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  • 作文中毒なので、指先が震える

    作文中毒なので、指先が震える

    活字中毒とは、活字を読むとなんとなく落ち着いて、とにかく文字を摂取したくなることで、拙者にもそういう面がある。
    文字を読んでる時間は、他のことを考えなくて済むから雑念が消え平穏になれる。
    そして他の中毒に比べると、体にも頭にも良いので、我慢の必要がない。
    拙者の場合は新聞記事が好きかな。一つの節がすぐに終わるのがいい。

    活字中毒の逆は無いのか?
    と、今日思いついた。
    要するに、読む中毒の逆で、書く中毒は無いのか?
    作文中毒、あるいは、執筆中毒みたいな。
    拙者はその中毒者になれば良いのではないか?
    「嗚呼、書きたい、書きたいよう、紙とペンをくれ、いやバッテリー長持ちのポメラをくれ」
    と、指先を震わせよだれを垂らす。

    考えてみると、そこそこ作文中毒で、文章を書くとめちゃめちゃ心が落ち着く。
    逆に文章を書かないと、寝ようと布団に入ってから色々と考えてしまい、よく寝付けない。
    Web更新の仕事が積んであるなとか、ゆるふわスポーツ大会は参加者5人以上になったかなとか、柄が折れたままの斧をどうしようとか、ああしまった水道料金払ってないとか、寝る前になって色々頭がうるさくなる。
    こういうのをごまかすために酒を飲んでいたのだが、家での独り酒を禁止しているので、他で気を晴らさねばならず、ブログはそのための一助になっている。

    本来は愛の言葉をささやく相手が必要なのかもしれん。
    「おやすみ」と、言い合いたいのだが、
    「今日はどんな日だった?」と、聞いてほしいのだが、
    「へー、それは良かったね」と、ニコッとしてほしいのだが、
    どこにも居ないようなので、AIで済まそうかと思って、やっぱそれもやめて、ブログを書く。

    「作文中毒になったら良いと思わへん?」
    と、僕が言う。
    「ダメよそんなの」
    と、君が首を振る。
    僕が「何で?」と眉根を寄せると、君はまるで呪文を唱える魔女みたいに言った。
    「ワタシ中毒になりなさい」

    とまぁ、こんな夜を過ごしたいのは山々だが、こんなこと言う人は小説の中だけなので、じゃあもう小説を書くしかないな、そして自分を満たしていこうぜ。
    と、自分を慰めて、布団に潜り込もうと思う。

    今日も作文でかなり癒えました。
    やるべき仕事を棚上げにしているけれど、中毒だからしょうがない。
    作文中毒だから、ゴメンねー。

    以上。

  • 首の皮一枚を夢とつなげとく

    首の皮一枚を夢とつなげとく

    小説家への道を首の皮一枚残すためにブログを書いている。
    とにかく文字を綴ること、それを愉しめるようになるのが重要だ。
    だから拙者は何にもネタが思い浮かばない日も、とにかく書くのだ、いまのとこ。

    伝えたいことなどなくて、今日などは他に熱中してしまったことがあって、筆が乗らん。
    特に書きにくくなる日は、印象に残る出来事をブログにしたためた翌日で、インパクトのあることを書こうと苦悩してしまう。
    欲が出る。
    違うよな、いつもの通り、内容の無いことを書けばいいのにな。
    書くことを愉しむための時間なのだから。
    人を喜ばせられる文章なんてのは、いっぱいいっぱい遊んでからやっと形になってくもんだ。

    結局のところ、愉しむことが大事。
    愉しい仕事と愉しくない仕事があるわけではなく、やる人が愉しめるかどうか。
    調理の仕事でも、愉しくやれば、野菜切るのだって、フライパンで炒めるのだって、ルンルンできるはずだし、逆に「ああ面倒くせぇ、機械化すればいいのに」と思うことだってできる。
    今日の料理は味がキマって達成感あった。

