投稿者: 石黒わらじろう

  • 無精者だが大原に有精卵を買いに行く。あと無音の滝

    無精者だが大原に有精卵を買いに行く。あと無音の滝

    京都の鴨川沿いを北上し、高野川を遡ると比叡山が接近してくる。その西側を進むと山の気配が漂い、ヒヤッと涼しくなる。そのまま山の中に入っていくかと思いきや、ちょっと開けて田舎っぽい風景が広がる。そこが大原である。
    三千院が有名なあの大原。

    大原に行こうと思ったのは、有精卵が売っているという情報があったからである。
    昨今の玉子不足で売ってないかもしれんけど、その際はランニングでもして、無音の滝なるものを見てみようか、とバイクを走らせた。

    2023年6月21日(水)、平日で夏至だ。
    平日の昼間からぶらぶらと出かけられるのは、現在休職中だから。1年ほど調理の仕事に勤しんでいたが、モチベーションが下がったので辞めた。美味しいものを求めなくなって、料理への探究心がなくなったのが大きいと思う。
    収入については不安を持ちつつ、その不安のせいで変な選択をしないようにと自分を戒める。

    有精卵が売っているというのは、大原里の駅。田舎に行くとよくありそうな直売所。
    平日の正午前だったが、7割くらい駐車場は埋まっていたし、併設のカフェは満席だったようだ。賑わっている。
    直売所の棚を見ると、かなり商品が減っていて一抹の不安を感じた。
    玉子は売り切れているかもしれない……。
    野菜、米、よもぎ餅、パンなどが売っている。それらをスルーし、玉子、玉子と店内を見回すと、見つけた!
    10個入りのプラパック、ちゃんと有精卵と書いてある。お値段は?
    700円!
    まだまだ玉子不足で高騰している。昨年秋の時点では500円ほどで買えたはずなんだよな。でも、あるだけ良かった。
    玉子の他、1000円の味噌、キュウリ、ビーツ、よもぎ餅を購入。
    最近は脱プラごみを意識しているのだが、全部プラやポリ袋に入っているので少しだけ嘆息。

    有精卵を手に入れたので、次は無音の滝を目指す。
    バイクをちょっとした公園に停め、ウェアに着替えてラン開始。
    地下足袋と腹掛けスタイルなので、田舎道によく似合う。大原には庄屋さんの家みたいな屋根が多く残っており荘厳だ。田舎と表現しているが、京都にはかなり近いし、裕福な家が多いと思われる。地名のブランドもあるしね。
    広大な農地はなく、すぐ山に行き当たり、上り坂になり、観光地によくある駐車場や喫茶店が増えると三千院に行き着く。
    三千院には入らずに、沢がある坂道を駆け上っていく。寺院が並んでいるので舗装されている。

    大原には来迎院と勝林院というお寺がある。この2つは声明道場として有名だと京都検定に出てきた。
    声明というのは、節を付けてお経を読むことであり、それって今では念仏として普通のことだが、その源流の道場がここにある、という認識。
    てことは、江州音頭とか〇〇節の源流なのであり、盆踊り愛好家としては感慨深い。
    無音の滝というのも、この声明の修行が行われた滝であることからその名前がついたそうだ。
    白い水流がせらせらと散って、なかなか風情のある滝だと感じた。

    その後は、赤しそ畑を通り抜け、寂光院にも足を伸ばし、ランニングを楽しんだ。
    周辺を一周りすると10kmほどになるので、走って回るには充実した場所だった。田舎道、山道、観光地のバランスが良い。次は山の中にもアタックしてみたい。

    ぶらぶらとランニングをして、平日の昼間に誰の役にも立たぬことをしており、大人としては恥ずかしい限りであるが、今回得た情報が誰かの役に立つ可能性もあるし、恋に疲れた女に大原の地をオススメできるかもしれんし、考えすぎないでおこう。

    仕事に疲れた男がひとり、涼やかな大原を後にして、住宅の建ち並ぶ伏見に帰り、有精卵を温め始めるのである。

    以上。

    ちなみに、山田農園さんでも別の有精卵が買えます。

  • 第3回大文字サイレント盆踊り(2023.8.16)

    第3回大文字サイレント盆踊り(2023.8.16)

