書き綴る時間を愉しむためのブログだから、目的意識を持ってはいけない。
もっと文章の上達を求めて書いているのだが、それは愉しめた先の話だ。
だけれどたまに欲が出て、何かを伝えたいとか、カッコよく思われたい、賢く思われたいなどと期待すると、途端に面倒くさくなってしまうし、文章も臭くなる。
それらを捨てることから始めねばならない。

最近はブログを書くために、自分が何を思っているのか考えたり、一日の映像を思い出したりしているので、平原綾香ばりに、エビデー アイ リッスン トゥ マイ ハーである。
でもって、独りである。

本当に毎日書くことがあるくらい、色々と(無駄なことを)考えている。
実体験としては、奈良に行ったことや、告白してもないのにフラれたこと、会計が自動化されすぎて喜びが減ったことなどを考え、机上のことではChatGPTのことや、少子化対策や、高齢者の集団自決のことも考えている。
お金の価値についても考えるし、なぜ拙者が下ネタを言うと顰蹙を買うのかについても考える。

これらのことを考えるよりも、小説のプロットや、新しい企画や、おもしろい制作物について考えるべきじゃないのか? と考える。
いや、それよりも台所の洗い物をすべきなんじゃないか、その方が考えがまとまるんじゃないか、と考える。

考えるのはいいのだけれど、話のオチまで描けないのが困るんだよなぁ。
ゴール地点が見えないままスタートを切ると、怖いでしょ?
文章のテクニックとしては、結末が分かっていれば、中間地点で逆の方向に話を振っておくと、落差がついて愉快な文章になるのだが、オチがないままだと、構成もなにもなく、盛り上げられぬ。

ここで、話の流れをズバッと切って、母上の話をする。
母上と拙者は似たようなタイミングで血液検査をしたようで、検査結果を見せあいっこした。
小学生が通知表を見せ合うような感じだった。
「中性脂肪はどう?」
と母上が言い、
「体型見たら分かるやろ」
と拙者はキレ気味で答えた。

共通の話題があって、そこそこ親孝行息子である。

母上がどこかに旅行し、客室から海が見えるホテルに泊まったらしい。
オーシャンビューと言いたかったようだが、なぜかそのタイミングだけ滑舌が悪く、オッサンビューと聞こえた。
オッサンビューのホテルには泊まりたくない。

いつもうるさくて、後片付けをきちんとしないルーズな母上であるが、お客さんから立派なかぶらをもらって、それの調理法を拙者に教える際にはめちゃめちゃ的確で、授業を受けた気分になった。
みずみずしい野菜をさらりと調理できるのって、カッコいいよなぁ。

最近は毎日料理をしているので、腕前が上がっている。
拙者の作る料理がめちゃめちゃ旨い。
文章はあまり上手くならぬのに、複雑な心境。
料理も作る系の仕事なので、そこそこ好きなのだが、できれば作品を遺したいと望んでいるので、やっぱ小説がいいなぁ。

毎日書いた先にそれがあるのか分からないけれど、望む未来に手を伸ばさないと、急に人生が無意味になってしまうからなぁ。手放せねぇ。

これをオチにするにはスッキリ感がないなぁ、と考えつつ、もうスパッとやめにする。

以上です。
今日もそこそこ愉しみました。

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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