投稿者: 石黒わらじろう

  • 【旅ラン2】奈良の月ヶ瀬。心で梅を咲かせる

    【旅ラン2】奈良の月ヶ瀬。心で梅を咲かせる

    拙者は出不精だけど、飽き性でもあって、こんちくしょうだ。
    ランニングを趣味としているけれど、同じ道を走るのは飽きてしまう。だから旅先でランニングしたいと思うのだが、旅に出るのは面倒だ。

    この面倒くささは、現代病だろうか?
    ネットを開けば娯楽が溢れているから、わざわざ得体の知れない場所に赴くのは合理的ではない。
    動けばガソリンが消費されるし、金も減る。やめとけやめとけ、家にいとけ。近所を走っとけ。
    「はいそうします!」
    と、いつもは思うのであるが、今日は違った。3連休のあと2日は雨予報。今日しか行けないという気持ちが心を駆り立てる。

    2022年10月8日(土)、曇のち晴れ。
    11時を過ぎてから家を出た。ぶらっと宇治茶でも買いに行こうというテンションで。
    知ってる道をバイクで駆ける。ほとんど前回の旅ランと同じルートだ。茶畑も、急な山道も、こないだ通ったばかり。慣れた感じで鼻歌を唄う。江州音頭の一節を。

    少しだけ迷いつつも、概ね正しいルートだった。間違っていたのは服装だ。急に寒くなったせいで、装備が間に合ってない。足が震えだした頃に目的地に着いた。およそ1時間半の行程。

    月ヶ瀬温泉。
    京都府の南山城村を越えてきたのは知ってるが、ここが奈良県か三重県なのかは気にしないでおく。

    直売所があるので、こそっと入る。
    お茶が売っていた。製造者の名前入り。京都府を越えたので、もう宇治茶じゃないようだ。
    拙者は愛国者であるし、エコロジストでもあるので緑茶を飲みます。コーヒーは控えることにした。
    だが悩む、産地らしくたくさんの緑茶が売っていた。どれを選べば良いのかまったく分からない。
    昔、福寿園の方に聞いたのですが、福寿園などの販売者は色んな生産者のお茶を集めて、味を見極めて、それをブレンドして福寿園の味にするそうです。
    だからきっと、どれを買ってもワイルドに近い味なのかな、と推察する。

    買いました

    今からランニングするので、よもぎ餅を食べる。

    柔らかくて、美味しいやつでした。とろりと溶けた。

    さて、ジーパンや上着を脱いで、いざランニング開始。
    観光案内板が豊富なので期待できる。
    まずは梅渓なるものを目指す。

    1.5km走ると、月ヶ瀬のメインコンテンツたる梅渓に行き当たる。
    なかなかすごくて、梅林と渓谷のコラボ。急斜面に梅林があるので、景色の奥行きがスゴイ。

    梅の木がそこかしこにあるし、その奥には山あいを流れる川。名張川というらしい。
    2月か3月あたりに来るべき場所ではあるが、人間には想像力があるからな、心のなかで梅の花を咲かせれば良いのです。ほら、白やピンクの可愛い花が咲いている。

    ここらで、地元のおばあさんと喋ったのですよ。
    「こっちの端っこのほうが、よく見えるで」と、声をかけられた。
    ばあさんのおっしゃる通り、遠くまで見通せた。
    あれは、鈴鹿山脈で、あの山の下にスズキがある、などと聞いたけど、聞き流しておいた。他にも、茅葺屋根は伊勢湾台風で飛ばされたとか、この展望台は200万したとか、NHKが猫の撮影で3日間も取材に来た、などと聞いた。
    最後には、
    「嫁はまだか」と、言われた。
    「ええ、まぁ」と、答えた。
    「今度は女の子を連れてきい」という言葉に、「そうですね」と拙者はヘラヘラ笑って、走り去った。
    絵になる場所の、絵に描いたようなばあさんだった。