    お知らせ

    鴨川増水により鴨川デルタは立入禁止になっております。周辺のどこかで実施しておりますので、お探し下さい。

    あらゆる盆踊りが中止になったコロナ禍で、新たに誕生したのが大文字サイレント盆踊り。
    コロナ禍が収束したので役割を終えたと考えても良いのだが、むしろ疫病を乗り越えたこと・疫病を忘れないことを胸に刻み、踊るべきではなかろうか。
    ゆえに、今年も決行だ。

    昨年は雷雨に見舞われ、神がかったイベントになった。
    今年はどうなるだろうか?
    歴史の目撃者となってくれ。

    実施日:2023年8月16日(水)
    実施場所:出町デルタ
    時間:19:00~20:00
    会費:お賽銭方式
    持ち物:汗かいたときの着替え
    雨天:雷雨決行。鴨川が増水してたら中止。

    踊りに参加する方は、事前に連絡してもらうと色々とフォローができます。(メール
    初心者でも大丈夫。見学OKです。

    踊り曲目:江州音頭、河内音頭(手踊り、マメカチ)、炭坑節、郡上おどり(春駒、かわさき)、ドンパン節、ダンシング・ヒーロー、マイムマイム、マリーゴールド(予定)

    とにかく堂々とやると、周りの人たちが伝統行事だと勘違いしてくれる。なんらかの氏子になったような気分。
    特には布教したい教えはないけれど、踊り自体を布教して争いのない世の中にしていきたい。踊りには資源の奪い合いはないからな。でも視線の奪い合いはあるかもね。
    多くの観客が集まるので、踊っていてめちゃめちゃ気持ち良い。
    最後に送り火を眺められるのもいい。

    20人くらい集まったら楽しいなぁと思っているけど、クレイジーさが必要なので、みんな集まれ! とは言わない。
    選ばれし者たちだけ、ご参集下さい。

    世界は自分たちのためにある、と勘違いできる機会なので、お見逃し無く!

    以上。

  • こないだの風邪は新型コロナっぽい

    こないだの風邪は新型コロナっぽい

    健康には気を使っている。ランニングをしているし、野菜も豊富に摂取している。
    ダンスや登山や水泳を趣味としており、体が駄目になると愉しみが消えるから切実なのだ。
    それなのに風邪を引いてしまった。酒飲み過ぎで抵抗力が落ちていたんじゃないかと思われる。
    結果として、かなり行きたかったベトナムフェスティバルは不参加で、AMEEをライブで見る機会を失ってしまった。無念である。
    だがやっと全快し、ランニングにも社交ダンスレッスンにも行けた。
    風邪をひいて良かったこともあるので、それを記しておきたい。

    今回の風邪はいつものとは違ったので、新型コロナだったのではないかと疑っている。一切熱は出なかった、いや測ってないのだが、熱の気配はなく医者には行かず、実際には不明。
    寒気も何もなく、急に喉に激痛を感じたのが6/7。
    翌6/8、喉は正常化したが、鼻水が一日中止まらなかった。
    さらに6/9は痰が絡んで呼吸がしにくくなった。体を動かすとすぐに息切れして体力の激減を感じた。水道のハンドルがちゃんと締められず、水がポタポタ落ちてしまうくらいに、筋力も低下した。
    基礎体力がなかったら死ぬな、と思った。
    そこからは徐々に徐々に回復したが、6/13までは病床に臥せっていた。

    こういう経過は新型コロナと似ているのじゃないかと思う。
    弱毒化した後のコロナだったんじゃなかろうか。
    ちなみに拙者はノーワクチンでこの症状。
    もしワクチンを打っていたなら、パッと熱が出て防衛システムが作動したのかな? と考えたりした。

    ワクチン推進派と否定派の議論が絶えなかったけれど、「人による」というのが結論だろう。
    体力のない人や高齢者はワクチンを打ったほうが安全だと思われる。
    しかし、体力のある人や若い人はワクチンを打たなくても乗り越えられたはず。

    これにより自民党政権のコロナ対策は、初期は行動制限、ワクチンが手に入り次第ワクチン推進という政策であったが、一定の評価ができる対応だったと考えられる。
    しかしこれは年寄り目線の話であり、若者は行動制限もワクチン接種も必要なかったはずであり、3年間の青春を奪われた若者は多かっただろう。
    実際に大学生活がずっとコロナ禍だったという大学生に会ったが、やや鬱気味に、留年しようかと思ってる、と語っていた。
    出生率も激減した。
    さらに年寄り社会が加速するようだ。

