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  • コミュニティサイズのイベント

    コミュニティサイズのイベント

    ようやくコロナパニックが収まり、新型コロナがコロナ2019とどこか懐かしげな名称に変わり、もうすぐ春が来る。
    すごい人流が予想されるが、京都の観光地は大丈夫かなぁ、どうなるかなぁ~。

    これまで皆々は疫病で抑圧されていたので、それが一気に弾けると思う。イベント事は大盛況になると思いますよ。拙者もできるだけ楽しみたい。

    しかしながら拙者は、大きなイベントではなくて、コミュニティサイズのイベントに参加したり主催したりしたいなぁ。
    コミュニティサイズというのは、5人~15人くらいの規模をイメージしており、社会心理学ではシンパシーグループと呼ぶ人数。

    大きなイベントは、誰かと仲良くなれる可能性が低くて、またそれを主催しても、人が通り過ぎてしまう感覚になる。
    しかし、コミュニティサイズだと、仲良くなれる可能性が高いし、次に会った時は「あっ、あの時の」なんてことが起こる。これが愉しい。

    難しい点は、1人で乗り込むのは怖い・怪しいコミュニティがあることや、社交性が必要なこと、参加してしまうと楽しくなくても空気を読みながら逃げないといけないので時間が無駄になってしまうことが挙げられる。
    この点、大きなイベントはつまんねぇと思ったらさっさと帰れるのがメリットだ。

    そういう意味では、コミュニティイベントに誘ってくれる人の存在はありがたい。ちゃんと自分のキャラとイベントの性質を把握してくれているし、アタリの確率が高いし、参加しやすくなる。
    ただし、何でもありにしておくと、宗教やネットワークビジネスやつまんないセミナーに招かれてしまうので、面倒くさくもなる。
    これらの存在は否定しないのだが、興味ないからなぁ。
    防御力も必要なんだよなぁ。

    そして、本当に楽しいものほど、なかなか情報が出てこないのも難しい点だ。
    現代はネット社会とはいえ、コミュニティは口コミだより。
    たとえば拙者にとってコントラダンスが衝撃的に楽しかったのと同じように、まだ知らない名称の何かがめちゃめちゃ楽しいかもしれない。
    一時期はサルサダンスに通っていたが、そのコミュニティ内ではみんなが知ってる情報でも、外側からはどう調べてもでてこなかったりする。
    ChatGPTに聞いたら、答えてくれるのだろうか。
    無理だろう。

    どうも最近の拙者は社交的なものばかりが頭を巡る。
    これは、世の中の多くの人がそういう思考になっているからではあるまいか。
    周りの人たちが春を謳歌しているのに、1人だけえっちらおっちら創作活動をする根性はありませんので、遊べるうちに遊んどきたい。
    世の中に乗り遅れないように頑張る!

    以上。

  • 執筆の腕前と料理の腕前

    執筆の腕前と料理の腕前

    書き綴る時間を愉しむためのブログだから、目的意識を持ってはいけない。
    もっと文章の上達を求めて書いているのだが、それは愉しめた先の話だ。
    だけれどたまに欲が出て、何かを伝えたいとか、カッコよく思われたい、賢く思われたいなどと期待すると、途端に面倒くさくなってしまうし、文章も臭くなる。
    それらを捨てることから始めねばならない。

    最近はブログを書くために、自分が何を思っているのか考えたり、一日の映像を思い出したりしているので、平原綾香ばりに、エビデー アイ リッスン トゥ マイ ハーである。
    でもって、独りである。

    本当に毎日書くことがあるくらい、色々と(無駄なことを)考えている。
    実体験としては、奈良に行ったことや、告白してもないのにフラれたこと、会計が自動化されすぎて喜びが減ったことなどを考え、机上のことではChatGPTのことや、少子化対策や、高齢者の集団自決のことも考えている。
    お金の価値についても考えるし、なぜ拙者が下ネタを言うと顰蹙を買うのかについても考える。

    これらのことを考えるよりも、小説のプロットや、新しい企画や、おもしろい制作物について考えるべきじゃないのか? と考える。
    いや、それよりも台所の洗い物をすべきなんじゃないか、その方が考えがまとまるんじゃないか、と考える。

    考えるのはいいのだけれど、話のオチまで描けないのが困るんだよなぁ。
    ゴール地点が見えないままスタートを切ると、怖いでしょ?
    文章のテクニックとしては、結末が分かっていれば、中間地点で逆の方向に話を振っておくと、落差がついて愉快な文章になるのだが、オチがないままだと、構成もなにもなく、盛り上げられぬ。