    拙者は走る。咲いてない梅林を駆け抜ける。ランニングコースとしてはかなり面白い。古くからの名勝らしく、観光地の面影を感じる。
    梅の頃に来たら、走れないくらいの人出なのだろうか?
    今は人出がなく、一部の道はくっつき虫やクモに阻まれていた。

    坂を下り、一気に高度を下げて、川沿いに出る。
    橋が赤いのは、観光地の色気だろうか。

    これを対岸に渡り、車道を走る。歩道はないけどフラットな道。歩行者専用散策路がなく残念だったが、車通りが多くはないので良いとしよう。なぜかやたらと東屋が多い。梅の頃は花見で賑わうのだろうか。

    これなんか、すごく良さそうに見えるけど、さほど良い景色ではない。枝の剪定が必要だ。
    建物自体が前時代の遺産ってことにしておこう。

    デカさ自慢のカボチャ。持ち上げられない重さ。

    こちらにも直売所があり、ライダーやドライバーの休憩で賑わっていた。

    この旅で、唯一のランドマークだったのは「龍王の滝」だろう。
    龍王ですよ、ドラゴンキングですよ。ドラクエならばかなりラストに近い場所でしょう。
    絶対行かねばならぬ、龍王の滝に飛び込んでこそ真の勇者じゃ。
    と、喜び勇みました。

    老夫婦が杖をついての散策中だった。
    老夫婦でも行ける龍王の滝は、果たして龍王の滝なのだろうか?
    拙者は飛び込むのをやめた。

    そして、折り返す。これが6kmくらいの地点。
    戻りの道は、来た道の対岸。
    「もみじの小路」と題された散策路を通ったが、まだまだ青々としていた。そして東屋ばかりが多く、相変わらずランニングには最適だ、だけど誰ともすれ違わない。
    大会とか実施されたりしないのかな? などと空想する。

    梅干しなどを売るお店、老舗感がすごい

    自分にしか見いだせない地域の魅力ってないかな?
    やはり梅しかないのかな?
    などと考える。
    バスが通った。
    乗客はいなかった。
    JAのミニスーパーは閉業していた。

    メタバースとか仮想空間とか必要ないと思うんだよな。
    だって、現実世界で場所が余ってますよ。
    仮想空間でゲームするより、フィールドを使ってもっと遊べる方法を考えたいよな、と思う。

    元の温泉施設に戻ってきた。足での走行距離は11kmほど。
    周辺にはキャンプ場が整備されていて、多くのテントが張られていた。
    ファッション的なキャンプは好きじゃないけれど、フィールドで遊ぶ点は評価すべきところだな。
    ブームになってるキャンプで人を集めながら、周辺の観光や楽しみ方も伝える施策が必要かと思った。

    ちなみにここの温泉施設はとてもきれいで、泉質も良かったです。
    通常700円ですが、100引きのクーポンなどが出回っているようで、600円で入泉可能。京都市内の銭湯は490円になっているので、お得だ。オススメできる。
    少し冷たさを感じる外気の中、ぬるめの露天風呂で贅沢な時間を味わった。
    よく家を出てくれた、11時の自分、ありがとう。

    以上で旅は終了です。
    もと来た道をそのまま帰りましたとさ。

    季節が激変し、バイクで走るのは寒くなって、家から出る億劫さに拍車がかかるかな。
    出不精な我に、旅立つ勇気を与え給え。
    我らの旅はつづく!

  • [募]ニセ祇園祭、盆踊り逃げ大会(2022.11.3)

    [募]ニセ祇園祭、盆踊り逃げ大会(2022.11.3)

    やりたいことをやるのが、好まれる時代になってまいりました。
    おそらく、インターネットの発展によって様々な価値観が可視化され、オーソドックスなもの、普通なことの基準がなくなっている。
    であるから「自分はこうだ!」と自分で確立せねばならない。

    ところで拙者は踊りたい人である。
    そして踊りたい仲間も周りにいる。
    じゃあ、踊ればいいじゃないか、それが今の時代の正しさだ。
    というわけで、文化の日に踊ることになりました。

