カテゴリー: 未分類

  • 庭の野菜が教えてくれる人生

    庭の野菜が教えてくれる人生

    庭の野菜は思っていたように育ってくれない。
    芽を出してくれたのだが、その後の育ちはイマイチだ。
    少しだけ哀しくて、自分の不甲斐なさを思い知って、農家にはなれないなぁと未来の可能性が一つ消えた。

    そもそも、拙者は雑な農法なので、野菜たちが少しかわいそうだ。
    痩せた土、肥料もやらない、害虫対策もしない、なんなら水すら撒かない。
    だから、つよつよの野菜しか育てられない。

    土があるのに、新たな土を買ってくるのは意味分からん。
    肥料もわざわざ買ってきてまでは育てたくない。余った米ぬかなら撒いても良いし、ゆくゆくは飼ったニワトリの糞を肥料にしたい。
    害虫も農薬撒いてまで処置したくない。
    水は撒いてもいいけど、そもそも保水力がないみたいで、そういう問題じゃないと思う。

    野菜が育ってほしいのはやまやまだが、それよりも雑草対策の一貫でやっているので、草がボーボーになる代わりに畑を維持したいのだ。
    だから、雑草より強い野菜を求めている。
    周りの雑草をなぎ倒すようなつよつよ野菜はないものか?

    小松菜は雑草よりも成長が早くて強い。
    だが、虫には弱いみたいで、かなり食われると知った。

    根を残して外側の葉から収穫すると何度か採れる

    枝豆はかなり強くて、成長が早い。
    ぐんぐん伸びるので、楽しい。

    枝豆は種(豆)に栄養が豊富なようで、ぐんぐん育つ

    とうもろこしも痩せた土地で育ってはいる。
    ちゃんと実がなるかは分からないが、畑での存在感が頼もしい。

    雑草の中にあっても目立つ存在感

    サンチュは強いはずなのだが、土が悪いようで育ってくれない。
    バジルすら育ちがイマイチ。
    まだ時期が早いのかな?

    右がサンチュ、左の2つがバジル。ずっと同じサイズをキープしている

    キュウリは水分が足りないのか育つのが遅く、さらに虫に食われだしている。

    こいつはまだ虫食いがマシなやつ

    サラダビーツは植える時期さえ間違えなければ、育つようだ。

    サラダビーツ。これはそろそろ収穫か?

    アスパラを植えていて、枯れてはいない。
    玉ねぎは枯れずに青々としているが、根が太るのかは未知数。

    と、上記のように、ダメなやつもあれば、いけそうなやつもある。
    育つやつだけ育てればいい。
    その判断のために失敗を経験している最中。
    育たないやつは無理して労力をかけて育てなくていいと思う。
    土に合った野菜を選ぶのが大事だ。
    手間がかからないという意味で効率の良い野菜を育て、それを美味しく食べる。ありがたく食べる。

    どうしても育てたい野菜あるのなら工夫するが、一番の目論見を忘れてはいけない。
    見守っている野菜が育たない悔しさはあるが、それに囚われないでおく。ダメだったことに執着せず、ダメだったという経験を蓄積する。

    と、拙者の人生もこういうスタンスで生きれたらいいのになぁ。
    育たない能力は捨てて、
    枯れた愛も捨てて、
    実にならない仕事を捨てる。

    いつも逆のことばかりしている。

    以上。

  • 仕事が暗礁に乗り上げている

    仕事が暗礁に乗り上げている

    ああ、なんだか偉そうなコトを書きたい気分だ。
    社会的な問題を取り上げて、理想を提示して、でも現実はなかなか変えられないってまとめるやつ。
    しかし、実際のところは自分自身に問題を抱えている。
    仕事が暗礁に乗り上げている。
    ストレスが溜まって続けられそうにない。

    技術が足りないのか、情熱が足りないのか、これは根が同じなので両方足りない。
    飽き性のせいもあるかもしれない。
    あるいは、そこそこ頑張っているが、評価されず、気持ちが折れてきているのかもしれない。
    どこを切り取っても悪循環に陥る原因がありそうだ。

    もう少し話を具体的にしよう。
    ここ1年ほどは惣菜調理の仕事に携わっていて、生活に密着した仕事だし、作る系の仕事だし、食うものに困らなくて経済的だし、嫌いではないと思いながら続けてきた。
    しかし最近は美味しいものへの欲求が無くなってきて、消化に良いものや粗食を求めており、商品として作るものと自分が食べたいものが乖離し、喜びが小さくなってきた。
    もともと胃腸が弱いし、糖尿病を警戒しているし、普通の人よりも食べることに対する恐怖心がちょっとあるんだろうな。
    美味しい料理の重要性が以前より低下した。