    こんなことは、2500年前の人も言っていて、
    「これを知る者はこれを好む者に如かず。
    これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」
    知ってる人は好きな人に勝てないし、好きな人は楽しむ人には勝てないってこと。
    主に学習態度について語っていることで、楽しんで勉強しなよってことだろうけど、仕事にも遊びにも応用が効くだろう。

    と、孔子の論語を引用して、なぜだかありがたいことを語る拙者。
    「おいおい、柄にないぞ、いつもみたいに無駄なことを書けよ」とPCモニターが語りかけてくる。

    あと、明石家さんまさんの名言もあって、
    掃除するのは全然楽しくないけど、どうすれば掃除が楽しくなるかを考えながら掃除すると、急に楽しくなった。
    という逸話がある。

    現代はさぁ、生活がどんどん便利になって、どんどん苦痛を回避できる。
    だが、それを突き詰めたところで、充実も楽しさも一過性。
    家の一室をシアタールームみたいにして、ネットの動画を良い環境で見れるようにしたら、どこにも出かけずに楽しめるわけで、すごく便利。
    しかしそれも、いつしか日常になってしまって、陳腐化するんだよな。

    だからそうゆうのはやめにして、身の回りをできるだけ不便にして、娯楽をなくして、妄想世界だけが楽しい状態にする。
    拙者はそういう修行中。

    でもまだ道半ばで、さほど妄想は膨らまず、物語は生まれてこない。
    それでも首の皮一枚はつなげときたくて、今日もせっせと文字を並べた。

    愉しかったかというと、微妙。

    以上

  • どっちかというと鬼サイド

    どっちかというと鬼サイド

    今日は2月3日で、言わずと知れた節分で、豆まきで、巻き寿司で、鰯だ。
    拙者は去年から怪我続きなので、節分の厄除けご利益を最大化させるべく、考えてみた。
    藤森神社にも行ってみた。
    だが、厄は祓えそうにない。

    京都では節分イベントが数多く開催される。
    筆頭なのは吉田神社だが、八坂神社、石清水八幡宮、廬山寺、壬生寺等々で、節分祭だの追儺式だのが行われる、らしい。
    残念ながら、石清水八幡宮以外は行ったことがない。

    日本には数多くの行事がある中で、節分は記憶に残りやすい。
    たとえば重陽の節句とかってあるけれど、その知名度は歴然の差だ。
    これはキャラクターの存在が大きいのだろう。
    「鬼」はかなりのインパクトがある。
    イベントにはキャラの存在が必要だなと、勉強になる。
    サンタとか、織姫と彦星とか、ジャック・オー・ランタンとか、セントパトリックスとか、北九州の新成人とか……。
    まぁ、あまり思い浮かばなかった。

    ともかく、みんなよく知る節分への積極的参加を、拙者は表明していたのだが、どうにも悩ましい。
    イベントに参加するとか、風習に倣ったところで、それって受け身である。
    藤森神社に行ってみて、太鼓の奉納演奏を拝聴して、とても良かったのだけど、厄祓い効果はあるのだろうか?
    そもそも受け身な態度で祓える厄ごときが、拙者に憑くはずがない。
    厄祓いってのは、積極的行為によってこそ祓われるべきである。
    たとえば、太鼓のリズムにのって積極的に踊ったならば厄が祓われたであろうが、急に踊ったら周りの人が驚くからと棒立ちで、立っているだけでは地面からの冷気に包まれ、むしろ風邪を引き込みそうであった。
    厄を落としに行って、風邪を引いてしまえば本末転倒であるし、ネタにもならない。

    それゆえ、鬼が出てくる前に帰った。ありがたい豆が投げられて、オーディエンスはそれをキャッチするのに必死になるらしいが、その儀式は遠慮した。

    鬼が追い払われる儀式を想像してみると、どうにも心がスッキリしない。
    よくよく考えると、拙者は鬼側のキャラではあるまいか?
    アウトサイダーなのですよ、どう考えても。
    長い物には巻かれないし、アンチ権力だし、少年革命家と同じくらいには革命を志しているし、鬼サイドのセルフイメージ。
    「悪い子はいねぇがー」
    と、人の家に闖入したい。

