カテゴリー: 未分類

  • 何をしないかを決めろ、と言われてもなぁ

    何をしないかを決めろ、と言われてもなぁ

    何をしないかを決めることは、何をするのかを決めるのと同じくらい大事なことだ。
    と、言った人がいるらしい。
    拙者が言うところの戒律だな。
    ・自宅での独り酒をしない
    ・コーヒーを飲まない
    ・贅沢な料理で幸せにならない
    ・批判することによって上に立ったような気にならない
    ・自己憐憫しない
    など直近では5つの戒律を設けている。
    以前から、TVを見ない、ネットゲーム・TVゲームをしない、などもあって、拙者は何をしないかを決めて守れるタイプである。

    自宅での独り酒禁止はめちゃめちゃインパクトがあって、ブログの執筆時間が増えた。思考の貯蓄をしているように思う。

    しかし、決めたのに実行できないものもあり、
    ・朝寝坊しない
    ・スマホ依存しない
    は戒律破りの常習犯である。
    なんとか、戒律を守れるように善処したい。
    早起きして、スマホに費やしてる時間を勉強の時間に変換したら、さらにカッコよく生きれるはずなんだよな。

    とまぁ、生活習慣の話だけではなく、何をしないかを決めれていないものは沢山ある。
    ・最近は小屋に行ってないのに、小屋に行かないとは決めていない
    ・屋敷で飲食店の営業許可を取ったけど、結局営業してないし、営業しないとも決めていない
    ・ウッドデッキ作りたいよなぁと思うが作っておらず、作らないとも決めてない
    ・ツリーハウス作りたいよなぁと思うが作っておらず、作らないとも決めてない
    ・小説執筆は滞っているのに、小説家にならないと決めていない

    いつかやろうと思いつつできてないせいで、ちょっとづつ維持管理コストがかかる。
    いつかやるかもしれないし、ずっとやらないかもしれない。
    そんなものが多すぎる。いざ休みが入っても頭がとっ散らかる。
    マンドリンも弾かないのに、家に置いたままだ。

    そしてこれらを放置して、新しいことをやりたがるのである。
    現在で言うとそれはダンスだ。
    季節も良いし、仲間もいるし、歳はどんどんとるし、ダンスこそ最優先じゃなかろうか。

    コロナ禍でできなかった分を取り戻したいという気持ちがあるかもしれん。飲み会はもう満足してて、ダンスはまだ満足していない。コロナ前にあったパーティー感のあるダンス会には行けていない。
    気がつけばYoutubeでダンス的な動画ばかり見ているのだ。切望しておる。

    というわけで、ダンス以外はしない、と決めて。
    いやいや、と思い直して、下記はやる。
    ・ダンス
    ・ランニング
    ・森林浴
    ・文章を書くこと

    これらに絡むことがあったら、ぜひお誘いいただきたい。

    「何をしないかを決めることは、何をするのかを決めるのと同じくらい大事なことだ」と言ったのは、どうやらスティーブ・ジョブズらしい。

    以上。

  • ベトナムのシンガーAMEEは歌声あめぇ

    ベトナムのシンガーAMEEは歌声あめぇ

    楽しんで生きていきたいし、感動して生きていきたい。
    そのために必要なのは、予習である。

    よくランチを食べに行くカフェのオーナーから、イベントに誘われ、タイフェスに行ったのは先週のこと。
    これはブログに書いた→タイフェスには群衆で
    「次はベトナムフェスティバルもあるよ」
    と、さらに声をかけてもらった。
    なんと、また群衆でもってテーブルを占拠しに行こうというのか。
    楽しそうだ。

    カフェオーナーと喋っていると、
    「ベトナムのグラミー賞を獲得したシンガーが来る」とのことで、調べてみると、AMEEという女の子。ベトナムでは大人気らしい。
    拙者はすぐさま「また、ビール飲んでご飯食べて、ウェイウェイ言えるのかー」と妄想し、予習の必要性を感じたのだ。