    あとは、物価が上がって、すんなりと食材に手を出しづらいというストレスがあるかも。

    性格の問題もあるかもしれない。美味しいものを作ろうとするよりも、効率へ向かう節がある。

    これらがあって、情熱が低下し、技術も上がらず、やってることに飽き、評価されない。
    調理で生計を立てることは暗礁に乗り上げている。そして人生は沈没寸前。それを言うなら、沈没して這い上がってきた幽霊船。こんな私ですいません。

    異常な情熱を持てる仕事、、、ないだろうか。
    私は嘆息を漏らしながら、求人情報サイトを閲覧した。
    時計の音だけがカチカチと聞こえてくる。

    「仕事は探すものじゃない、創るものだ」

    え? 誰?

    「通りすがりのコンサルタントでございます」

    急に出てくるな!

    「悩んでらっしゃるかと思って」

    いや、書き出された悩みは、すでに悩みではない。

    「失礼しました」

    こうして、通りすがりのコンサルタントは去っていった。

    まぁ、生活力あるし、なんとかなるはず。

    以上。

  • いつかやること、いつか使うものに襲われる脳

    いつかやること、いつか使うものに襲われる脳

    時間が空いたらやろう、と思っているモノやコトが多すぎて、脳が雑音だらけになる。
    普段はできるだけそれを無視して生きているのだが、実際に時間が空いてしまうと、目につくあれやこれやのモノとコトが一斉に存在を主張しだして、どこもかしこも散らかっていることに気づき、頭が痛くなる。
    そしてまた無視したくなる。
    眠ってしまうのが一番だ。

    拙者が「時間が空いたらやろう」と、ほったらかしていることは魑魅魍魎みたいに、実体が不安定だがそこかしこに蠢いている。
    だいたいにおいて清掃・整理整頓はそのたぐいだし、工作もそうだし、食材もそうだし、考えることもそうだ。

    中途半端に切った板、ビスを打ち付けてない床、乾燥ナマコ、いつか捨てる紙のゴミ、いつか読む本、キッチンのあの辺り、まだ卵を孵してない孵卵器、いつか使う灰、洗濯してから片付けるジャンパー、もう一度改造するマンドリン、灰色のビニールテープを買ったら完成するはずの電灯、いつか遊ぶはずのボードゲーム、いつか使う洗剤、いつか掃除に使う使用済みの歯ブラシ。
    こういうものが溢れている。
    そして、実際に時間が空くと、これらが一度に襲ってきて、優先順位をつけられなくて、パニックになる。

    この「いつか」は、どう処理したらいいんだろうなぁ。

    優先順位がついてるからこそ、今度やる、みたいなのが増えていくわけではある。
    例えば、仕事をすること、人に連絡すること、ご飯食べること、風呂に入ること、寝ること、友達との約束を守ること、ブログを書くこと、走ることなどは最優先しており、ちゃんとやっている。

    DIYとか、使わない場所の掃除とか、さしあたって困らないけど、いつかやりたいモノやコト。これらが溜まる。

    みんなはどうしているのだろうか?
    拙者は、今度やる、いつかやる、自分でやる、が人より多すぎるのだろうか?
    頭が悪いのだろうか?

    意識化して、整理して、順番に処理するのが大事かなぁ、と考えてはいる。
    あるいは、やりかけのモノを写真に撮って、コレクションしておくとネタになって面白いかもしれん。
    とにかくどこかにリスト化しておくのが大事なんだろうな。
    空いた時間にそれを眺めて、無視するかどうか決めよう。

    以上。

    あ、そうそう、旅人のように生きる、という解決策も思い浮かんでるんだった。

  • 連休は満喫してないので、今後に期待

    連休は満喫してないので、今後に期待

    ザーザーと雨の降る連休の最終日、部屋のお掃除をしようと少しは動くものの、本が沢山あるのに本棚がないという壁にぶち当たり、手が止まった。そしてだらだらしだすのが拙者です。

    連休の思い出は比叡山に行ったやつだけで充分。昔からやろうと思っていたことだし。そして翌日からは筋肉痛に苛まれ、感じるのは疲ればかりだった。

    いや、そんなことはない。休みのおかげで思考が整理され、旅トーク会の企画が立ったし、社交ダンスにも行ってみることになった。
    コロナが明けて、選択肢がだいぶ広がった。
    今こそ、望む予定を自ら入れていくべき時だ。

    拙者は、飲み会が月4回、ダンスが月2回、走るイベントが月2回、森林浴が月2回、お茶会が月1回と、こういうペースで予定を組んでみようと思っている。
    今は、何かが足りないな、と思う時があるけど、上記で満たされるはずだ。
    まだ足りなかったら、それを解き明かすつもり。

