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  • 今こそ日本に必要な、あたたかい目で見る運動会

    今こそ日本に必要な、あたたかい目で見る運動会

    拙者は幼き頃から喘息で、さらに球技が苦手で、小中高と運動音痴の劣等生として育った。これは悲しきことである。
    しかし大人になってから、劣等感の反動もありランニングに熱中したり、鉄棒もできる方だったり、ダンスではめちゃめちゃ元気だったりする。
    昨年は靭帯損傷で運動できなかったこともあり、今はとにかく体を動かして遊びたい。
    走ったり泳いだりはするが、ふと考えると、チームプレイで遊ぶ機会がない。
    IT化で対面交流が減っている上に、チームプレイも減っている現代。なにか考え、企画すべきじゃないかと思った。

    個人的にはミニ駅伝がしたかったのだが、それだけじゃ門戸が狭いので、他の競技も付け加え、ゆふるわスポーツ大会として、2023年2月26日(日)に実施することにした。

    理想を描いたところでは10人集めて5 vs 5で遊びたかったのだが、想いは届かず6人に縮小された。
    考えていたアルティメットは正式ルールを採用できないし、ミニ駅伝も競技時間が短縮される。
    細かい想定ができず、出たとこ勝負。
    だけど、これが功を奏した。

    単に河川敷でフライングディスク(フリスビー)を投げ合うだけで非日常だったし、ミニ駅伝では仲間が頑張って走る姿に勇気づけられた。
    偶発的な面白みがあって、たとえばフライングディスクをギリギリでキャッチする格好は日常では見られない姿で、それが面白い。
    あるいは、フライングディスクがどんな風に飛んでくるか分からないランダム性が面白い。
    敵チームがどんな動きをするか分からなくて面白い。
    誰がどんな走力を発揮するか分からなくて面白い。
    ゴム紐を口に咥えて、その白い布で相手と繋がってる様が、今まで見たことのない景色で、めちゃめちゃ面白い。

    ゲーム後にフリーチャイのお兄さんに出会ったこと、ランチを食べに行った店、その後のカフェ、知り合いに会ったこと、それらも偶発的で、天からの贈り物みたいな感じがして、出たとこ勝負で良かったなと満たされた。

    こういったことが全部いつもと違ってて心躍ったし、こういったことをまた体験するためにはどうすれば良いかと考える。
    1つは自分一人で判断しないことかな。一人だと決断の結果みたいになる。
    もう1つは、金でサービスを買わないことかな。金を出す時は何らかの結果を期待するから出すのであって、その期待を上回るか下回るかはあれど、だいたい想像の範囲内で終わる。
    型にはまらず偶然を楽しむ余裕を持とうと思った。

    主催者としての考察。

    ・ゆふるわスポーツ大会のニーズはある。
    ・あたたかい目で見るチームスポーツは心地よい。
    ・運動の機会が欲しいだけなので、競技性は少なくて良い。
    ・ゆるふわスポーツピクニックみたいなので良い。

    大人になってしまうと、チームスポーツにジョイントできなくなってしまう。経験者であればいけるかもしれんけど。
    そういう人の受け皿があってしかるべきだし、とにかく楽しかったので、新たな競技を携えてまた召集をかけたい。

    とにかく集まってくれた5人には感謝を申し上げる。
    雪がチラつく寒い日で、競技内容も謎で出たとこ勝負で、それでも楽しくしようと前のめりになってくれた。

    日曜午前の運動はとても爽やかで、有意義で、友が待つからこそ朝起きて家を出ていける。
    そんな予定で毎週を埋めたいくらいだ。
    だからゆるふわスポーツに拙者を誘ってほしい。