    2021年は平安神宮の前でサイレント盆踊りを実施したのです。秋晴れの良い日でした。青空と朱色の楼門、そして謎の盆踊り集団がよく映えた日でした。

    2022の今年も何かやろうと思います。

    京都って変なパフォーマンスをやっても、そこそこ許される土地柄なのです。
    これはおそらく、先人たちが変なことをしでかした歴史の積み重ねだと思います。
    例えば出雲の阿国の変なパフォーマンスがのちの歌舞伎に繋がり、空也上人の踊り念仏がのちの盆踊りにつながった。
    あるいは五山の送り火なんか、ゼロからやり始めようと思ったら猛反発をくらうであろうクレイジーな企画です。
    京都はおおらかで良い。自分に危害が加えられなければ「勝手にやらはったらよろしいんちゃいます~」とスルーしてもらえる。素敵だ。

    そんなわけで、我々の持つサイレント盆踊りの機動力を生かして、街を歩き、踊れる場所で踊って、そして人の迷惑になる前に逃げる(笑)、そんな祭りを実施します。
    祇園四条駅から円山公園あたりをめがけてやるので、「ニセ祇園祭」と題します。

    節分の日の鬼や獅子舞の如く、よく分からないままありがたがられる存在になりたい。そもそも盆踊りの源流は辻説法みたいなものである。
    最悪は選挙運動とか、デモみたいなものだと捉えれば、なんとかなる。

    募集要項

    [やること]移動しながら盆踊りを踊る
    [日時]2022年11月3日(木・祝)10:00~13:00頃
    [集合]祇園四条駅
    [会費]お賽銭制
    [曲目]江州音頭、河内音頭の手踊りとマメカチ、炭坑節、郡上おどりのかわさきと春駒、ウィーウィルロックユー、ドンパン節、ダンシング・ヒーロー、マリーゴールド(予定)
    [服装]自由。恥ずかしい人はお面などを被って。写真や動画などUPしても良いようにして下さい。
    [雨天]中止
    [予約]お問い合せ ←クリックしてメールフォームからご連絡を
    [初心者]盆踊りをやったことない人でも、なんとかなるので大丈夫です。

    まぁ、分かる、分かるよ。こんな企画にときめく人なんて、ごく僅かです。
    普通の人は、全力で逃げるべき企画。
    しかし、ときめいたあなたはクレイジーな気脈が流れているので、絶対に参加したほうが良いです。
    やりたいことやるためには、クレイジーな仲間が必要です。
    今の社会を生きる助けになるでしょう。
    それこそ、宝になります。

    以上です。

  • [募]かわいい子には旅を誘え!旅トーク会(2022.10.23)

    [募]かわいい子には旅を誘え!旅トーク会(2022.10.23)

    旅について語るお茶会を実施します。
    2022.10.23(日)、14:00~17:00、JR藤森駅近くの屋敷、1000円(かぼちゃプリン付き)

    これは拙者が最近研究しているルールのあるトーク会の第2弾。
    (第1弾は読書会で、愉しいことが判明している)
    拙者の周りには雑談が苦手な人が多くて、コミュ障と自称しながらネットゲームやアナログゲームをしたがるのです。
    しかし、人と人とが交流するにあたって、対戦することって必要なのかな? と拙者は考える。
    それってゲームが必要なんじゃなくて、ルールが必要なんじゃないの? と拙者は仮説を立てる。
    やはり人間って相互理解があった方が良くて、無口な人ほど面白いエピソードを抱えていたりして、得意じゃなくてもお喋りは大事だって思うのです。
    飲み会であまり喋ってない人に話を振ったら、外国人と結婚寸前までいった話が飛び出して驚いたことがある。
    そもそもコミュニケーション能力って、だいたい場数ですからね。

    とは言え、不特定な人を集めて喋ればいいという時代でもなく、何らかの共通の趣味が見出だせる人と喋りたい。わざわざ正体不明な人と喋りたくはないのです。仕事じゃあるまいし。

