小説家になる方法がぜんぜん分からないと思っていたが、最近ではちょっとづつ分かってきた。
読む、書く、読む、書く、読む、書く、を繰り返すしかない。
これさえしとけば成れるというわけではないが、最低条件ではある。
作る系の仕事をする人なら同じだろう。
料理人になる方法は、
食べる、作る、食べる、作る、食べる、作る。
プログラマーは、
読む、書く、読む、書く。
絵描きなら、
観る、描く、観る、描く。
音楽家なら、
聴く、奏でる、聴く、奏でる。
みんなそうやって生きている。
先達に習うのも大事かと思うが、プロの世界では誰かが教えることの上を行かねば、なかなか食えないのが世の中だ。
常に新しいことを取り入れねばならない。
その上で人に認められねばならぬので、ツラい世界でおます。
だから過程を愉しむしかなくて、読む、書く、読む、書く、読む、書くは、別に苦痛じゃなくて、苦痛なのは、こんなことしてて意味あるのか? と内省する時や、自分が書いたものがつまらぬ時。あるいはとても良い出来だと惚れ惚れしたのに、評価を得られなかった時。嘆息を漏らし、あうううう、と打ちひしがれる。
これらの苦痛は経験済みで、それでも書こうと思っているから、この志たるや本物じゃ。良いぞ、良いぞ、頑張れと、自分で自分を励ましている。
邪魔するものも全然なくて、仕事が忙しいとか、子育てに忙しいとか、病気だからとか、全く言い訳が成り立たず、唯一として貧乏で生活が苦しいと言うことはできるが、これは遊ぶ金が無きゆえ遊ぶ時間を必要とせず執筆が捗ってしまうので、むしろメリット。自宅での独り酒を禁止したのでブログも捗ってしまう。
言い訳ができぬ。小説家になれなかった時は、想いの小ささ、ということになってしまう。この評価には悪寒が走る。寒い。と思ったら暖房が切れてた。
著述家など、原価のかからぬ仕事すぎておこがましいよな。
字だけで生きるなぞ、正気かよ。
と、商店街育ちの拙者は考えたりもする。
いや、待て待て。
だいたいいつもマイナスを被っている。
読者は3分で読み上げるのに、拙者は1時間くらいかかっているのである。20人に読んでもらってやっとトントン。
原価はかからぬけれど、時給はいつもマイナスだ。
いつか返してもらうぞ!
以上。
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