プラごみについて、どう考えてます?

ここ数年でいうと、レジ袋の有料化やプラスチックストローの廃止などがトピックに上がった。
あるいは、分別の仕方とか、結局は燃やしてるとか、話題に上ったりもする。

拙者の考え方としては、プラスチックは美しくないけれど、他の包装資材よりも安いなら使わざる負えないかなと。
マイクロプラスチックによる海洋汚染は問題だが、ちゃんと分別回収し、リサイクルするなり燃やすなりすればいいんじゃないかと思う。
積極的には使わないし、悪しきものだと思っているけど、容認派のポジション。

だがしかし、ここに転換期を迎える。
脱プラはオモロイんじゃないかと夢想しだした。

きっかけはゴミってゼロにならんのかな? という疑問。
現状は燃えるゴミはかなり削減されていて、生ゴミは土に埋め、木くず紙くずはBBQなどの機会に燃やしている。
しかしプラごみはあらゆる商品についてきてしまう。野菜、肉、玉子、調味料、トイレットペーパーなどなど。美しくないとは思いつつ、資源ごみ袋に入れて回収してもらってた。

しかし、待てよ、と。
プラごみが出る商品を買わないとどうなるかな? と。
こう考えると、生活が変わりそうな予感がして、なんだかときめく。

世の中のみんなが、楽したい楽したい、と思っているようなのだが、楽をするとつまんなくなることがよくあって、便利=幸せなのではない。
反対に、不便なのは不幸なのではなく、実はそこに娯楽性があったりするのである。
多くのゲームは面倒くさいことをやっているわけだが、それこそが娯楽になっているのだ。

ゆえに、脱プラで買い物をすると、娯楽性が高まるのでないかという仮説を今立てている。
難易度が高まり、冒険性が高まるのでは?

たとえば、お米はどこで買おうか? と考える。
紙袋に入ってるお米か、あるいは精米してくれる量り売りのお米やさんに容器を持って買いに行けば良いかも。これをすることによってコミュニケーションが増えるかもしれん。ついでに米ぬかをもらって、いいことがあるかもしれん。

緑茶もだいたいプラ袋に入っているのだが、お茶屋さんに行くことによってクリアできる。今もなお茶箱に入っているお茶っ葉はないものか?

玉子は必需品なんだよなぁ、モールドパックの玉子は高いしなぁ。と考えたが、1個づつ売ってくれる玉子屋さんがそこそこ近所にある。

小麦粉はどうかな? 納豆は? 味噌は? 塩は? 砂糖は?

最後の手段は、そんなもの買わん、という選択で、ある品目は買えるものがないかもしれん。
斗々屋に行けばなんとかなるかな?

こうして買い物一つ一つに手間がかかり、取得金額もおそらく増えて、コミュニケーションも増えて、だいたい面倒くさくなる。
でもだからこそ自分の生きる価値が高まるのではなかろうか?
プラスチックライフから、ドラマチックライフへの転換である。

まだ、夢想の段階。
妥協をすることもあるだろうし、実際は昨日ネットで古本を注文してしまい、もれなくプラスチックに包まれて送られてくるんだろうなぁ。
買えないもの、使えないものが増えるなぁ。
歯ブラシ、歯磨き粉などはかなり困るな。
薬とか、もらえなくなるなぁ。
うーむ。

どうなるかは、一度やってみてからだな。

以上。

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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