    4月を数えると7回も飲み会があって、ちょっと過剰。
    受け身じゃなく主体的に予定を入れていこうと思う。
    他者を必要とする予定が整ったら、スキルアップとか執筆時間とか1人でもできる予定を入れていけばいい。
    ランニングは1kmあたり5分を切って走れるようになりたいし、文章表現はもっと上手くなりたい。
    あと京都は外国人ばかりなので、観光業しか成り立たなくなるかなぁ、語学が大事だなぁと考えている。

    と、こんな風にブログにやりたいことを書いておくのはかなり大事。自分の指針になるから。

    で、オチとしては、本棚を作る予定を入れなきゃなってこと。

    以上。

  • 社交ダンスレッスンに行ってみよう

    社交ダンスレッスンに行ってみよう

    人の幸せはそれぞれだと思うが、拙者にはダンスを与えてほしい。
    2週間に1回はダンスパーティーがあるといいなぁ。
    ちなみにこれは盆踊りでもいい。
    そんな気持ちで調べていたら、ちょうど行きやすそうな社交ダンスレッスンが見つかった。
    行ってみようと思う。

    多くの日本人にとってダンスは遠いものだと思うのだが、実際はどうだろう? 拙者たちの世代が遠かったのだろうか?
    ダンスに興味を持って調べてみると、意外にも政府から迫害されている。
    社交ダンスホールやクラブなどは風営法で取締があったりする。あるいは、盆踊りも禁止令が出た歴史がある。
    ダンスに興じると人は働かなくなるからなぁ。それを危惧したんじゃないかなぁ。
    かくいう拙者もダンスが一番楽しいと思っているタイプで、高級な娯楽に対する憧れがほとんどない。音楽と体さえあればいいので、安価な娯楽である。

    コロナ前までは望めば毎週踊れる環境があったのだが、コロナ中にほとんどなくなった。
    キューバンサルサとフォークダンス、夏場は盆踊り、そしてたまに自分主催のコントラダンスで満足できていた。
    あの頃はありがたかったんだな、当たり前だと思っていたけど。

    最近になって、推しのフルーティストの演奏を聴いて、それはちょっとしたダンスも兼ねていて、踊りたい欲求が爆上がり。
    大人なんだからやりたいことやれよ、って自分に言い聞かせ、Free dance picnic なる企画を立てた。

    しかし、それでもまだ足りぬ。
    2週間に1回は踊る予定が欲しいのだ。
    与えよ、拙者にダンスを与えよ。

    ピカーン!
    良い社交ダンスレッスンが見つかった。

    その都度払いのグループレッスンで、楽しくなかったらやめたらいいし、とても気軽に参加できる。
    どんな会だろうか? やっぱり女性の方が多くて、そこそこご高齢な人が多いのかなぁ。
    とにかく1人で乗り込んでみて、良ければ誰かを誘おうという魂胆。

    目論見としては、ダンスパーティー的なものに参加できたら良いなぁと思っている。
    (衣装を揃えねばならぬのかな? 面倒くさいな)
    あとは、正しいワルツの踊り方を知りたい。
    (憶えたら、アイリッシュの生演奏で踊る機会がきっとある)

    そこそこ経験者の女性に、「わぁ、めっちゃ才能ある、天才だー」って、言われたらどうしよう。
    と、妄想している。
    「パートナーになってよ」
    「いや、ワタシの」
    「ダメよ、ワタシの」
    って、引く手あまただったらどうしよう。

    以上。

  • トレランには筋力だけじゃなくスキルが必要だ

    トレランには筋力だけじゃなくスキルが必要だ

    今朝起きるとペンギンみたいな歩き方になっていた。
    GWだというのに、疲労回復に専念せねばならないようだ。
    筋肉痛よ、鎮まり給え。

    2023年5月3日(水・祝)JR藤森駅から比叡山までトレイルランニング的なことをしてきた。
    大岩山、稲荷山、阿弥陀ヶ峰、清水山、大文字山、瓜生山を経て、比叡山に入らせていただいた。
    ランニングアプリでは、31.54km、7時間32分となっている。
    大文字山まではそこそこ走れたが、それ以降は前ももの筋肉(大腿直筋)が肉離れ寸前までぷるぷるしだして、ヤバかった。

    軽装でどこまでできるのかチャレンジで、足袋と腹掛けで臨んだ。

    現金を持って行かなかったのが大きな反省である。
    スマホと電車のICカードでなんとかしようと思っていた。
    だがこれは、水分補給に困ることになる。自販機は点在していたが現金がないと買えない。
    また、比叡山ケーブルにも乗れない。