    もうよい歳になってしまって、こういう遊びができるのも短いなぁ。
    と、少し寂しく結びます。

    以上。

  • 美しい風景描写を書きたい

    美しい風景描写を書きたい

    日々意味不明なことを書いておりますが、たまには世界の美しさを描写したい。
    みにくき我が心理を描写しすぎて、風景描写は不得手なのだが、何かしらの感動を呼ぼうとするのならば、美しき風景に頼るほかない。
    とはいえ、見る目が濁っておるので、美しさを美しさと感じれず、庭に出て、ハラリハラリと舞う雪を見ても、ほころび始めた梅花を見ても、今日は寒いなぁと生活感ばかり漂わせてしまう。
    困った困った。

    世界の美しさを描写できぬのは、部屋が汚いからではあるまいか?
    こんな部屋にいて、美しい文章が書けるはずなかろう。
    いやいやそれは関係ないぞ。
    美しい部屋に住み、服を着飾ったとしても、美しい文章が書けるとは限らぬ。

    今日は少しだけ掃除をし、スカッとなった部分はあるが、逆に汚い部分が目立ち始める。
    この世界は厄介にできておる。
    ゴミの中のゴミは目立たないが、きれいな場所のゴミは目立つ。さりとてゴミの中の薔薇はもはやゴミであるし、ゴミもちゃんと分別すれば資源となる。
    とかく掃除は面倒くさい。
    ルーズな家庭で育ったゆえ、美意識に欠ける。
    ローズが咲き誇る家庭で育ちたかったものだ。

    美しい風景といえば、「ああこの景色を君にも見せたかったな」と思う時がチャンスなんだろうな。
    最近では簡単にシャッターを切ってしまい、ディスプレイに映るそれを見て、「ああ、上手く撮れないな」と思うだけで、言葉で表現しようという意欲がそもそもない。

    自分の好きな景色くらい、言葉で表現できるくらい自由に生きたいものだ。
    たとえば、琵琶湖の湖西の和邇あたりから蓬莱に向かう時の比良山の迫りくる様子とか、泉涌寺の総門の前にある段の高低差は物語が生まれそうなのとか、宇治橋から中の島や塔の島を望む風光明媚さとか、旅から帰ってきた時の大手筋のゴチャゴチャした安心感とか、裏稲荷の大岩大神の不思議な感じとか、言葉で上手く伝えたことがなく、不自由。
    技術がなくて不自由。

    これからは、心と言葉で記憶していこうと決意を新たにし、いつか美しき風景描写が書けるようにと願い、たぶんすぐに忘れるだろうなぁと諦めつつ、もう寝ようと思う。

    以上。

  • 小説家になる方法

    小説家になる方法

    小説家になる方法がぜんぜん分からないと思っていたが、最近ではちょっとづつ分かってきた。
    読む、書く、読む、書く、読む、書く、を繰り返すしかない。
    これさえしとけば成れるというわけではないが、最低条件ではある。

    作る系の仕事をする人なら同じだろう。
    料理人になる方法は、
    食べる、作る、食べる、作る、食べる、作る。
    プログラマーは、
    読む、書く、読む、書く。
    絵描きなら、
    観る、描く、観る、描く。
    音楽家なら、
    聴く、奏でる、聴く、奏でる。
    みんなそうやって生きている。

    先達に習うのも大事かと思うが、プロの世界では誰かが教えることの上を行かねば、なかなか食えないのが世の中だ。
    常に新しいことを取り入れねばならない。
    その上で人に認められねばならぬので、ツラい世界でおます。

    だから過程を愉しむしかなくて、読む、書く、読む、書く、読む、書くは、別に苦痛じゃなくて、苦痛なのは、こんなことしてて意味あるのか? と内省する時や、自分が書いたものがつまらぬ時。あるいはとても良い出来だと惚れ惚れしたのに、評価を得られなかった時。嘆息を漏らし、あうううう、と打ちひしがれる。