    あとはやはり、リアル開催で、対面して、同じものを食べることの愉しさは、オンライントークとの差が歴然だと答えが出ている。

    上記を考え、「旅」を語るお茶会を企画したのです。

    ルールですが、自分が最近行った旅を、写真など交えながら発表します。質疑応答含めて10分くらいかな? フリートークではなくて自分の持ち時間があるわけです。
    発表することによって、思い出が蘇り、新たな意義を発見できるかもしれない。
    それを参加者が順番に行います。
    テレビをモニターにして、写真を映せるようにしますので、写真が趣味な人は有利ですね。美しい写真にキャーキャー言われて下さい。
    発表は1行程分にして下さい。夏に行った場所を全部発表するとかじゃなく、一泊二日ならそれだけでお願いします。
    聞き手に「そこに行ってみたい」と思わせるようなのが理想ですが、「自分はこういうのが大好きなんです」と個性が出るものでもいいと思います。

    聞き手は旅を追体験できたり、次行く旅先の参考にしたり、グルメ情報が得られたりするので、有意義だと思います。
    ですので、聞き役だけのオブザーバー参加も可能にしたいと思います。
    「旅行に行ってみたいけど、いいとこあるかな?」というニーズにお応えします。

    日帰りのバイクツーリングや、ちょっと近所を探検しただけでも知らない場所へのアプローチなら良いです、異世界への冒険譚を捏造してもらっても構いません。
    お互いの経験値を高めるような感じになると良いな。

    会場はこんな感じの和室です。

    日時:2022.10.23(日)、14:00~17:00
    会場:JR藤森駅近くの屋敷(参加者にのみ詳細を伝えます)
    会費:1000円(かぼちゃプリン付き)

    ご予約はメールなどで受け付けます。
    >>お問い合せ

    ちなみに「かわいい子には旅を誘え!」とタイトルに入れてみましたが、有名な諺をもじってみただけです。主旨ではない。日本語もなんかおかしい。
    もし、かわいいと思う子、あるいはイケメンがいたら、上手に誘っていただければ止めはしない。
    ツーリングとか、カメラとか、京都観光とか、トレッキングとか、同じ趣味の人がいたら、とても素敵なことになるかもね。

    以上です。よろしくお願いします。

  • プライベートな時間の過ごし方、楽穏修休

    プライベートな時間の過ごし方、楽穏修休

    「あー、楽しいことがしたいなー」「毎日楽しく生きていきたいなー」とは思うものの、実際にやると疲れるし、飽きてもくる。どんどん強い刺激を求めてしまって、人生がヤバくなる。
    ほどほどのバランス感覚が必要だ。
    こう思えるほどには大人になった。

    拙者は楽しいことが大好きで、これまでの人生でそれを追求してきた。
    楽しいとは何なのか?とディズニーシーで働いたし、酒場もやった、人狼会もやった、フォークダンスも盆踊りもサルサダンスも楽しんだ、バンドもやった、BBQはお手の物、飲み会では飲みすぎる、スイッチを入れたらパリピ的に振る舞える、そこそこ満足です。

    しかし、楽しいことは楽しいのですが、その刺激には飽きてくるんですよね、より大きな刺激が必要になってくる。
    例えるならSORACHIってビールがあって、香りが良くてビックリするくらい旨いんですが、続けて翌日に飲むと香りに慣れてしまってさほど美味しく感じなくなる。あれ?となる。
    同じく、めっちゃ楽しくエキサイティングで刺激的なことは、たまにやるのがそれを味わう秘訣だと思う。
    こういう踊るような楽しさを「楽」としよう。

    踊るほどは楽しくないものの、じんわりと楽しいこともある。最近はこういうのを愉しいと書くことにしている。
    読んだ本を紹介し合うだけの読書会はワイワイしないのに、なんだかじんわり愉しい。
    祭り的な交流ではなく、穏やかな交流も心に残る物があり、地味だとは思うもののお互いへの気遣いがあり、これもまた幸せの手法だ。
    これを「穏」としよう。