    だから来年は積極的に鬼のコスプレをして、酒のんで踊り明かす会をやればいいかも。
    巻き寿司咥えて踊り明かす。
    焚き火を囲んで、金棒ぶん回して、踊り明かす。

    厄を以て厄を制す。

    とまぁ、妄想はかどる節分でした。

    以上です。

  • 焼き芋と読書

    焼き芋と読書

    焼き芋が好きである。
    さつまいもって、生のままじゃ固いし甘みもないのに、なぜ焼き芋にするとあんなにも甘くなるのか?
    不思議だ、ミステリアスだ。

    何らかの秘密があるはずだが、それは解き明かさないでおこう。
    そんなことより、如何に焼けばホカホカの美味しい焼き芋が焼けるかにこそ興味がある。

    最近では壺で焼いた焼き芋が評判になっているそうだが、まだ食べたことはない。
    研究が足りない。
    年初に真空パックに入った見事に商品化された焼き芋を頂き、食べた。柔らかく甘かったのだが、やはり焼き立ての湯気が出てるのを食べたい。
    焼き立てを、誰かと取り合って食べたい。競い合って食べたい。焼き芋とはそういう食べ物である。

    焼き芋にするなら何の品種が良いのだろうか?
    なると金時、紅あずま、シルクスイート、安納芋、あと紫のやつもあるよね。
    どの品種がどんな味なのか知らないし、食べて分かるレベルの差はないと思われるが、可能ならば食べ比べをしてみたい。

    焼き芋が食べたい。
    寒空の下、焚き火で温まりつつ、ほうじ茶を飲む。
    炎の中から黒くなったアルミホイルを取り出し、軍手でもって2つに割るとそれは焼き芋で、湯気がポカポカ立ち昇り、その状態をハフハフ食べたい。
    割ったもう一つを君に手渡して、
    「熱いよ、火傷しないでね」
    と、言いたい。
    君の頬はぽわわと赤くなることだろう。

    という妄想を実現するために、焼き芋読書会という企画を考えた。
    シュールで新しい。
    焼き芋と読書がなぜ結びつくのかは不明だし、色々と理由をつけることもできる。
    たとえば、昔々、芋のつるは紙の原料として使われ、芋があるからこそ書物が発展した。
    というのは、いま捏造した逸話だ。
    むしろ、拙者が初対面の女性にこう聞いた時、
    「あなたは何が好きですか?」
    こう答えて欲しい。
    「焼き芋と読書」
    キュン!

    もう、胸の高鳴りが抑えきれない。

    ちょっと食い意地が張っているけどナチュラル志向で、もれなく焚き火やキャンプも好きで、たぶん赤ワインも好き。
    そんな彼女が読む本は何だろう?
    小説なのか、ビジネス書なのか、レシピ本か、地図かもしれぬ。
    教えてください、どんな内容なのか!

    こんな風に、気分が高まっておりますので、「焼き芋読書会」という企画をやろうかな、どうしようかな、
    参加したい人います?

    以上。

  • 節分への積極的参加とは?

    節分への積極的参加とは?

    今年の節分は盛大に、というか、ご利益を得るべく頑張りたい。
    藤森神社にお参りしようと思う。

    というのも、去年は靭帯を切ったし、今年に入ってスーパーカブでコケてスネに傷ができた、その傷はキズパワーパッドで治まるかと思いきや、今日剥がしてみると傷口が臭い、アカンかもしれん。とまぁ、体に生傷絶えなくて、何らかのお祓いが必要であると考える。