    これらの苦痛は経験済みで、それでも書こうと思っているから、この志たるや本物じゃ。良いぞ、良いぞ、頑張れと、自分で自分を励ましている。
    邪魔するものも全然なくて、仕事が忙しいとか、子育てに忙しいとか、病気だからとか、全く言い訳が成り立たず、唯一として貧乏で生活が苦しいと言うことはできるが、これは遊ぶ金が無きゆえ遊ぶ時間を必要とせず執筆が捗ってしまうので、むしろメリット。自宅での独り酒を禁止したのでブログも捗ってしまう。
    言い訳ができぬ。小説家になれなかった時は、想いの小ささ、ということになってしまう。この評価には悪寒が走る。寒い。と思ったら暖房が切れてた。

    著述家など、原価のかからぬ仕事すぎておこがましいよな。
    字だけで生きるなぞ、正気かよ。
    と、商店街育ちの拙者は考えたりもする。
    いや、待て待て。
    だいたいいつもマイナスを被っている。
    読者は3分で読み上げるのに、拙者は1時間くらいかかっているのである。20人に読んでもらってやっとトントン。
    原価はかからぬけれど、時給はいつもマイナスだ。
    いつか返してもらうぞ!

    以上。

  • 理想通りにならないところからが腕の見せ所

    理想通りにならないところからが腕の見せ所

    2/26(日)にゆふるわスポーツ大会というのを企画し、呼びかけてみたが目論見通りにいかなさそうだ。
    10名は集めたかったのだが、日が悪かったようで6名といったところ。
    こういうオモシロイかどうか分からない企画は難しいと分かっていたが、もうちょいいけると思っていたので惜しい。

    誘った人の反応的には「ゆふるわスポーツ大会」というフレーズは悪くないようだ。ニーズはある。
    しかし、中身は検討の余地がある。磨きたい。
    競技性を高めた方が良いのか、ピクニック的にした方が良いのか、あるいは専門性を高めたほうが良いのか、何を求めているんだろう。新奇性も必要で、実は動画映えがポイントになるのかもしれんなぁ。

    3 vs3だったら、駅伝は成立しそうだが、アルティメットは無理そう……。
    ん? バスケの「3 on 3」というものがあるから、ルールを調整したらなんとかなりそうだな。
    ハーフコートにして、バスケットゴール的なモノを1つだけ用意すれば競技として成立しそう。
    これはイケた。

    兎にも角にも、体を使って遊べる種目や友達を増やしておこう。
    これからの社会では運動のニーズはどんどん上がる。
    マラソン人口が過去最多という記事を見たり、カレー屋さんで食事をしていると後ろのテーブルの女性が「ハワイに行きたいからマラソンでも始めようかな」と語っておられた。
    AIが仕事をして、人は運動する未来?

    あとはチームプレイの希少価値も高まってくると思うので、良いものを生み出したい。集まって何かをやってみて手応えを掴みたい。
    出たとこ勝負だけど、未来のための一歩でもある。

    ガチガチに企画を固めてしまうのが拙者の悪い癖でもあるので、遊べそうな備品をちゃんと用意しておいて、他力本願でみんなに遊んでもらうだけでいいかもな。
    フリスビーをキャッチし合うだけで、楽しいかもしれんもんな、もう20年くらい触ってないし。

    運動して楽しみたい、できればチームプレイで楽しみたい。
    この気持だけ大事にしておこう。

    以上。

  • 妄想の暴走が絶好調

    妄想の暴走が絶好調

    ふと我に返ればニマニマしている。
    1人でいるときも、バイクに乗っているときも、商店街を歩くときも顔が笑っている。
    一昨日など、商店街でニマニマしていたら、気づくと通行人の視線がこっちを向いていた。拙者はそれに気づき下を向いて歩いた。それでもニマニマは止められなかった。
    なぜニマニマしていたのか思い出せないが、妄想が捗っていたのである。
    一般人であればこの状況は恥ずべきことかもしれないが、拙者は小説家を目指しておるため、絶好調である。
    修行の成果が出てきておる。

    拙者は小説「赤毛のアン」を経典とし、主人公「アン・シャーリー」を教祖とし、妄想修行に励んでいる。
    アンはクラスメイトより少し惨めな時がある、たとえば袖の広がった服を持ってない時など、しかし想像力で補い、それが魅力だと自負しているのだ。
    拙者もかくありたい。