    などと、政治のことも考えたのであるが、しんどい日が続いたので久しぶりにネットでアニメを見た。
    「推しの子」である。
    風邪に罹らなければスルーしていただろう。
    アイドルの話であり、芸能界の話であり、高校生の話なので、もはや拙者には縁遠い。
    ストーリーを追ってみると、異世界転生モノに筋は似ている。でも、サスペンスあり、学園ものでもあり、ハーレムものでもあるので、最先端マンガという感想。
    ちなみに、女性キャラが多く登場するので、誰が好み? という話になると思うが、「有馬かな」だな~。ボブが可愛い。

    こんなふうにアニメで気を紛らわせたわけだが、呼吸ができなくてとてもしんどくて、喘息患者である拙者には、少年時代を思い出させた。
    拙者は強力なアレルギー体質なので、幼少期からずっと喘息で、今でも風邪を引いたときや花粉のシーズンなどは呼吸が苦しくなる。
    最近は体力をつけているし、薬も良くなったので少年の頃のように苦しむことはなくなったが、今回の風邪はあの当時のしんどさを思い出させる症状だった。
    気管に痰が絡むのを、咳をして吐き出さねばならないのだが、咳をすればするほど呼吸が乱れ、また体力も奪われ、息ができず、死ぬかと思う。
    だけど、頭は冷静で、自分の体を呪ったり、誰の助けも届かない実情を認識したり、耐えるように生きた少年時代。

    大人になった今でも、自分の力で解決しようとか、最終的には誰も助けてくれないと思って行動するのは、骨身にしみてるというか、気管に染み付いた性質なのかもしれん、とふと思った。
    多くのことを単独でやってスゴイんやけど、人に頼らないのは人生が伸びない原因の一つだよな。
    気管を元にした性格ならしょうがないよな。

    風邪でしんどかったけど、それは少年時代の自分と重なる淡いしんどさだった。
    風邪により、10日間ほど停滞したし、体力も筋力も微減したが、苦しみに耐えてきた体だと思い出した。
    いつか呼吸困難で死ぬ日が来るかもしれんが、その日までは全力で生きたいと思うよ。
    決意を新たにできた、いい病気だったってことにしておこう。

    以上。

  • 脱プラごみ生活を夢想する

    脱プラごみ生活を夢想する

    プラごみについて、どう考えてます?

    ここ数年でいうと、レジ袋の有料化やプラスチックストローの廃止などがトピックに上がった。
    あるいは、分別の仕方とか、結局は燃やしてるとか、話題に上ったりもする。

    拙者の考え方としては、プラスチックは美しくないけれど、他の包装資材よりも安いなら使わざる負えないかなと。
    マイクロプラスチックによる海洋汚染は問題だが、ちゃんと分別回収し、リサイクルするなり燃やすなりすればいいんじゃないかと思う。
    積極的には使わないし、悪しきものだと思っているけど、容認派のポジション。

    だがしかし、ここに転換期を迎える。
    脱プラはオモロイんじゃないかと夢想しだした。

    きっかけはゴミってゼロにならんのかな? という疑問。
    現状は燃えるゴミはかなり削減されていて、生ゴミは土に埋め、木くず紙くずはBBQなどの機会に燃やしている。
    しかしプラごみはあらゆる商品についてきてしまう。野菜、肉、玉子、調味料、トイレットペーパーなどなど。美しくないとは思いつつ、資源ごみ袋に入れて回収してもらってた。

    しかし、待てよ、と。
    プラごみが出る商品を買わないとどうなるかな? と。
    こう考えると、生活が変わりそうな予感がして、なんだかときめく。

    世の中のみんなが、楽したい楽したい、と思っているようなのだが、楽をするとつまんなくなることがよくあって、便利=幸せなのではない。
    反対に、不便なのは不幸なのではなく、実はそこに娯楽性があったりするのである。
    多くのゲームは面倒くさいことをやっているわけだが、それこそが娯楽になっているのだ。

    ゆえに、脱プラで買い物をすると、娯楽性が高まるのでないかという仮説を今立てている。
    難易度が高まり、冒険性が高まるのでは?

    たとえば、お米はどこで買おうか? と考える。
    紙袋に入ってるお米か、あるいは精米してくれる量り売りのお米やさんに容器を持って買いに行けば良いかも。これをすることによってコミュニケーションが増えるかもしれん。ついでに米ぬかをもらって、いいことがあるかもしれん。

    緑茶もだいたいプラ袋に入っているのだが、お茶屋さんに行くことによってクリアできる。今もなお茶箱に入っているお茶っ葉はないものか?