    予備知識無しで体験するのも良いのだが、予習をしておいた方が楽しめるのは間違いない。
    たとえば盆踊り。何も知らないまま参加して、見よう見まねで踊って、初心者の視点から盆踊りを味わうのも良いのだが、しかし練習してから参加した方が盆踊り時間をめいっぱい楽しめる。めいっぱい調子に乗れる。

    あるいは、旅なども行き当たりばったりで楽しむのも良いが、事前に調べて知識を持っていたほうがより深く旅を楽しめるのである。

    AMEEを知らん女の子のまま聴いても良いのだが、おそらくLIVEを聴くのは一生に一回になるであろうし、今はわざわざCDを手に入れる時代でもなく、仕事中でもランニング中でも聴くだけならさしたる負担にはならない。
    これからの一ヶ月間はAMEEをひたすら推して、ベトナムフェスティバル当日にピークを迎え、燃え尽きようと決意した。

    そして仕事をしながら実際に配信で聴いてみると、何語かわからない、はにゃはにゃほにゃほにゃ、と聞こえるのだが、
    「あ、ガブリエラや」
    と思った。

    ガブリエラというのは、ハイスクール・ミュージカルという映画のヒロイン。2006年の作品。
    バスケ部のキャプテントロイと転校生で天才のガブリエラが恋をする物語で、お互いに歌が異常に上手く、学園内のミュージカルでも活躍する。恋の邪魔をする友達やライバルが現れて、踊って歌って、全体的にウェイウェイしててアメリカンで明るい。
    このガブリエラをヴァネッサ・ハジェンズが演じ、中央アジア系のお顔立ちで、声も甘くて最高にキュート。ディズニープリンセスでいうところのジャスミンの実写版というイメージ。
    そのガブリエラの歌声とAMEEの歌声がよく似ていた。

    知らない子の知らない言語の歌を聴くわけだが、拙者にとってはなんだか懐かしい。そうか、ハイスクール・ミュージカルは15年も前の話になるのか……。

    とにかく、AMEEはベトナム版ガブリエラと認定したので、聴き始めたばかりなのに、とても親近感が湧いている。
    ステージに立つ彼女の歌を聴いたら、ガブリエラと重なって拙者は泣いてしまうかもしれない。

    ……、ちょっと勝手に盛り上がりすぎてるかな。

    ベトナムフェスティバルは、6/10,11。
    詳細はこちら→https://osaka.vietfes.asia/
    一緒にテーブルを占拠したいという方は、連絡いただければ集合場所の情報をお知らせします。

    まだまだ日があるので、さらに心を盛り上げて行くぞ!
    コールを憶えるぞー!

    以上。


  • 人生を変える2種類の方法

    人生を変える2種類の方法

    当時、それは20歳前後だったはずだ、自分を変えたい、人生を変えたい、と思っていた。
    ナポレオン・ヒルがどうのこうのという、いわゆる自己啓発セミナーの勧誘を受けて、大阪に行って、女性の話を聞いたんだよな。
    鎖に繋がれた象(だったかな?)は、逃げられないと思いこむと、それがロープになっても逃げなくなる、みたいな例え話をされた。
    その時の拙者は、
    「自分が変わりますか?」
    というような質問をしたことを覚えている。
    「変わりますよ」という答えが返ってくると思ったのだが、そこはなぜだかはぐらかされたんだよな。
    だから入会しなかったのだが、そんな質問をするくらい、自分が変わること、を切望していた。
    それは、モテたかったとか、友達が欲しかったとか、積極的な人間になりたかったというような、よくある願望を叶えたいがため。

    最近Web記事で、「人生を変えたいのになかなか変わらない人」がしている大きな勘違い【『独学大全』著者が教える】を読んだ。
    これは、自己啓発本ばかり読んだけれどぜんぜん人生が変わらないと嘆く相談者に、読書猿さんが回答されたものだ。

    あなたが回答者だとしたら、相談者にどうアドバイスしますか?