    ここで、話の流れをズバッと切って、母上の話をする。
    母上と拙者は似たようなタイミングで血液検査をしたようで、検査結果を見せあいっこした。
    小学生が通知表を見せ合うような感じだった。
    「中性脂肪はどう?」
    と母上が言い、
    「体型見たら分かるやろ」
    と拙者はキレ気味で答えた。

    共通の話題があって、そこそこ親孝行息子である。

    母上がどこかに旅行し、客室から海が見えるホテルに泊まったらしい。
    オーシャンビューと言いたかったようだが、なぜかそのタイミングだけ滑舌が悪く、オッサンビューと聞こえた。
    オッサンビューのホテルには泊まりたくない。

    いつもうるさくて、後片付けをきちんとしないルーズな母上であるが、お客さんから立派なかぶらをもらって、それの調理法を拙者に教える際にはめちゃめちゃ的確で、授業を受けた気分になった。
    みずみずしい野菜をさらりと調理できるのって、カッコいいよなぁ。

    最近は毎日料理をしているので、腕前が上がっている。
    拙者の作る料理がめちゃめちゃ旨い。
    文章はあまり上手くならぬのに、複雑な心境。
    料理も作る系の仕事なので、そこそこ好きなのだが、できれば作品を遺したいと望んでいるので、やっぱ小説がいいなぁ。

    毎日書いた先にそれがあるのか分からないけれど、望む未来に手を伸ばさないと、急に人生が無意味になってしまうからなぁ。手放せねぇ。

    これをオチにするにはスッキリ感がないなぁ、と考えつつ、もうスパッとやめにする。

    以上です。
    今日もそこそこ愉しみました。

  • 糖尿病だったらどうしよう。特定健診を受けた

    糖尿病だったらどうしよう。特定健診を受けた

    糖尿病だったらどうしよう……。
    という不安が、定期的に訪れる。

    あれは3年ほど前だったか、治りにくい傷があって、体がおかしいんじゃないかと、糖尿病を疑った。
    医者に行き、血液検査をしてもらった。
    最近では、指先をチクッとして少量の血を採取するだけで、糖尿病か分かる。
    その時は、ぜんぜん陰性で、正常だった。
    酒もバリバリ飲める、と先生に言われた。

    それは3年も前の話で、去年は足首の靭帯を切って運動ができぬ日々なのに、食べる量は減らず酒の量は増えた。
    だから、健康状態が危機的になった可能性がある。
    糖尿病になっていたらどうしよう。

    傷が治りにくい、頻尿になってきた、ご飯を食べると眠くなったり、時々は耐えられない眠気に襲われ意識を失うかのようになるときがある、気怠い日もあるし、手がしびれるときもある、耳鳴りがキュイインと聞こえるときもある、銭湯に行ったらのぼせそうになる。
    こんなにたくさんの健康不安を抱え込んでいる。

    不安を抱えると、なにかにつけて糖尿病だからこういう症状なのかもしれん、って思ってしまうのがマイナス思考の悲しみだ。
    不安じゃなかったら気のせいで済むのにな。
    恋煩いでも、もう別れがやってくるかもしれん、と思えば思うほど、別れの原因を探してしまい、もうどうしょうもなくなるのだ。
    悲しみ。

    不安は解消すべきだし、医者に行って検査をしてもらおうと思い、そういえば京都市の健康診断の制度があることを思い出した。
    ややこしかったのでスルーしていたやつだ。

    一般的な社会人は会社の健康診断が定期的に実施されるようだが、拙者はここ8年くらいフリーランスで、会社に雇用されておらず、検査の機会がない。
    40歳を超えたある日、特定健診の案内が届いて、拙者もオジサンになったんだなと思った。
    これは、血液検査や尿検査が500円で受けられたり、人間ドックを受けられたりする制度。
    ちなみにこれをスルーする人は圧倒的に多くて、受診率は36.6%らしく、3人に2人ほどは無視する制度。

    受けにくい理由は、選択肢のせいではないか? と思う。
    どれかを選ばないといけない。
    ・特定健診を個別検診で受ける
    ・特定健診を集団検診で受ける
    ・人間ドックを受ける
    さらにはオプションや受診機関なども選ばねばならず、そこそこ思考力が必要だ。
    用語が見慣れないし、考えるのは面倒くさいし、今のところ健康だからまぁいっか、となってしまう。

