今日は2月3日で、言わずと知れた節分で、豆まきで、巻き寿司で、鰯だ。
拙者は去年から怪我続きなので、節分の厄除けご利益を最大化させるべく、考えてみた。
藤森神社にも行ってみた。
だが、厄は祓えそうにない。
京都では節分イベントが数多く開催される。
筆頭なのは吉田神社だが、八坂神社、石清水八幡宮、廬山寺、壬生寺等々で、節分祭だの追儺式だのが行われる、らしい。
残念ながら、石清水八幡宮以外は行ったことがない。
日本には数多くの行事がある中で、節分は記憶に残りやすい。
たとえば重陽の節句とかってあるけれど、その知名度は歴然の差だ。
これはキャラクターの存在が大きいのだろう。
「鬼」はかなりのインパクトがある。
イベントにはキャラの存在が必要だなと、勉強になる。
サンタとか、織姫と彦星とか、ジャック・オー・ランタンとか、セントパトリックスとか、北九州の新成人とか……。
まぁ、あまり思い浮かばなかった。
ともかく、みんなよく知る節分への積極的参加を、拙者は表明していたのだが、どうにも悩ましい。
イベントに参加するとか、風習に倣ったところで、それって受け身である。
藤森神社に行ってみて、太鼓の奉納演奏を拝聴して、とても良かったのだけど、厄祓い効果はあるのだろうか?
そもそも受け身な態度で祓える厄ごときが、拙者に憑くはずがない。
厄祓いってのは、積極的行為によってこそ祓われるべきである。
たとえば、太鼓のリズムにのって積極的に踊ったならば厄が祓われたであろうが、急に踊ったら周りの人が驚くからと棒立ちで、立っているだけでは地面からの冷気に包まれ、むしろ風邪を引き込みそうであった。
厄を落としに行って、風邪を引いてしまえば本末転倒であるし、ネタにもならない。
それゆえ、鬼が出てくる前に帰った。ありがたい豆が投げられて、オーディエンスはそれをキャッチするのに必死になるらしいが、その儀式は遠慮した。
鬼が追い払われる儀式を想像してみると、どうにも心がスッキリしない。
よくよく考えると、拙者は鬼側のキャラではあるまいか?
アウトサイダーなのですよ、どう考えても。
長い物には巻かれないし、アンチ権力だし、少年革命家と同じくらいには革命を志しているし、鬼サイドのセルフイメージ。
「悪い子はいねぇがー」
と、人の家に闖入したい。
だから来年は積極的に鬼のコスプレをして、酒のんで踊り明かす会をやればいいかも。
巻き寿司咥えて踊り明かす。
焚き火を囲んで、金棒ぶん回して、踊り明かす。
厄を以て厄を制す。
とまぁ、妄想はかどる節分でした。
以上です。
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