    玉子は必需品なんだよなぁ、モールドパックの玉子は高いしなぁ。と考えたが、1個づつ売ってくれる玉子屋さんがそこそこ近所にある。

    小麦粉はどうかな? 納豆は? 味噌は? 塩は? 砂糖は?

    最後の手段は、そんなもの買わん、という選択で、ある品目は買えるものがないかもしれん。
    斗々屋に行けばなんとかなるかな?

    こうして買い物一つ一つに手間がかかり、取得金額もおそらく増えて、コミュニケーションも増えて、だいたい面倒くさくなる。
    でもだからこそ自分の生きる価値が高まるのではなかろうか?
    プラスチックライフから、ドラマチックライフへの転換である。

    まだ、夢想の段階。
    妥協をすることもあるだろうし、実際は昨日ネットで古本を注文してしまい、もれなくプラスチックに包まれて送られてくるんだろうなぁ。
    買えないもの、使えないものが増えるなぁ。
    歯ブラシ、歯磨き粉などはかなり困るな。
    薬とか、もらえなくなるなぁ。
    うーむ。

    どうなるかは、一度やってみてからだな。

    以上。

  • アンナチュラルな野菜たち

    アンナチュラルな野菜たち

    拙者は庭付きの古民家に住んでおるので、油断すると雑草がジャングルになる。すでに油断しており一部がジャングル化している。この季節は急に生長するので圧倒される。人間のペースで考えていてはだめだ。

    少しでも雑草に抵抗するために、というか除草を有意義にするために一部を畑にして、種を蒔いたのは昨秋のこと。
    しかしである。

    拙者の仮説としては、雑草がワイワイ育つのであるから、同様に野菜が育つのではないかと思っていた。
    土があって、日光があって、雨が降る。それで野菜は育つはず。

    これは甘いのだ。
    現実を知らない人の考えであった。

    買ってきた種は、適温になればちゃんと芽を出す。
    キュウリも、トウモロコシも、エダマメも、アスパラも、サンチュも、種を蒔けば芽が出てきた。
    発芽さえすれば育つと思っていたが、残念ながら大きくは育ってくれない。虫に食われるやつもある。
    おそらくは肥料が足りないと思われる、実際に肥料は米ぬかしか撒いてない。あるいは雑草のアレロパシーにやられているのかもしれん。

    エシャロットレベルの玉ねぎ

    拙者の考え方としては、育つやつだけ育てばいい、と思っていて、良い土を買ってきたり、肥料を買ってきてまでは家庭菜園などしない。
    現時点ではエダマメはかなり強いことが分かった。
    土壌が弱くても育つ野菜を知っておくのは大きな学びである。

    それよりも大きな学びは、野菜って「大自然の恵み」というイメージを持っていたが、「工業製品」なんだと実感した。肥料や農薬の力でやっとお店に並ぶようなものができる。
    野菜は国産のものが多いという印象だったが、肥料のことも考えるとそうとは言えない現実があるんだろうな。

    野菜はアンナチュラル。
    それが現実だ。

    高く育たなかったトウモロコシ

    しかし、それだけで終わろうとは思っていない。
    第1段階としては、つよつよ野菜を育てるが、第2段階では土も育てようと思う。
    以前から目論んでいて達成できていないが、ニワトリを飼えば除草もできて糞もしてくれて、土地が肥えるはずなので、家庭養鶏を実現したい。玉子も食える。
    もう1つは、自分自身の便を畑の堆肥にすると合理的だ。
    わざわざ下水道にくれてやる必要などないのだ。

    こうして、買い物にも行かずゴミも出さない暮らしを夢見ている。
    すでに生ゴミは土に埋めているし、紙ゴミは暖を取るために燃やしているので、燃えるゴミはかなり少ない。
    プラごみも意識を高くすればゼロにできるはずだ。
    プラスチックに包まれたものはなるべく買わないようにする。

    さらに発展させて、ゼロエミッションの農家レストランを運営できたらいいなぁ。

    未来について考える時、AIとか自動運転とか空飛ぶ車とかにはぜんぜんときめかない。テクノロジーで人は楽になるが、楽することが幸せなのではない。
    むしろ、環境と共生する美しい暮らしを完成させて、原始的な娯楽で楽しみたい。歌ったり踊ったり、炎を囲んで語ったり、お茶会したり。