    とまぁ、当初はスルーしていたのだが、糖尿病の検査を受けたかったし、安く済みそうだったので(血液検査は4000円くらいのイメージ)、受診票を再発行してもらい、近くの医院に向かった。

    尿と採血と身長と体重、あとオプションで胸部のレントゲンと心電図検査をしてもらった。
    そこそこ愉しくて、心電図の時などは、好きな子を思い浮かべたら異常値出るかなぁと頑張ってみたけど、むしろ脈拍少ないと言われた。

    検査の1週間後に来院と言われ、その日は予定外の祝日で、あけた月曜に赴く。
    すると、またもや検尿を求められた。
    これは再検査か!
    募る不安。
    あぁ、尿に糖が出てるんだな、もうおしまいだ。
    「糖尿病に罹患しました」というブログを書かねばならない、と覚悟した。

    尿のデータはすぐに解析され、感熱紙のペラい紙になり、拙者は診察室へと通された。

    先生が言うには、1回目の検査では尿にたんぱく質が検出されたので、腎臓が怪しいかと思ったが、2回目は正常だった。
    血圧が144で高いと思ったが、もう一度測ったら120くらいで正常。

    尿も血液も異常なし。

    拙者は尋ねる。
    「先生、糖尿病を疑ってるんですが」
    「異常はないですね」
    と終わった。

    ちなみに血液の血糖値は2ヶ月間くらいの値が出るらしく、12月と1月は自宅での酒を控えていた時で、それで正常値になったのかもしれん。
    思いっきり不摂生なときの血を検査してほしかったなぁ。

    というわけで、糖尿病疑惑はまたしても取り越し苦労だった。
    あー、良かった。

    と、思いきや。
    てことは、またあっち系が異常なのかもしれんなぁ。
    コロナ騒動の初期はストレスにさらされて古傷が開いたもんなぁ。今振り返ると、自律神経系かと思う。
    あぁ、また、自律神経がおかしい。
    あー、どうしよう。
    と不安を抱えて、生きていくことにします。

    以上です。

  • 酒のんで、音楽鳴らして、踊る春

    酒のんで、音楽鳴らして、踊る春

    今日の京都は日差しが暑く感じるほどだった。
    梅もチラホラしてきたし、ふきのとうも出てきたし、外の匂いが土臭いようだし、待ち遠しい季節がやってくるよ。
    たくさんお外で遊べるなぁ、バーベキューしようかな、どの仲間に声をかけようかな、普通にピクニックで良いよな、外でそよ風に吹かれながらだし巻き食べるだけで良いよな。
    などと頭に浮かぶ。

    冬の間は、寒い寒い、冬眠したい冬眠したい、と言い続け、しょうがないので布団の中で過ごす時間を増やし、あるいは湯船で文庫本を読んで2時間近く過ごし、しかし家の風呂はすぐ冷めるので苦々しい。体を温めたいがためにランニングに出かけ、それでも足の指は霜焼け寸前で、ギリギリ生きてた。
    冬に飲むビールは夏みたいに美味しくないし、畑の作物は育たないし、街行く女性は厚着だし、唯一最適な銭湯も怪我続きで気持ちよく入れない。
    そういう冬がもうすぐ終わる。
    嬉しい。

    冬にももっと遊ぼう、と考えはした。
    例えば庭に汗だくだく小屋を作って、ホンマの時計型ストーブを焚いて、その熱源でチゲ鍋をして、ハフハフ食べて、汗びしょびしょで、その状態で外に飛び出してひんやりして気持ちいい、という遊び。
    サウナが流行ってるから、ありかもしれんよね。
    しかしこれは、ナゾノトチでやるべき企画だ。
    我が小屋ダニーハウスはサウナにしよう。

    汗びしょびしょと言えば、フォークダンスをすれば、冬でも体がポカポカになるのだが、まだ室内系ダンス企画は難しいな、人と人との距離も近いし。
    屋外でなら踊れるかなと思ったりして、だからこそ、野外で遊べる季節がたいへん待ち遠しいのだ。
    酒のんで、音楽鳴らして、踊ったら、それでいいよな人間なんて。
    踊る君と目が合って、ときめいて、それが春ってもんでしょう。

    春になったらやりたいことがいっぱいなので、計画しておかないとなぁ。
    体調も万全にしておかないとな。
    怪我にも気をつけないと。

    春よ来い、早く来い。

    以上。

  • 暗澹たる将来設計

    暗澹たる将来設計

    去年に比べれば、今年はそこそこ元気だ。
    去年は足首の靭帯を切ってしまったので、老いが一気にやってきた。
    執筆も上手くいかず、一つ仕事を失って、友との交流にも情熱がわかず、閉じていくような日々を過ごしていた。
    自然と酒の量も増えていたと思う。