    かたや拙者はクラフトマンであり、修行僧みたいなところもあり、コツコツ1人でなにかに熱中することに愉しさを感じる。
    小屋を建てたり、櫓を作ったり、Webサイトを構築したりすると愉しい。
    ランニングも遠泳も愉しいし、読書も執筆も愉しんでいる。
    これは自身を向上させているという気持ちよさがあって、内面が充実していく。行ける範囲が広がり、できることが増える。
    これを「修」としよう。

    上記の3つをやり過ぎると、大変に疲れてくるので、休む日が必要だ。何時になっても起きなくて良い日。どこにも行かず寝て過ごす。雨の日などはちょうどよい。
    これを「休」としよう。

    これら「楽」「穏」「修」「休」にバランスよく時間を配分し、それぞれを充実させようと、今の拙者は考えております。
    SNSなどを見てしまうと、身近な人が自分よりも楽しそうにしている、あるいは努力している姿を毎日目撃して、空虚な時間を過ごすことから逃れたくなって、無理にコンテンツを浴びてる時がよくある。もしくは酒を浴びている。

    「楽」は月1か2週間に1回で充分で、
    「穏」は毎週あってもいい、
    「修」は色んなことを毎日やって、
    「休」は週1回あるとよいな。

    「あー、楽しいことがしたいなー」と思うときには、そんなペースで充分だと考え直すことにしよう。
    これぞ、大人だな。

    楽しむときには楽しみ、頑張るときには頑張り、あとは悠々と。
    いけるかな?
    どうだろうか?

  • 江州音頭を習得しようかな? やめとこうかな?

    江州音頭を習得しようかな? やめとこうかな?

    えー、皆様、頼みます。

    盆踊りは全国各地に色々ありますが、滋賀、京都、大阪の淀川流域、あと奈良などは江州音頭で踊るのがベーシックなのです。
    そして拙者の認識では、江州音頭はあらゆる音頭の源流に近いところに位置している。
    拙者も5年ほど前までは「江州音頭? なんじゃそれ?」と、アイリッシュ音楽やサルサミュージックなどと比べ、ダサいイメージを持っておったが、今では「江州音頭を知らぬとは、うどんを食べたことないのと同じレベルやな」と思わなくもないし、そもそもアイリッシュもサルサも日本ではマイナーだなと自省しています。
    ですから、知らない方が普通。

    で、そんな知る人ぞ知る江州音頭を拙者も唄ってみようかと思っているし、やめといたほうがいいかも、とも思っているので、自分の思考整理のためにこの記事を書きます。

    動機

    なぜ唄ってみようと思うのか?
    この回答は「それが普通な気がしてきた」というふわっとしたもの。

    盆踊りは本来、手作りでミニマムなイベントなのです。
    町内にのど自慢がいて、生歌を披露して、太鼓くらいは用意して、シンプルにみんなで踊る。
    それが昨今では、「盆踊りとはこうあるべきだ」「櫓、PAシステム、プロの音頭取り、屋台などなどがあるべきだ」と、膨らみすぎて、デブってて、動きにくい。頑張らないと開催できないものになっている。だから中止や廃絶に追い込まれる。
    そこで原点回帰!
    小規模でいいのだ、小規模で。動員数など競う時代じゃないのだ。

    という志向で、自分がのど自慢の1人になればええんちゃうかな、とゆるい動機で唄おうかと思った次第。

    あとは、踊ってて「この人、唄が下手やな」と思うことがあるけれど、「ほなお前、唄えんのか!」と言われたら、唄えん。
    そういう情けなさも動機の一つ。

    芸事の世界

    ほな習えばいいんちゃうか? と思いきや、どこから入るか難しい。
    拙者は芸事の世界に足を踏み入れたことがないので分からんけど、どうやら徒弟制度みたいで「ヤベェ、これは苦手なやつや」と思っている。

    例えば、師事している人の盆踊り会よりも優先して行きたい盆踊り会があった時、迷わず行きたい盆踊り会に行くと思うんですが「弟子の癖にどういうつもりや!」となって、「ああ、不自由だな、唄なんて習わねばよかった」と後悔するのではないか?