    読書猿さんは、「人生は変えるものではなく、続けるもの」だと言っている。一発逆転は無理で、続けていくその先にしか人生は変わらないとの答え。(詳しくは記事を読んで)

    これには拙者も同じ意見なので、歳を重ねて少しは成長したと感慨深い。あの時の自分に言ってやりたい。

    だけど、付け加えたい意見もあって。
    分岐点のようなものは存在すると思う。
    拙者の経験を踏まえると、人生を変えるそれはあった。

    1つはガーン!って衝撃を受けるような体験。
    もう1つは失恋である。

    衝撃を受ける体験

    拙者の場合は、ダンスが好きになった分岐点と、ランニングをするようになった分岐点がある。
    この2つをやっていない人生はどんな風だったろう?

    ダンスはコントラダンスというフォークダンスをやった時に、衝撃的に楽しかったのだ。ガーン!となった。なぜこの楽しさを知らぬのだ!と思った。
    あの時の衝撃に、今もまだ取り憑かれている。
    コントラダンスやりたい。

    もう1つ、ランニングのきっかけはHash House Harriers である。
    走った後のビールの旨さにガーン!となった。ビールの正しい飲み方はこれだ!と思った。

    それ以来、美味しいビールを飲むために走り、走るのはめちゃめちゃ健康効果が高いと気づき、具体的には風邪を引かなくなった。
    フルマラソンも完走したし、走れる体は誇りの一つになっている。

    だから、20歳の自分に言いたいのは、自己啓発本など読んでいないで、ガーン!と衝撃を受ける体験を得るために動け、ということである。

    失恋

    拙者の場合は、失恋が分岐点になる。
    物語になるような恋愛を求めるため、かなりエネルギーを注ぎ、別れが訪れるときは身が引き裂かれるようなダメージを受け、心にぽっかり隙間が生まれるのだ。
    その隙間を他の女子が埋めてくれたらいいのに、そういう馬鹿な女子が周りにいないため、自助努力で一生懸命に埋めなくてはいけなくなる。
    結果、このブログへの向き合い方が変わったり、サルサと盆踊りを始めたり、小説を書いたりしたわけだ。
    あるいは、自転車旅行をしたのも、とある恋がきっかけだった。

    だから、20歳の自分に言いたいのは、自己啓発本など読んでいないで、さっさと失恋しろ! ということである。
    そこそこ激ヤセするけど、成長の糧になるよ、大丈夫。とも付け足しておこう。

    40代になっても、まだまだガーン!と衝撃を受ける体験は探している。
    しかし失恋は懲り懲りだと思っている。(今は)

    上記ほどは大きくない感動(たとえば素敵なフルートの音色を聴くとか)も、日々の行動が変わったりするので、積極的に味わっていこう。

    人生は変えるものではなく続けるものだけど、続けるきっかけになる心への衝撃はあると思う。
    自己啓発本やそういうセミナーではなくて、体験を求めよ。

    以上。

  • ダンスの迷宮で遭難しないために

    ダンスの迷宮で遭難しないために

    ダンスが好きだ。
    と表明するけれど、ダンスは色々ありすぎて、またその目論見が違っていて、地図のようなものを持っておかないと語れない気がする。

    先日、Free dance picnic という企画を行ったのだが、「音楽を流して自由に踊る」ことと「音楽を流して決められた踊りを踊る」ことには大きな隔たりがあって、前者はブレイクダンスであったりコンテンポラリーダンスであるが、後者は盆踊りであったりアイドルダンスであったりする。
    ゆえに、企画者が「踊ろう」と発信しても、受け手は困惑するのである。
    ダンスが好きだと表明する拙者ですら「盆踊り」だけではやや困惑して、その曲目を知りたいと思ったりしている。

    拙者は友人に「ダンスはいいよ~、運動になるし、楽しいし」と語ったりするのだが、「それは分かるけど、何から始めればいいかな?」という質問が返ってきて、「……」となる。
    「好きな音楽のジャンルによるんじゃないかな」という答えを用意しているのだが、それで良いのか?
    君に合うダンスは〇〇だね、と言いたいではないか。
    そして、自分に合うダンスも把握したいではないか。