    今年は足首の靭帯が治ってきて、自宅での独り酒を禁止にし、酒飲む時間がブログの時間となり、こうして自分を見つめながら生きており、また、ブログに書くネタは何かないかなぁ?と考える時間が新たな企画を思いつく時間となり、人を集めてやりたいことが増えている。
    今年は始まったばかりだが、そこそこ元気だ。

    だが拙者は42歳で、バカボンのパパの年齢を超え、白髪がチラホラ生え、尿意が急にきたり、柔軟性がなくなったり、お茶を飲んでるだけなのに時間が過ぎ去っていく。まもなく要介護なんじゃないかと思えてくる。
    だから、年相応のライフスタイルや趣味を今から準備しておくべきなのかなぁと考える。

    畑を始めたりしてるけど、他にもなにかあるかなぁ。
    小説を書こうとしてるし、盆踊りや音頭を愛好してるし、ヒゲも生やしているし、脂っこいものを控え、充分にオジサマになってきておる。格好も気にならなくなってきた。
    しかし、老いに対応しようなんて思うと、暗澹たる気持ちになるな。
    仕事はどうなるのだろうか?
    今より動けなくなって、今より楽しいことが味わえるのだろうか?
    「石黒さん、石黒さん」「グロさん、グロさん」と若者たちから呼んでもらえるのだろうか?
    一緒に遊びたいと思ってもらえるのだろうか?
    あの頃は楽しかったな、などと振り返るのは嫌だな。

    20代の頃は、いつかスゴクなる、だから今ショボくても大丈夫だと思えていた。未来があった。それだけで無謀になれた。
    20代に広げた夢は、叶ったり、叶わなかったり、叶ったと思ったら失ったりして今に至る。
    あの頃は馬鹿だったし、今でも阿呆だけど、前よりは知ってることもあるし、感情のコントロールも上手くなったはず。
    例えば好きな子を好きだと思ったまま別れて、そのまま好きでい続けて、悲しみを受け入れられたりする。

    そうだよな、老いと共に、身につけているものがあるよなぁ。

    もちろん今でも未来はあって、叶えたい夢はあるぜ。
    トライアスロン完走とか、ツリーハウス作るとか、カフェを開業してもいいし、小説家になってもいい。
    権力はいらんし、金も最低限でいいし、身軽なのが一番好き。
    とにかく楽しいのがいい。
    でも何か、作品か文化は遺したいなぁ。

    とまぁ、老いてくるのは自明だが、将来設計するのはやめておこう。
    暗澹たる気持ちになるだけだし、設計どおりになるわけないし。
    今を充実させ、楽しい春に思いを馳せよう。
    春には種を蒔くよ。
    ニワトリの孵化にも再挑戦するよ。
    人との交流を増やして、楽しんで、にこやかに過ごすよ。
    そして何か、作品を作りたくなったらまた頑張る。

    以上。

  • ランニング(ジョギング)サークルを考える

    ランニング(ジョギング)サークルを考える

    ランニングを趣味としているので、ランニングサークルに所属したい。
    と、これまでに何度も何度も考え、調べたりしたけれど、そのまま止まっている。

    前提として拙者は京都ハッシュというサークルの堂々たるメンバーである。
    ハッシュはハッシュでとても良いのだが、走る距離が短いのが難点。
    専属する必要はないので、別のサークルへの参加も考えるところだ。

    ランニングサークルと言っても、志向が色々とあるようだ。
    ハッシュで言うと、実はビールを飲むのがメイン。
    他には、平日の夜にモチベーションアップのために開催しているサークルがある。
    休日の旅ラン的なサークルもある。
    フルマラソンなどを目指すガチなサークルもある。
    出会いが目的?みたいなサークルもある。

    拙者はモチベーションは持っているので、平日の夜の会にはわざわざは行かない。
    旅ラン系や、飲み会系を求める。ラン→銭湯→飲み会とかならなお良いし、ラン→水泳→飲み会とかならすごく良い。

    でもやはり、集まって走るのは難点が多い。
    ある人は5km走るのが精一杯で、ある人は15kmは走らないと満足できないとなると、一緒には走れないし、当然速さも違うだろう。

    旅ランのコース設定も日程を合わすのも難しいだろうな。

    となるとやはり、とにかく飲み会を志向することになろうかと思うのだが、これは少数派なのだろうか。
    飲み会があればこそ集まる意義があると思うのは拙者だけ?