    一つの案としては、火渡りがしたい。
    山伏が執り行うあれである。
    元モーニング娘。のではなく、ありがたい護摩木を焚いて、炭火になったところでその上を歩く。
    これはあらゆるものが祓えそうやし、何なら水虫も治りそう。
    拙者の場合は、アチチアチとステップを踏んで、郷ひろみみたくなれるかもしれん。

    火渡りも、山を歩き回ることも修験道のやることなすことに、共鳴を感じる。
    修験道したい。
    ほなさっさと、聖護院か醍醐寺かに問い合わせしやがれってんだ。
    でも、こういうことを考える時にはもう夜になってるんだよなぁ。
    そうやって1月がいってしまった。

    ちなみに、火渡りイベントで名を馳せているのは狸谷山不動院らしく、7/28に実施。
    夏まで待たねばならぬのは辛いので、とにかく目下節分で厄払いをしようと思っている。

    拙者はこれまで、節分など素知らぬ顔で過ごし、実家の巻き寿司が余ってたら食べる、鰯が余ってたら食べる、豆はだいたい余ってるのでめっちゃ食べる、鬼が通りかかったら豆を投げる、という消極的関与であった。
    歳時記よりも自分のイベントが大事であった。
    だが青年期を過ぎてしまい、体力が低下し、神仏にすがらねばアンラックなことが降り掛かってくる。
    いや、青年期であればチャレンジによる痛手だったものが、中年期にはチャレンジをしてもないのに痛手がやってくる。
    何だよこの変化は、知らんかったわ。
    オジサンたち、もっとかっこ悪い情報を明らかにしたまえ。
    いや、聞く耳がなかっただけかもしれん。

    だから、オジサマがた、積極的な節分の過ごし方を教えて下され。
    日中は動けないので、夜のイベントになって、つまりは藤森神社が本命だ。
    夕方にランニングがてら通ったら、スペシャル舞台装置が整いつつあった。

    しかしだなぁ、藤森神社に行って何をすれば良いのか?
    鬼を倒せば良いのか?
    知らない。すなわち謎である。
    生身で行って、大丈夫かなぁ? いつも使ってる斧は柄が壊れてるし、犬猿雉の仲間もいないし、足は負傷してるしなぁ。
    負けるかもしれない。

    一体、どうなってしまうのか!

    以上。

  • 畑菜レベルの日常

    畑菜レベルの日常

    特筆すべきことはない。
    少しだけ幸せなことがあって、少しだけめんどくさいことがある日々。
    わざわざブログにしたためる意義を見いだせない中で、それでも何かを捻り出す。
    日常系のマンガ、たとえばちびまる子ちゃんとか、サザエさんとか、ああいうのだって、クラスや家族の人間関係が物語の主軸になるので、普通に仕事に行って帰ってきてしまうと、なんら物語が生まれない。
    ブログに書くことが思い当たらぬ時は、もっと行動せねばなぁ、人と関わらねばなぁと思う。
    ブログのせいで、行動圧力がかかる。
    悪いことではない。

    今日のちょっとめんどくさいことー!
    メインにしていたスーパーが明日で閉店になるので、商品がなくなっていた。
    お店が拙者の都合の良い位置にあって、生鮮に力が入っていて、お値段にも品質にも満足だった。お店のサイズも好きだったし、曜日ごとに安くなるパターンなども分かっていたのにな。
    買うお店を変えないといけないのは、めんどくさいなぁ。

    薪割りに使っている斧の柄が駄目になった。
    日常的に斧を使っている人は、なかなか珍しいので、この困った感じが伝わりにくいと思うけど、薪ストーブユーザーであるから、このままでは凍えてしまうかもしれん。
    斧の金属部分はもちろん健在で、木製の柄の接続部分が欠けてしまって、交換が必要だ。
    これは、ひょいと交換部品を買えば良いものではないらしく、合うように加工せねばならないようだ。
    これはちょっとめんどくさいなぁ。

    幸せなことー!
    畑菜の辛子和えを作って、美味しいんですよ。

    こういうのが美味しいんですよ。「あっ、野菜に力がある」みたいな。
    こういうシンプルなものを美味しいと感じれる自分にも満足で、老成してきたなって誇りに思う。
    美味かったですよ、農家の木下さん。