    まずは、ショーやパフォーマンスを目論んだダンスと、交流を目論んだダンスに大別されると思うんだよな。
    ベリーダンスとかフラダンスとかは、ステージ前提な気がする。
    社交ダンスや盆踊りは交流のためのダンスで、観客を意識したものではないはずだ。
    ただし、社交ダンスは競技があるし、盆踊りも群衆で踊れば見ごたえがある。ガチの阿波踊りとか。
    だから、目安というか、本来は、くらいの感じだな。
    交流のためのダンスに熱中した結果、ショー的になり見世物として通用するようになった、ということかもしれん。
    というわけで、ショーか交流かは揺れ動く。

    自由に踊るか決まった振りを踊るかでは分けられそう。
    しかしこれも、同一ジャンルで両方あったりするよな。

    1人で踊るか、2人で踊るか、数人で踊るか(自分の役割がある)、大勢で踊るか、で分ける方法もあるかもしれん。

    と、と、と、
    文章を書いているうちに地図ができると思っていたのに、遭難してきた。
    遭難したときは気を確かにして、上を目指そう。

    拙者のダンス位置は、
    ・交流志向だが、機会があるならパフォーマーでも良い
    ・ペアダンスOK。コミュニケーション能力が高く、異性をダンスに誘える
    ・振りが決まってたほうが好き。自由だとむしろ思考が忙しい
    ・できるだけ大勢で踊りたい。お祭り感ほしい

    とりあえずこれだけ分かっていたら、道には迷わないかな。

    ・できたら野外で踊るのがいい

    を付け加えておこう。

    まだ考えるべき点は多いが、時間がなくなってきたので、また今度。

    以上。

  • 競争に身を投じる人と、そうじゃない人の差

    競争に身を投じる人と、そうじゃない人の差

    基本的には競争を好まず、勝ち負けの世界に身を投じたくない老荘思想なタイプの拙者なので、対人関係において穏やかでピースフルでしなやかである。
    しかし、競争を好まないし、評価を恐れているから人間的にショボいのかなぁと省みている。そして泣いて、、、はいない。
    勝敗のあるスポーツの世界や、コンテストのある芸術の世界、あるいは結果が問われるビジネスの世界で競争してきた人のそのコツコツとした積み重ねを見ると、勝てないなぁと思い、身動きが取れなくなる。
    そしてどうするかというと、「そこでは勝負してないから」と負けた気持ちにならないようにして、じゃあどこで勝負してるのかと問われても、結局はどこにおいても勝負してなくて、「楽しんだもん勝ちだよな」というのが常套句。
    勝って嬉しい・負けて悔しいをエネルギーとして磨いてきた人と、競争を避けてきた拙者では、海に出た紅鮭と川に留まった姫鱒のような違いが生まれているのではないか。

    例えば、ダンスを例に取ると、競技やコンテストがあって、そういうので勝負した人と、楽しめたらいいよなって踊った拙者ではなにからなにまで違うし、見比べられると見れたもんじゃないんだろうなって思う。ショボいんだろうな。

    あるいは、拙者はランニング歴が10年ほどあるのだが、ずっとゆるふわランナーで、最近になってフォームとか着地とか意識するようになって、でも最初から競技としてやろうとした人の方法論とか習得のしかたをちゃんとやってたら、今頃はもっと速いランナーだったはずだよな。

    もちろん、楽しむだけの人がいて良いし、優劣をつけないでいいという考え方は支持する。
    しかし、自分を磨きたいという分野においては、競争に晒された方がメリットが大きそうだ。きっと意気込みやプレッシャーが変わる。

    このブログにしても、誰かから報酬をもらうライターではないし、アクセス数で勝負してるわけでもなく、ただより良い睡眠のために書いているわけだが、これでは能力が磨かれないんだよなぁ。
    むしろ、コンテストのある小説に身を投じた方が、能力が磨かれるのかもしれん。

    あと、先生に教えを請うことや、コーチしてもらうことが、圧倒的に足りなくて、評価基準が曖昧でゴール地点も見えぬままでとりあえず努力してしまって、成長が遅く、疲れ、飽きる。

    ここ10年くらいは戦える精神状態じゃなかった・さらにその前の10年は戦える生活習慣がなかった、とは言えるかもしれん。
    だが今こそ、競争に身を投じるべきではあるまいか?

