていい。見つけたからといってスゴイと言われなくてもいい。
    自分にとって発見したいもの。それが宝なのである。

    みんながいいと言うものはもちろんいいんだけど、確固たる自分の価値基準があるのもいいよ。

    探そう、宝。
    じわじわ見つけよう。

    以上。

  • 春からの幸せを描く

    春からの幸せを描く

    早く春が来ればいいのに、って思っていたらもう春で、鼻水があふれてくる。
    季節が変われば生活スタイルも変えねばならない。
    冬場はお布団の中で空想したり、湯船に浸かりながら1時間以上本を読んでいたりした。
    だから冬場の幸せをまとめておき、春からの幸せを描いてみる。

    2023年に入ってからの2ヶ月と10日は、体調が回復してきたこともあり上り調子である。
    ・自宅での独り酒を禁止し、調子が良い。
    ・毎日くらいブログを書いて、自分の思考が整理できているとともに、行動圧力がかかってオープンさが増している。
    ・体を動かすコミュニティに顔を出して楽しい。ハッシュ、ランニングクラブ、主催したゆるふわスポーツ大会とトレッキングバーベキュー会。
    ・空想が捗っている。

    できなかったことは、マラソン大会への出場と銭湯へ行くことかな。いずれも足の不調で控えた。

    とにかく、一緒に遊んでくれる人がいてありがたい。
    金も地位もないけれど、とにかくいい人でいようという決意。マウンティング欲求とか捨て去って謙虚でいたい。
    もっと楽しさを運んでもらおう。

    春からのことを考える。これは盆踊りシーズンに入るまでの4・5・6月のこと。
    花が咲き、新緑が芽生え、雨が降る。
    最もアウトドアで遊べる季節がやってくる。
    さりとて、4月は花粉も寒暖の差も激しく体調を壊しやすいし、5月は5月病になるし、6月は梅雨だ。
    無理は禁物。

    ・まず畑を愉しむ。土とともに生きてみる。
    ・毎週末、体を動かせるコミュニティへの参加を理想としてみる。
    ・鶏の孵化に再チャレンジしたいけど、卵って売ってるのかな?
    ・盆踊りシーズンに向けた準備もしたいし、新しい盆踊りの振り付けをやりたい。そういえば江州音頭を唄うのはどうなった?
    ・誰かにバーベキューをやってもらう。拙者は準備に関与しないやつ。

    よし、春からの幸せはこれでいこう。
    巻き込まれることもあるし、巻き込むこともあるだろう。
    よろしくお願いします。

    以上。

    今読んでいる本

    秘密の花園

  • 春の文章

    春の文章

    春のようにだらけた文章を書こう。
    冬場は寒くて首から肩にかけて常に力が入っていた。
    春はゆるゆるでいこう、ほにゃほにゃでいこう、ふわふわとしよう。

    春は良い。スーパーでも道でも赤ちゃん連れのお母さんが目につく。
    赤ちゃん可愛い。クマの着ぐるみみたいなベビー服を着せられていた。目線だけをふらりふらりと動かしていた。
    幸あれ。

    春は良い。ランチでカレーを食べたら汗が吹き出てきた。だらだらした。ナンのおかわりもした。
    腹パンパン。

    春は良い。昨秋に撒いた小松菜の根を残して刈り取っていたところ、いまだに健在で、いわゆる薹(とう)が立ってきた。
    苦くなって食べれないのだろうけど、生命力を感じている。

    春は……、しかし、良いことばかりでもない。
    確定申告はだらだらとして進まないし、書きつつある小説は面白いのか分からなくなってきた上に山場まで持っていけるか心配だし、調理の仕事は評価基準が曖昧で努力のしどころがぼやけている。
    あと1つでも不安が増えたらもうダメだ。
    そ、そういえば、頸椎がキシキシ音を出すんだった。
    不安だ、もうダメだ。

    でもまぁ、ブログを書いている時間だけは、だらけておこう。
    無駄なものを生み出して、効率も有効性も考えずに時間を過ごそう。
    絶対に誰の役にも立たないことを書こう。
    情報価値ゼロ。
    誰も勇気づけず、何ら参考にならない文章。
    あくびみたいな表現。