    あとは、庭の夏みかんをジュースにして飲んだり、風呂で読書したり、小さな幸せはありますよ。
    脛に傷があるのにキズパワーパッドで平然と風呂に入れるし、夕食がちょっと豪華に見えたし、週末の予定もあるし、ゆるふわスポーツ大会は神宮丸太町が良いと判断したし、そこそこ豊かな日常で、ドラマティックさはあまりなく、特筆すべきことではない。

    まぁ、冬場はこんな感じでいっか。

    以上。

  • 1.9kmはゆるふわか? ガチか?

    1.9kmはゆるふわか? ガチか?

    ゆるふわスポーツ大会というのをやろうと思っていて、2月26日(日)に実施しようと決めた。
    楽しくなりそうなのだが、会場は検討中なので、積極的に広報できないでいる。
    競技の一つにミニ駅伝をやるので、二条城がいいかなって思ったので、とりあえず視察に行ってきた。

    電車でJR二条駅へ。片道200円なので安い。
    二条城の外周は1.9kmで、信号もアップダウンもないので、人気のランニングスポットらしい。

    西南隅櫓

    北西の位置にある二条公園は、キャッチボールをする親子などで賑わっていた。都市部の公園なので人気。
    スペースあるのでフリスビーを放り投げて遊べると思う。

    二条公園

    二条城の外周を走ってみると、とても走りやすいし、堀も塀も趣がある。さすがに正門あたりは歩行者でごちゃつくが、それ以外はずっとスムーズ。ただし北側の歩道にはまだ雪が残っており、気をつけて走った。
    実施できそう。だが、悩む。
    一周1.9kmはゆるふわになるのか?
    拙者は10kmくらいは普通に走るので、1.9kmは骨のない距離だと言えるし、わざわざどこかに出かけてまで走りたい距離ではない。
    しかし、普段運動していない人とって1.9km走るというのは、どんな感じ?
    いける? いけない?
    懸念点はもう一つあって、走行中にそこそこ孤独が押し寄せる。スタート地点とゴール地点にしか仲間がいないのは、ゆるふわ的には難点。ガチっぽくなる。沿道に応援してくれる人もいないし。
    と、視察の結果はこんな感じ。

    結論は出さずに、そのままランニングを続ける。
    大文字に雪が積もってて珍しい景色が見れるようなので、足を向ける。
    せせらぎの堀川沿いを北上し、鬼が出そうな戻り橋から一条通を東征、厳かでジャリジャリする御所を経て、あの出町デルタに行き着く。
    白大文字が見れた。面白い。

    白大文字

    その後は、ところどころぐじょぐじょの鴨川沿岸を南下し、時折カフェなどに惹かれる二条通りを西進。
    トータルで11.4kmほど走った。
    時期的なものか、街中だからか、ランナーを多く見かけた気がする。
    みんな、大会出るのかなぁ? 頑張れー。

    ラン後は急いで銭湯へ。寒かったからな。

    小屋暮らしをしていた時は毎日銭湯だったけど、ひさしぶりになっている。
    あったかい湯に浸かって気づいたのは、体がガチガチに固まっていたということ。柔軟性がなくなっている。
    拙者は心の底からカオスなので、整いはしないけれど、広くて冷めない風呂に入るのは大事。必要。
    2週間に1回は、ランと風呂で血の巡りを良くしようと、決意したところ。

    ゆるふわスポーツ大会の会場は、ペンディングにしとく。
    もう1ヶ所検討したい。
    それは京阪の丸太町駅で、また視察に行かねばな。
    また鯉のお風呂に入りに行こうか。

    いつまでも生きれるわけじゃないし、いつまでも元気なわけじゃないので、過去最高に楽しくて、過去最高に人の役にも立てる日々を目指したいですな。

    以上。