    修行内容を明かす。
    妄想修行その1は動画を見ぬことで、テレビやYouTube、TikTok、ネット動画などを控えている。
    どうしても時間が減るのと、動画は想像の余地がないからだ。

    妄想修行その2は貧乏に暮らすことで、金で解決できない分、知恵が働くからである。

    妄想修行その3は読書である。
    読書には充分に想像の余地が残されている。
    たとえば主人公の顔すら想像し放題である。

    妄想修行その4は自然に親しむこと。
    自然は情報量が多く、頭が活性化される。

    妄想修行その5は布団に入ってすぐに寝ようとしないこと。
    目を閉じて空想を広げている。
    寝て夢を見ているのか、意思を持って空想を広げているのか分からなくなる。熟睡できなくてツラい。

    と、これらの修行の成果で妄想が暴走し、あらゆる時にニマニマしている。
    そろそろ奇人変人のたぐいとしてご町内で噂になるかもしれぬが、気にしないでおく。

    以上。

  • 早く寝よう

    早く寝よう

    今日は早寝をしよう。
    寝不足な上ににわかに忙しく、いつものゆるゆるとした余裕がない。
    自分らしく生きるための余裕が拙者には大切だ。

    夜寝る前にピカンとアイデアが下りてきたらどうします?
    →気にせず寝る
     アイデアをメモする

    昨日の拙者は下段にカーソルを合わせた。そして夜更かしに発展した。

    寝る前の段階になって、書けそうな物語のイメージが膨らみ、メモにしておこうとスマホを手に取り打ち込むと、それは序章を形作り、もっともっとと欲が出て、こうかなこうかなとやっているうちに、終わった頃には3時になっていた。
    布団の中で、スマホで入力しているのでたいへん効率が悪いし、布団から出ている手が冷え冷えになる。

    書き上げた時には、傑作だ、天才だ、勝利だ、と思ったものの、改めて読み直すと、あの興奮はどこへやら、面白さが分からない。
    こんなものである。

    寝不足は寝坊につながり、寝坊は仕事の遅れに、遅れは焦りに、焦りは疲れに変わっていく。
    疲れた。
    久々に家で酒を飲みたくなった。

    この企画、その企画、あの企画を抱え、仕事も家事もあり、その上小説も続けたい。にわかに忙しい。

    こういう時だ、こういう時が困る。
    毎日の仕事に苦痛を感じないけれど、創作意欲がスパークしている時は仕事を休みたい。
    気楽に休める仕事を目指すべきかもしれんけど、毎日決まっているからゆるく仕事ができるわけでもあるし、なかなか悩ましいな。

    というわけで、とにかく寝ますし、ブログはしばらく休むかも。

    以上。

  • 謎パーティーに参加し、人妻の色香に翻弄された話

    謎パーティーに参加し、人妻の色香に翻弄された話

    自分が遊び慣れないオジサンだなぁと思うと、切なくなる。
    いや、アウトドアフィールドなら遊びまくったけれど、シティの遊び、あるいは男女の遊びは初々しいことこの上ない。
    高校生くらいの発達レベルで社交性を発揮せねばならぬず、振る舞い方が分からずにタジタジ。でも外見はオジサンで、存在自体がキツイ。
    今日もまた、情けない話を書かねばならぬ。

    京都の某所で美味しくビールを飲んでいたところ、
    「近くでイベントをやっているので一緒に行きませんか?」
    と、その日初めて会った方にお誘いいただいた。
    内心では、ちょっと面倒くさいぞ、とたじろいだ。その場でも楽しく過ごせていたからだ。
    しかし、小説であればこういうことで異世界の扉が開かれて、冒険が始まるし、ほどほどに酔ってて気持ちも大きくなっていたし、ノコノコと出かける。
    火照った体で静かな夜の街を歩き、大通りに出て、店内からもれる光に誘われると、そこはほどよい異世界だった。

