小説家への道を首の皮一枚残すためにブログを書いている。
とにかく文字を綴ること、それを愉しめるようになるのが重要だ。
だから拙者は何にもネタが思い浮かばない日も、とにかく書くのだ、いまのとこ。

伝えたいことなどなくて、今日などは他に熱中してしまったことがあって、筆が乗らん。
特に書きにくくなる日は、印象に残る出来事をブログにしたためた翌日で、インパクトのあることを書こうと苦悩してしまう。
欲が出る。
違うよな、いつもの通り、内容の無いことを書けばいいのにな。
書くことを愉しむための時間なのだから。
人を喜ばせられる文章なんてのは、いっぱいいっぱい遊んでからやっと形になってくもんだ。

結局のところ、愉しむことが大事。
愉しい仕事と愉しくない仕事があるわけではなく、やる人が愉しめるかどうか。
調理の仕事でも、愉しくやれば、野菜切るのだって、フライパンで炒めるのだって、ルンルンできるはずだし、逆に「ああ面倒くせぇ、機械化すればいいのに」と思うことだってできる。
今日の料理は味がキマって達成感あった。

こんなことは、2500年前の人も言っていて、
「これを知る者はこれを好む者に如かず。
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」
知ってる人は好きな人に勝てないし、好きな人は楽しむ人には勝てないってこと。
主に学習態度について語っていることで、楽しんで勉強しなよってことだろうけど、仕事にも遊びにも応用が効くだろう。

と、孔子の論語を引用して、なぜだかありがたいことを語る拙者。
「おいおい、柄にないぞ、いつもみたいに無駄なことを書けよ」とPCモニターが語りかけてくる。

あと、明石家さんまさんの名言もあって、
掃除するのは全然楽しくないけど、どうすれば掃除が楽しくなるかを考えながら掃除すると、急に楽しくなった。
という逸話がある。

現代はさぁ、生活がどんどん便利になって、どんどん苦痛を回避できる。
だが、それを突き詰めたところで、充実も楽しさも一過性。
家の一室をシアタールームみたいにして、ネットの動画を良い環境で見れるようにしたら、どこにも出かけずに楽しめるわけで、すごく便利。
しかしそれも、いつしか日常になってしまって、陳腐化するんだよな。

だからそうゆうのはやめにして、身の回りをできるだけ不便にして、娯楽をなくして、妄想世界だけが楽しい状態にする。
拙者はそういう修行中。

でもまだ道半ばで、さほど妄想は膨らまず、物語は生まれてこない。
それでも首の皮一枚はつなげときたくて、今日もせっせと文字を並べた。

愉しかったかというと、微妙。

以上

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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