    ふわぁ~、眠い。
    春だね。

    以上。

  • 稲荷大岩トレッキング&バーベキュー会の記録

    稲荷大岩トレッキング&バーベキュー会の記録

    4日も経ち、酔も覚めてきたのでトレッキング&バーベキュー会について書いておこう。
    何のために書くのかというと、次回のためだ、来年のためだ。
    分かりやすく記録に残しておこう。

    まず拙者はクローズドな登山会に所属している。
    しかし、登山会というほどの集いではなく、初夏と秋の年2回、ほとんど比良山、所属メンバーはプログラミングの先生の生徒、というような登山チーム。
    こんなだから、メンバーはゆるふわで「先生に誘われるなら年に2回くらい付き合ってやろっか」という感じ、さほど山好きはいない。
    拙者にしても山好きというほどではなく、河川敷でも田畑でも自然の近くならそこそこ楽しめるし、山奥の神社とか人の営みも好きだ。
    比良山にトートバックで登るくらいだから、登山への特別視は無いのである。
    どこまでも自分の足で進みたい。気持ちの良い場所で食事をしたい。気持ちよく体を動かした後にビールが飲みたい。その延長線上に山がある感じ。

    良い季節が来たことを察知した拙者は、○○登山会メンバーへのトレッキング&バーベキュー企画を提案した。低山を歩くにはちょうどよい気候になると踏んだから。
    しかし、ちょっと性急だった。連絡から実施まで10日間しかなかった。2月の日の少なさを意識してなくて、1週間ほど時間の感覚がバグっていた。

    これのせいかどうかは分からぬが、参加者の反応が悪くて、反省。
    結果的には6人で、〇〇登山会のポテンシャルからはちょっと少ない。けど、何かを一緒にやるにはまとまりがあって良い人数だった。

    実は、2年前にも別のメンバーと同じトレッキング企画をしたのだが反省点がある。その時はトレッキングに疲れ果てたようで、バーベキューがあまり盛り上がらなかった。「あれ? バーベキューのワイワイ感がない」と思った。
    これは、自分もトレッキングに参加するとなると、火熾しから焼くまでに30分はかかってしまう。疲れた体での30分はブーイングを巻き起こすのだ。

    今回はそれを恐れ、ポテトサラダ、五目豆、紫花豆甘煮、粕汁を手作りしておいて、牡蠣の燻製と干しホタルイカ、乾き物を買っておいた。
    ちなみに粕汁は当日の朝に仕込んだ。
    振り返って考えると、この企画にはかなり無理がある。

    時計を気にしながらバーベキュー会場の準備をして、時間ギリギリの9:30に東福寺駅に到着。5人がちゃんと集まっていた。
    そっからは早々にトレッキングを開始。

    東福寺を見て、稲荷の北側のジメジメしたところを上り、稲荷最強の神蹟でお祈りし、北斗の拳を経て、大岩山から展望を眺め、北堀公園経由でJR藤森駅に至るコース。
    8km、2時間半ほど。
    序盤は寒さを感じる気温で足早に歩いたけれど、大岩山ではポカポカ陽気になっていた。
    鬱蒼として険しいところ、ユニークなところ、ドラマティックなところが続いて良いコースではあるけれど、たしかに花は咲いていないし、非日常に迷い込むほどの世界ではなく、近所のトレッキングコースからは離脱できない。
    そんな意味でも、ちょうどよい季節のちょうどよい企画なのです。
    ビールを美味しく飲むための平凡な山歩き。

    ゴールの後はビールで乾杯し、序盤の炭火で粕汁を温め、土鍋でご飯を炊き、良い炭になったらタレに付けた肉とチーズ入りソーセージを焼いた。
    七味がなかったのが残念ポイントだったが、あらゆる食べ物がちょうどよいペースでなくなり、スイートポテトのような焼き上がりの焼き芋も食べれて、準備の甲斐があった。

    ドリンクに関しては、準備物の的が外れていたかもしれないし、もっと気軽にアクセスできるドリンクブースを設けたいと思った。
    あと、長時間飲むときはビールがいいな。ワインや日本酒をやると飲みすぎてしまう。
    遅性のアルコール中毒で倒れるように眠った。

    やはり企画に無理がある。

    拙者の場合は、バーベキューに誘われた時にあえて現地まで7kmくらい走って行くくらいだから、運動した後のバーベキュー企画を理想としているのだが、参加者にとってはどうなんだろうな?
    トレッキングはトレッキング、バーベキューはバーベキューなのだろうか?
    下山後にバーベキューよりも、山頂でお弁当の方が良いのだろうか?
    一般人の感覚が分からぬ。