    タワマンではなく、庭付き一軒家が主流になる未来が訪れますように。
    昔、好きな子がこう言っていた。
    「土から離れては生きられないのよ」

    タワマンにもAIにもバルスを。

    以上。

  • 風邪をひいたので、息苦しくて、生き狂しい

    風邪をひいたので、息苦しくて、生き狂しい

    風邪をひいたが、誰も看病してくれる人がおらず、物悲しいのでブログを書く。
    一昨日の夜に喉が激痛で、昨日は鼻水が溢れ出て、今は気管に痰があるらしく息苦しい。
    こんなにもちゃんと風邪をひくのは久しぶりで、コロナの3年間は何もなかったはずであり、だいたい5年間は風邪を引かなかったと言っても良さそうだと思ってブログを検索したら、2019年12月に風邪をひいたと書いてあった。このときは軽症。
    とにかく3年半ぶりの風邪に苦しんでいる。

    まず最初に思うのは、マスクは効果あるなぁ、と実感。
    拙者は脱マスク派で、呼吸が遮られてマスクは体に悪いと思っているのだが、みんながマスクをつけていてくれると、風邪が流行りにくい。
    事実、コロナは感染爆発していたけれど、インフルエンザは抑えられていた。
    コロナ禍は明けたことになっているけれど、マスクは極力したほうがいいと思う。拙者はしないけど。

    風邪の原因に思い当たるところはないけれど、ビール飲みすぎたのがダメだったかな。
    2日間飲んだもんなぁ、たぶん3リットルづつ飲んだもんなぁ。
    アルコール分解に忙しく、ウイルス対応が後手に回ったんだろう。
    定期的にランニングをしているので風邪などひかん、と信じているのもダメだよな。
    基本的なウイスル対策は習慣として実施すべきだ。

    熱はないけど、気管がしんどくでゲホゲホと病人のような咳をして、血の混じった痰は出てこないけど、そこそこ強敵の痰は出てくる。
    ゲホゲホと体を震わせ、幼き頃の自分を振り返り、自分の死をイメージして、これからどうするんだ? と問いかける。
    あと20年もすれば風邪に耐えられない体になって、ヒュっと火が消えるように死んでしまうだろうよ。
    それまでに何をするんだ?

    これまでに数々の苦しみを乗り越えてきた体があるんだから、人生を使えば何かを実現させられるはずだ。
    ある人は、「金融資産」と「稼ぐ力」と「良好な人間関係」が幸せの三要素というのだけれど、それらがさほど欲しくない人がこの世界にいると思う。
    拙者はたぶんそのタイプだ。

    文才が欲しい、それと誰もが驚くプロットのアイデアが欲しい。
    あるいは、多くの人を魅了できるダンスの才能、それか動員力。
    看病はいらない。
    早く治して、成すべきことを成すための能力開発に勤しみたい。

    以上。

  • 流血するほど楽しすぎた郡上おどりin京都と延長戦

    流血するほど楽しすぎた郡上おどりin京都と延長戦

    郡上おどりが楽しいのは知っていたが、永遠に味わっていたいと思えるほど楽しいことに驚いている。
    2023年6月3日(土)、郡上おどりin京都が実施され、みんなと踊った。憎きコロナ禍により3年ぶりである。
    台風一過の青空の下、初夏の薫る風が吹き、もはや城のような威厳になってきた京都市役所の前で、下駄の音を響かせる。
    カンカン、カンカン、カンカンパン、カンカンパン。
    その音が響き渡れば、音頭が加速していく。
    見えない自由は欲しくない。踊れる自由さえあればいい。

    郡上おどりというのは、日本三大盆踊りの一つで、岐阜県郡上八幡市で実施される江戸時代からの由緒ある盆踊り。徹夜踊りでも有名。ユネスコ無形文化遺産にも登録された。
    10種類の曲と踊りがある。
    拙者は4年ほど前に徹夜踊りを体験しに行った。1人で乗り込んだので休憩するペースが分からず、終了時には亡者のようになっていた。

    郡上おどりin京都はその出張バージョンで、年に1回だけ開催され、今年で13回目だそうだ。
    拙者は6年ほど前に初参加させてもらって、それ以降は毎年参加しているが、前述の通りコロナ禍だったので、3年ぶりの参加である。