    飲食店主催のパーティーで、店内はDJブースが設けられ、人がワイワイ集まっている。知らぬ人と肩をすり合わせないと移動できないレベルで、その密度に一旦は圧倒された。3年間コロナ禍だったので久しぶりである。
    群れの中に入った拙者の視線は、どうしても女性をサーチするように動くようで、何人かの麗しい女性を捉え、だけどいきなりは声をかけられず、どうすればその場に馴染めるのかを必死で考える。

    そのパーティーには独特の作法があり、それは人と喋らねばならぬ強制力があり、最初の一歩はなかなかハードルが高い。
    ひとまず年長者っぽいオジサンに声をかけ、振る舞い方のお手本を示してもらおうと思った。
    しかしそのお方は、
    「いや、女の子に声かけるべきだろ」
    と、おっしゃる。
    ごもっともである。

    お陰さまで、年上の女性や誘ってくれた方のフォローが入り、とりあえずは場とジョイントする突破口が開けた。
    パーティーでひとりポツンと取り残されるのは、侘しいからなぁ。なぜその場所にいるのか分からなくなって、周りはガヤガヤしてるのに、1人だけ無常観に浸って、悟りを開きそうになるからなぁ。
    その侘しさを埋めるために無理して誰かと喋るのも、また虚しい。
    パーティーは苦手である。

    などと、思っておると、ふと視線がぶつかる女性がいて、その方は女性の二人連れで、若すぎることもなく、これは! いける!
    たぶん「カンパーイ」みたいな感じで喋りかけ、「このイベントにはよく来るんですか?」などと会話をつなぎ、そこからは自然な会話が発生してたはず。
    「体を動かすのは好きですー」
    「重低音で体を揺らすのが好きですー」
    「ヨガはやってますー」
    などの言葉に、拙者はランニングやサルサダンスや盆踊りトークで応酬した。久々に腰をくねくねして見せたら、喜んでおられた。
    他の方ともお喋りしたが、おおむねこの方とのトークが最も安心感があり、長く時間を過ごし、そのうちに幻想が頭をかすめるようになる。

    この日初めて会った異性なのに距離が近い。
    拙者の耳に寄せた小さな口から流れる声が心地よかったり、ふと顔が近すぎたり、華奢な手や肩や腰に触れたり、それがベルベットの感触だったり、なにかタケノコがむくむくと育つような心境。
    キリッとした眼と薄い唇に髪はボブ。とても良識の有りそうな見目なのに、時折甘えるような仕草、女の色香が出ておる。

    こうしてブログを書いている拙者であれば「落ち着け落ち着け、いつもの自分のままでいろ」とアドバイスするのだが、酒飲んでぽわぽわモードに入っておったやつは、デレデレとした醜態を晒していたのであろうな。
    修行が足りんぞ、修行が。

    聞けば人妻で、30代で、お子もおられるそうで、拙者は波乱など期待しておらぬのだが、あまりにふわふわとした酔気を出しておられたので、誰かがそばに居た方が良いよなぁという気持ちだった。
    「家は近いんですかー?」
    と聞かれた言葉に、それ以上の意味を推し量ったり。

    でも最終的には、ひつこい、と思われたようだ。
    彼女は隣の男性に積極的にお喋りを持ちかけ、拙者は独り残される。
    ポツン。
    甘え方も巧く、逃げ方も巧い。
    遊び慣れておられる。あっぱれなお人じゃ。
    そんなこんなで終宴の時間が近づき、まだ賑わいの残る店内を後にして、小雨の道を駅まで歩いた。

    何も失ってはおらぬので大丈夫だけど、遊び慣れてないオジサンだなぁと実感してしまい、自信は失ったところだ。
    ガッデム!

    あーあ、ちゃんとした大人になりたかったなー。

    パーティーは苦手だ。
    だが、懲りずに鼻の下を伸ばしに行こう。
    生き恥さらし、人間らしく、ぬけぬけと生きるぞー。
    本当はひつこくなんてないぞー。

    以上。