    どちらにせよ、バーベキューには走っていくので、お誘いいただきたいところである。
    誘ってもらえないなら、自分で企画するしかないよな。
    ウム。

    というわけで、拙者が探すべきは、バーベキューをやっといてくれる人だな。
    理解した。

    以上。

  • 小説家を目指すことによって豊かになれた話

    小説家を目指すことによって豊かになれた話

    拙者は小説家になりたいと公言している。
    しかし、歌手になりたいと言いながらカラオケに通うような感じで、実際は小説をカリカリと書いているわけではない。
    現状では夢見るだけで残念なヤツなのだが、ちょっと待ってて、ちょっとづつ階段を上ってる感じはしてるから。
    こうして毎日ブログも書いているしさぁ、ご覧の通りトレーニングは続けているのだよ。

    要するに道半ばなのだが、この時点においてでも豊かさが得られた気がする。
    小説家を目指しトレーニングすることによって豊かになれている。

    これはあながちファンタジックな話ではなく、そこそこ論理的な話で、例えば料理人になりたいと望む人が料理の修行をすることによって食卓が豊かになるのと似ているし、大工見習いの自宅が豪華になっていくような、ダンサーを目指せば姿勢が良くなるような、当たり前の話だ。

    では小説家を目指すことにより何が豊かになるのか?

    ・自然観察眼
    ・想像力
    ・文章表現力
    ・心の中の友達
    ・揺るぎない価値観

    自然観察眼

    小説家になるには風景描写が肝心で、美しい風景を作品に取り入れて細密に書き込み、読者の心を揺さぶらねばならない。
    作中に爽やかな風を吹かせ、読者の心をさっと涼やかにする。
    そのために最近の拙者は、夕日はどんな色かとか、この季節はどんな花が咲くのか、どんな匂いがするのかなどなど、できるだけ観察するようになった。
    ぜんぜん未熟なのだが、以前よりは風景や四季を五感で感じ取るように心がけており、それゆえ豊かになっている。

    想像力

    小説家になるには想像力が必須である。自分で体験し得ないことを書くことがあるからだ。
    最近は想像力の翼を広げまくっており、とめどなく妄想するように練習している。もし交通事故を起こしたとすればこれが原因かと思う。
    どこにいてもニマニマできるし、ARもVRも不要なくらい別世界に飛んでいる。
    一般人視点ではヤバい奴だが、小説家としては豊かである。

    文章表現力

    風景も、心情も、色、形、表情など何でも文章で表現せねばならぬのが小説家であり、この現象を文章にするには何と書くかなぁ? と頭を巡らせる。
    何かを見た時に言葉で表現できたものは頭に残りやすくなった。
    感動を言葉にできたとしたら、心の再現がしやすくなる。
    面白い話も、恥ずかしい話も人に伝えやすくなる。
    これはかなり豊か。

    心の中の友達

    小説家になるには小説を読まねばならない。
    たくさんの小説を読むと、それらの主人公たちが心の友達になってくれる。
    心の友達は何らかの決断をする時に、ふとアドバイスをくれるかもしれない。
    「想像力で乗り越えよう」と言ってくれるかもしれない、「悔しくても耐えよ」と言ってくれるかもしれない。
    本当の窮地に陥った時に助けてくれるのが、こういう友達であり、ビジネス書にはない小説の力なんだよなぁ。
    心の友達が増えて、読めば読むほど豊かになる。

    揺るぎない価値観

    人間社会で生きていると、あらゆる尺度で評価される。
    年収、仕事、外見、着てる服、アクセサリ、モテるかどうか、フォロワー数、いいもん食ってるかどうかなどなど。
    しかし、叶えたい夢が1つあれば、すべてがどうでも良くなる。
    他人の価値観はどうでも良い。
    書けるか否か、それだけだ。
    揺るぎない価値観はここにある。


    そして、きっとここからなんだろうなぁ。
    この豊かさをおすそ分けできるようになった時に、小説家になれるんだろうなぁ。
    料理人も大工もダンサーもおすそ分けできるようになってからがスタートだろうしね。

    以上、道半ばだけれど豊かになれた話でした。