拙者は庭付きの古民家に住んでおるので、油断すると雑草がジャングルになる。すでに油断しており一部がジャングル化している。この季節は急に生長するので圧倒される。人間のペースで考えていてはだめだ。

少しでも雑草に抵抗するために、というか除草を有意義にするために一部を畑にして、種を蒔いたのは昨秋のこと。
しかしである。

拙者の仮説としては、雑草がワイワイ育つのであるから、同様に野菜が育つのではないかと思っていた。
土があって、日光があって、雨が降る。それで野菜は育つはず。

これは甘いのだ。
現実を知らない人の考えであった。

買ってきた種は、適温になればちゃんと芽を出す。
キュウリも、トウモロコシも、エダマメも、アスパラも、サンチュも、種を蒔けば芽が出てきた。
発芽さえすれば育つと思っていたが、残念ながら大きくは育ってくれない。虫に食われるやつもある。
おそらくは肥料が足りないと思われる、実際に肥料は米ぬかしか撒いてない。あるいは雑草のアレロパシーにやられているのかもしれん。

エシャロットレベルの玉ねぎ

拙者の考え方としては、育つやつだけ育てばいい、と思っていて、良い土を買ってきたり、肥料を買ってきてまでは家庭菜園などしない。
現時点ではエダマメはかなり強いことが分かった。
土壌が弱くても育つ野菜を知っておくのは大きな学びである。

それよりも大きな学びは、野菜って「大自然の恵み」というイメージを持っていたが、「工業製品」なんだと実感した。肥料や農薬の力でやっとお店に並ぶようなものができる。
野菜は国産のものが多いという印象だったが、肥料のことも考えるとそうとは言えない現実があるんだろうな。

野菜はアンナチュラル。
それが現実だ。

高く育たなかったトウモロコシ

しかし、それだけで終わろうとは思っていない。
第1段階としては、つよつよ野菜を育てるが、第2段階では土も育てようと思う。
以前から目論んでいて達成できていないが、ニワトリを飼えば除草もできて糞もしてくれて、土地が肥えるはずなので、家庭養鶏を実現したい。玉子も食える。
もう1つは、自分自身の便を畑の堆肥にすると合理的だ。
わざわざ下水道にくれてやる必要などないのだ。

こうして、買い物にも行かずゴミも出さない暮らしを夢見ている。
すでに生ゴミは土に埋めているし、紙ゴミは暖を取るために燃やしているので、燃えるゴミはかなり少ない。
プラごみも意識を高くすればゼロにできるはずだ。
プラスチックに包まれたものはなるべく買わないようにする。

さらに発展させて、ゼロエミッションの農家レストランを運営できたらいいなぁ。

未来について考える時、AIとか自動運転とか空飛ぶ車とかにはぜんぜんときめかない。テクノロジーで人は楽になるが、楽することが幸せなのではない。
むしろ、環境と共生する美しい暮らしを完成させて、原始的な娯楽で楽しみたい。歌ったり踊ったり、炎を囲んで語ったり、お茶会したり。

タワマンではなく、庭付き一軒家が主流になる未来が訪れますように。
昔、好きな子がこう言っていた。
「土から離れては生きられないのよ」

タワマンにもAIにもバルスを。

以上。

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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