    楽しいのは知っていたが、屋外開催は初体験だ。これまではゼスト御池の地下街だった。
    前日には新幹線を止めるほどの大雨が降ったが、その心配はなくなり、逆に日差しと暑さの心配に変わった。水分補給をせねばならない。
    しかしこれがいけなかった。

    会場に着く前に三条の明治屋でビール350mlを2本買う。
    会場で仲間と挨拶を交わしながら、その2本を空ける。

    音頭が始まり、人々が櫓の周りに集まる。
    京都の盆踊りとしては最大動員で、1000人、くらいの感覚。
    そこまではいないのかなぁ、しかし、人が浴衣で動くと3倍くらいの人数に見えるからなぁ。
    そこに拙者も混じって踊るのだが、楽しさしかないワ。
    人々が踊っている、自分も踊っている、その渦の中で何を考えているかというと、「知ってる人いるかなぁ~」とよく見ている。

    ちなみに10種類ある中で、3つがお気に入りで「かわさき」「猫の子」「春駒」。この3つさえ抑えておけば大丈夫で、実を言うと他のやつはよく分からん。

    4時間エンドレスで音頭が流されるかと思っていたが、休憩が3回あった。その度に拙者はビールを飲んだ。水分補給しないと熱中症になると思って。
    だいたい2リットル摂取したところで頭がぼ~となってきた。
    「踊りの振りが分からん」という症状に見舞われた。
    2リットルは多すぎたな、1.5くらいでやめとけばよかった。

    これによってダメージを受ける。
    酔っ払っているのに、激しく下駄を打ち鳴らしたがるのが拙者で、下駄の歯がすり減っていたこともあり、どうも地面で右足の人差し指を勢いよく削ってしまったようだ。
    流血しだした。
    とくとく血が流れ、徐々にねちょっとして、指と下駄が血まみれになった。
    踊りながら右足を見ると、血の赤が生々しくてちょっと怯んだ。
    「あー、地面が血まみれになったらどうしよう、怖がられるかなぁ~」
    と、とても心配した。
    だが、幸いにして血は下駄から溢れることなくとどまり、そのまま踊り続けるうちに血はとまった。
    下駄は良いタイミングで買い替えるべきだと学んだ。

    そういった身体的ダメージを受けはしたが、踊りは超絶に楽しくて、派手な浴衣の人、揃いの浴衣の人、帽子の人、手ぬぐいの人が渦を作る。下駄の音、手拍子の音が鳴り響く。音頭は相変わらず何言ってるのか分からず頭がぼ~っとなり、時折風がさぁーと流れる。踊りに集中できるとトランスに入り、自分が世界なのか世界が自分なのかよく分からなくなってくるのがいい。

    定時になると郡上おどりin京都は終演を迎えたが、仲間と三条の河原で延長戦をした。
    いうても本編で全力を出し切っていたし、特に踊りたい欲求のない和装集団の夕涼みといった体だったが、程よく知らぬ人との絡みがあって、良い時間になった。

    フランス人と日本人夫婦の子ども、兄と妹と遊ばせられた。サツキとメイくらいの年の頃だろうか。
    兄は体を動かしたい盛りらしく、側転を披露する。
    「スゴイ!」
    と感嘆してやると、
    「やって!」
    と、側転をやらされるのである。
    拙者はノリが良いので、側転の真似事をし、そしてそれはできず、倒れ込むのであるが、それを見た妹が助け起こしに来てくれるのである。
    小さい女の子に手を持ち上げられたら、キュンとするではないか!

    その後も、あれやって、これやって、お菓子頂戴と、不躾極まりない連中で、酔った体で平均台のようなことをさせられたり、みそそぎ川に手を突っ込まされたり、濡れた手で髪をくしゃくしゃされたり、そのくせ踊りはちゃんとやらないので、なんやねんと思うのだが、誰にも相手にされないオジサンでいるよりはいっか。

    彼らが帰ったあとは、餃子を頂いたりして、はむはむと美味しい思いをさせてもらい、締めで何かを踊ろうかとブルートゥーススピーカーから流れる曲は、マイムマイムだったり、あいみょんのマリーゴールドだったりして、ぜんぜん盆踊りじゃなくて、適当に踊っていたら飛び入り参加の人達が来て、一緒に踊って、それは踊る自由を行使した初夏の夕涼み。

    楽しくて永遠に味わっていたいと思うほどの時間は、こんな感じ。

    皆さまありがとう。
    楽しかった。
    盆踊りシーズン、楽しみだね。

    以上。