    登山とトレランは別のスキル、別の考え方が必要だと実感した。
    登山とトレランの間のようなトレッキングと言うと聞こえはいいが、登山のように険しいところには行けないし、トレランのように長距離を走れないのが現実であった。
    トレランにはトレランの知識と経験が必要で、水分の運び方はかなり大事やし、携行食の考え方も大事。動いている最中におにぎりとかを食べると胃がもたれるのだ。

    本当は、比叡山を滋賀方面に抜けて坂本に行けるんじゃないかと思っていたし、それも可能であったが、比叡山の時点で4時になっていたので挫折。一番近い下山ルートを選んだが、その道が石ゴロゴロでめっちゃ辛かった。
    スタート時間が遅い(9:40頃)というのも反省せねばならない。

    比叡山では挫けそう、というかほどんど挫けていたのだけど、初心者であることを実感できたことと、それでも山に身を置けるタフさがあることを喜べと自分に言い聞かせた。

    下山後のセブン-イレブンが大変ありがたかった。

    それを言うなら、三条通のローソンも、白川通りのファミマにも助けられました。
    感謝。

    反省は多いものの、自分の実力を知るには良い機会になった。
    逆回りならいけそうだ。JR比叡山坂本をスタートにしてJR藤森に戻るコース。
    まぁ、それも良いけど、JR比叡山坂本からJR保津峡もやってみたい。このルートは途中で町に出ないので良い修行になりそう。

    他にも大文字あたりは分岐が多くてまだ楽しめそうだし、比叡山はトレイルランナーが多く、ちょうどよい傾斜のルートがあるのかなぁと思ったり、次からの楽しみが増えた。

    これは修行なので、旅情などはほとんどないし、人との交流もぜんぜんないのだが、大文字山から南の山景を見た時に、自分が走ってきた山を振り返れるのが感情のピークだったかな。

    以上、反省を踏まえてまた頑張る。

  • 私が夢を叶えられない理由

    私が夢を叶えられない理由

    ゆるゆると仕事をしてなんらかの創作活動をしながら生きていきたいと思っていたけれど、ゆるゆると仕事をし続けて、競争力が保持されるほど世の中は甘くない。
    仕事をするなら、勉強したり技術を磨いたり新しい商品を生み出したりして、戦わねばならない。
    その点拙者はすごく甘い。

    大人は市場と戦って成長すべきだ。
    そう思ってはいたのだけれど、実際のところは戦うのを避けて、現状に安住して、結果が全てじゃないよな、などと言い訳してとりあえず生きている。
    逃げるのが上手くなってしまった。
    拙者はダメな奴だ。

    と、いつもの自己憐憫が出てきた。
    たぶん、これが良くない。
    負け犬キャラで、反省したように見せかけて、実は心を軽くしているだけ。
    こういう時に必要なのは反骨精神かと思う。

    現在拙者は、小説家になって自分の本が書店に並ぶことを夢見ているんだけど、結局上手くは書けなくて、書き進められもしなくて、ほとんど挫折してる。
    さらに、その挫折をブログに書いて、どうせダメな奴だと自己憐憫して、スッキリさせようとしている。
    自分を憐れむな!
    必要なのは、なにくそ! って気持ちだろ。

    拙者は小児喘息で、今でも黄砂の時期や風邪をひいた時などは調子が悪くなるので、幼少期から充分に苦労したんだけれど、同時にしんどそうに振る舞っとけば許される、というのが身に付いている。
    ちょっとでもしんどくなったらしんどそうな振りをしてしまう。
    たとえば、ランニングをする時など、しかめっ面で走ってしまう。
    しんどそうな振りに自分が騙されてしまって、最後まで全力を出しきれなかったりするのだ。

    このワラクリにおいても「ダメだったんです、一生懸命やったけどしんどくなってしまったんです、ダメな奴なんです」という記事はかなり多くて、そう表明しておけば、人からの非難も、自己嫌悪も避けられる。
    冒頭に書いたような文とキャラで、最後まで全力を尽くすことから逃げてるんだろうなぁ。

    夢を実現させたいなら、これを捨てねばならん。

    最近特に仲良くさせてもらってる人は反骨精神が強くて、また先日一緒に走った若者は若くして代表取締役の肩書を持っていたが、彼も反骨精神に溢れていた。
    夢を叶えられる人はこういう人々なんだろう。

    拙者が持つ自己批判精神は、自分の非を素直に認められたり、反省できたり、人間関係においてはメリットを発揮したりするのだが、こと夢を追うに際しては、足が鈍るんだよな。
    ダメな理由なんて、いっぱいいっぱいいっぱい見つかるからなぁ。

    自己憐憫をやめよう。
    ダメな奴なんですごめんなさい、で終わらせぬ。
    なにくそ! と反骨精神を発揮せよ。
    しんどくても全力を尽くせ!
    小説家が小説書けないなら死ね!

    以上。