    もう8年くらい昔に今や友人でもない人とわざわざ集まりやすい駅に出かけて走ったのだが、ペースも合わないし、距離も同じじゃないし、一緒に走る意味が見出だせなかった。
    失敗だった。
    あの時は、走り終わった人から飲み屋になだれ込むような会にしておけば良かったのじゃないだろうか。
    自宅から走って自宅に戻れば済むランニングを、わざわざ出かけてまでする楽しさを用意するべきで、それがないと面倒くさいだけだ。

    ここからシステムの話をしたい。
    ランニングって、走る際はあまり予定を立てずに、行ける時間に行くというパターンが多い。
    だから「明日、近所で一緒に走れる人いないかな~?」みたいなレベルの掲示板があれば、使うかなぁ? どうかなぁ? と思ったりする。

    例えばTwitterのハッシュタグでも良いんだけど、
    「2/11(土)14:00~ 伏見稲荷駅ピストン 10kmくらい 飲みあり #京都ラン」
    みたいな、情報が出てたら、ちょっといいなぁと思う。
    「行きます!」
    と、リプする。

    しかし、こういうのよりはやっぱりサークルのほうが安心かなぁ。

    結局、分からない。自分以外にニーズがあるのか分からない。
    女性から「一緒に走りましょう」と言われるくらいだから、ニーズがなくもない気がする。

    あとシンプルに、その辺で走ってるランナーに声をかけるのが一番シンプルかもしれんよね。
    「どこまで行きますか~、しばらく一緒に走っていいですか~」
    って。
    拙者なら、
    『俺の走りについて来れるのか、なめやがって』
    と、眉根を寄せるだろうな~(笑)

    まぁ、この件に関しては、なにか行動を起こすかもしれないし、起こさないかもしれない。

    もし、ラン→銭湯→飲み会、が大好きな人がいたら、ぜひ連絡を頂きたいところです。

    以上。

  • 本当に大切なものを見つめ直せる部屋

    本当に大切なものを見つめ直せる部屋

    本当に大切なものを見つめ直せる部屋みたいなのあれば、拙者の人生も少しはマシになるかなぁ。
    当たり前の日常や、少しの自尊心や、楽しいお喋りを維持してくれる数々。その扱いを時折ミスって、壊してしまうよな。
    それは自分の体であったり、人間関係であったり、スーパーカブや斧やキャッシュカードである。

    失っても別になんともないものもあるし、失ってみて心えぐられるほど痛いものもある。
    普段はそれらの価値が意識に上らず、失ってからダメージを受けるのだけど、それでは遅いので、大切なものを見つめ直せる部屋に毎日入って、大切なものを大切にしたい。

    でもそれはたいへんに難しい。
    拙者は妄想を暴走させるタイプなので、見果てぬ夢を描いては、あれもこれもとやりたがり、優先順位のつかぬまま、ごちゃごちゃバタバタ動きたがる。
    気づけば、辺り一面散らかって、脳内も散らかって、大切なものが見つからぬ、お金を下ろそうにもキャッシュカードが見つからぬ。
    ああ、金がない、金がない。

    むしろ大切なものから目をそらすための雑然さである可能性も高い。

    ごちゃごちゃした心だが、それでも庭に出てきた蕗の薹に気づいて、あぁ春が近いな、と思う。
    風流な心。
    それが一番大切。
    などとは言わぬ。

    君に嫌われたくない一心で、気をつけて気をつけて消極的になり、どうにも振るわぬ恋もある。
    絶望したくない一心で、自分の無能さを明らかにしたくなくて、手掛けられぬ夢もある。
    本当に大切だからこそ、手を伸ばせぬこともあるんだよなぁ。
    壊したくないばかりに、触れられない。
    他人ならば当たって砕けろと言えるんだけどな。

    とにかく後戻りはできぬので、大切なものは手元にあるうちは大切にしよう。
    失くなってしまったら、もうそれは過去。気持ちを切り替えて今を大切にしよう。

    まぁ、だいたい自然林ってのは様々な植物でごちゃごちゃしてるもんだから、拙者の心も思考も自然林という解釈でいこう。
    案外、本当に大切なものを見つめ直せる場所は自然林であるかもしれんし、あの小屋はちょうどいいかもしれん。

    春は近いし、そろそろナゾノトチに帰ろうかな。

    以上。