    ピースフルは失いたくないので、何から何まで競争ではなく、競争に身を投じる何かがあっても良いのでは?
    とりあえずは、今やってることで競技・コンテストがないかと調べてみる。

    これは、まだまだカッコよく生きれれるぞ頑張れ、と自分を勇気づけるためのブログであり、競争を経てきた人のように輝け、と奮い立たせるためのブログであり、自分の成長を促すためのブログである。
    良くも悪くも評価されない場所にいて安住するな。
    競争に身を投じ、勝利を目指せ。
    ボードゲームみたいに楽しめると思うぞ。

    以上。

  • タイフェスには群衆で

    タイフェスには群衆で

    よくランチを食べに行くカフェのオーナーから、イベントに誘われた。
    「タイフェスに行きませんか?」
    なんだろうかと調べると、アジアのあのタイランドのフェスティバルで、政府公認で、タイ料理やシンハービールが出るフードフェスで、ムエタイなどステージショーもあるらしい。
    毎年恒例で、カフェの常連グループと連れ立って乗り込むらしく、テーブルの一角を占拠しようという力の入れよう。
    なんだか楽しそうだ。

    だから、めったに行かない大阪に出向いたし、9:30集合という飲み会の集合時間にしては異常な早さにもめげず、京橋まで行ったのだ。

    こうしてタイフェスに乗り込んだわけで、イベントレポートをしたいのだが、いうても飲んで、食って、また飲んで、ちょっとムエタイ見て、アイドルっぽい子らを見て、そして飲む、という感じ。正しい楽しみ方をした。
    だから、レポートは書けない。

    こういうイベントに1人とか少人数で乗り込むと自由で良いのだが、場所を確保しとくことができず、流浪するしかない。
    しかし件の常連グループは13人くらいのそこそこ群衆になっており、我が物顔でテントの一角を支配した。3つの長机を支配した。ボードゲームなら間違いなく勝ちである。
    誰かがビールを買いに行き、誰かがフードを買いに行き、誰かが陣地を守ってる。
    こうして、ビールのカップを累々と積み上げ、アイドルにヒューヒュー言って、悠々と過ごせたのである。
    かのタイ国王が「フードフェスには群衆で参加せよ」と、言ったかどうかは定かではないのだが、コミュニティの力は偉大なり、と思った。

    シンハーの樽生ビールはアサヒビールより旨かった、などと書くと国際問題に発展するかもしれないので、アイドルにヒューヒュー言った後のビールが旨かった、と記載する。
    ステージを観賞していると、歌と踊りを披露した後の女子たちが、舞台の下まで出て来て、ウォーウォー、ウェイウェイとステージパフォーマンスを盛り上げるのである。目の前で。
    さっき舞台上にいた子らと一緒にウェイウェイ言う。これはなかなかないぞ。貴重な体験だ。

    背中が近い。これは楽しい。

    とは言え、アイドルの背中より、ムエタイ選手の背中に魅力を感じるのは拙者だけか?

    しなやかそうな筋肉である。
    ふくらはぎの隆起がすごい。

    こんな風に、ステージプログラムが進行し、ビールもフードも気軽に買え、飲み交わす仲間がいて、とても楽しく過ごせた。
    遅い時間になると観客を巻き込んだダンスもあるとアナウンスがあったと思うのだが、それに参加できたらもっと最高だったかもしれん。
    次の機会があればそれを見てみよう。もち踊る。

    というわけで、カフェオーナーと常連メンバーのおかげで、フードフェスを正しく楽しんだ。
    皆さま、オープンカー!
    じゃなくて、コップンカー!

    以上。

  • 野外で踊る時の注意点を僕たちはまだ知らない

    野外で踊る時の注意点を僕たちはまだ知らない

    Free dance picnic をやってきた。
    天気はギリギリもったし、雑草は刈られたすぐ後だったし、音量も程良かったし、ビールはしこたま飲めたし、木登りしたし、そして何よりも野外で好きな曲を流して踊るのって超楽しい。
    休みの日の過ごし方としては大満足。
    だけれど主催者としては、考えるところが多い。

    Free dance picnic とは、踊りたくなった拙者が、とりあえず鴨川の河川敷で適当に踊ったらいいんじゃないかと立てた企画である。
    そこには何らかの偶発的な出会いがあるのじゃないかと想像を膨らましていた。

    そこそこ雨予報ではあったが実施することに決めて、2023年5月13日(土)午前の日差しが優しい10:30に、緑豊かな河川敷にレジャーシートを敷いた。木陰があるのがポイント。

    最近のBluetoothスピーカーは優秀で、片手に乗るサイズなのに十分な音量を出してくれる。
    流れる音楽に身を任せ、踊った。
    しかしである。

    通りすがりのインド人と踊る

    体力がもたない

    今回踊りたかった4曲を全部流してもらって、家で踊るのとは違い特別さがあった。広くて自由だった。空は高くて、踊ってもぶつかるものがなかった。ほどほどに視線も浴びた。
    だが、好きな曲を踊りきると、体力ケージがゼロになり、続けては踊れない。
    そもそも参加者が少ない中で、拙者が踊っていないと企画が成立しなくなる。誰かが常に踊っているべき企画を立てたのに、誰も踊っていない時間ができてしまう。
    誰も踊ってないのに、「どうぞ踊って下さい」などと書いてあっても、参加する人などいないのは自明の理。易しい盆踊りでさえ誰かが踊っていないと人は躊躇するものなのだ。

    Free dance picnic を成立させようと思ったら、、、
    いや、Free dance picnicなど成立しない。

    野外だということも、体力を奪い取る要因になっている。
    家の中だと小さな動きでも限界まで動いた気になるが、野外は限界がなく、大きな動きじゃないと踊っている感じがしない。ちょっと腰を動かした程度では風景に溶けてしまうのである。
    これは不思議な減少だ。ハコによって踊り方を変えねばならない。
    室内向きの踊りもあるし、野外向きの踊りもきっとあるんだろうな。

    このように、大きな振りをしてやっと踊ってる感が出るので、通りすがりの人が参加できる状況にはならんよな。
    日本人は、振り付けが決まっている踊りをなんとか練習して憶えて、やっと室内で踊れる、という人がほとんどなので、自由に踊る、というのはむしろ困惑するよな。拙者も同じだ。絶対に踊らない。

    Free dance picnic は無理だな。

    学びは多かった

    踊ってばかりは無理だったので、江州音頭の唄の練習もした。
    これもハードルが高くて、もっともっと練習が必要だと分かった。
    暗記したつもりの歌詞が、いざ大きな声で唄うと出てこない。
    太鼓にしても一定に叩く才能がなかった。

    ダンスは上記の通り、野外用のダンスについて考えるきっかけになったし、とりあえず踊ることに関して度胸がついた。
    一般人のほとんどは踊れないので、踊れる人は超人なのだ。
    ゆえに、どんな踊りでも大丈夫。踊った時点で勝ちなのである。

    あと、雨が降って人が散ったので、赤褌一丁で踊った。
    空気が肌に気持ちよかった。全身で5月を感じれた。
    慣れぬふんどしで、中身が出ないか心配したが、キチンと収まるところに収まり、体は軽かった。
    自由を感じた。
    これぞ、Free dance である。

    次回

    何度も言うが、Free dance picnic は無理である。
    だからもうやらない。

    逆に、暇そうな人に「踊るの好きだったりします?」と声をかけて、その答えが「Yes」だったら、リクエストを聴いて、音楽かけて一緒に踊る企画はどうか?

    あるいは、ただのpicnicにして、最後の20分だけFree dance time にしたらどうか?

    おかげさまで、個人的な踊りたい欲求は満たされた。気持ちよかった。
    学びもあった。

    お付き合いいただいた皆さま、Thank you でした。
    今回の学びを活かし、新たな演舞を身につけて、また踊りに行く。
    その時はよろしく。

    以上。