    徒弟制度である理由もよく分かるし、技だけを伝授してほしいなんておこがましい。当然だ。
    しかし踊りが不自由になると本末転倒。
    凝り固まった人間関係も、明文化されてないマナーに縛られるのも、すごく苦手だ。

    誰かの弟子になる、会の一員になる。この際、守らねばならぬルールが存在するのは当然だし、ルールは遵守する。
    だが往々にして、意味不明なマナーで縛られ矯正される。
    そういう世界に向いている人と向いてない人がいて、拙者は全然ダメ。

    というわけで、これは足を踏み入れるべきではないと、経験が言っている。

    コントラダンスの事例

    コントラダンスというフォークダンスがあるのだが、その際にも同じ志向になった。
    このダンスが楽しすぎてもっと深く関わりたいと思った結果、音楽をやろうと考えたのだ。
    拙者はフラットマンドリンを弾くことにして、一時期はバンドとして盛り上がったし、その波及効果は今もなお健在。
    しかし、拙者自身はマンドリンを弾かなくなったんだよなぁ。

    コントラダンスが途絶え、弾く動機がなくなった。
    ダンスあっての音楽。
    踊り子がいての音頭取り。

    結局のところは、踊りへの情熱のようには演奏への情熱が燃えなかったというだけの話。
    最終的には「演奏するより踊った方が活躍できる」という結論になった。
    唄もそうなる可能性がある。

    才能があったらどうしよう

    でもなぁ、拙者の音頭がめちゃめちゃ上手かったらどうしよう?
    才能を死蔵させるのは罪深いからなぁ。
    盆踊り業界に貢献する逸材かもしれんし。

    人前で唄うことに躊躇ない時点である種の才能があるし、声もデカい。
    下手ならすぐやめたらいいだけの話だからなぁ。

    案ずるより産むが易し

    とまぁ、ここまで書くと「案ずるより産むが易し」という結論にしかならないな。
    「やってみなはれ」だな。

    とにかく個人的なテストを実施することにした。
    10日間、毎日、江州音頭を聴いて、それでも興味が尽きなければ習ってみようと思う。

    どうなるか、お楽しみに。

  • 動かさないと腐っていく

    動かさないと腐っていく

    この世には反抗しがたき自然の摂理が存在する。
    アウトドア活動をすると顕著にそれが分かる。

    ちょっくら琵琶湖で泳いでやろうと滋賀県の志賀に行った土曜日のこと。ナゾノトチの我が小屋は健在で、気候が「アウトドアシーズンだよ」と告げていた。
    だからちょっと調子に乗って、焚き火をし始めた。
    ヒトをヒトたらしめる儀式みたいなもんだ。

    焚き火大好き

    ところで拙者はルーズでござる。
    めんどくさがりの、ほったらかしやさんだ。
    使うかもしれない道具や、使わないけど捨てるのもめんどくさいゴミが身の回りに溜まるし、ナゾノトチにもそういうものがある。
    中には1年以上、あるいは2年か、自然の中に放置された物があって、驚愕するのだ。
    自然が土に還そうとする力に驚愕するのだ。
    要するに、放置しておくと腐ってくるのです。

    水、土、虫、太陽光、菌。色んな力が働いている。
    例えば木などは、水気を帯びるとふにゃふにゃして、菌類、あるいは虫たちに分解され、ボロボロになる。
    プラスチックは水には強いが、太陽光には弱くて、ボロボロになる。
    鉄は錆びるし、布にはカビが生えて汚くなるし、放ったらかすと自然にのみ込まれてしまう。
    まさに「もののけ姫」のラストシーンを彷彿とさせる。

    拙者は燃やせるゴミは燃やして、使うものは置いといて、ゴミもとりあえず置いておいた。
    あまり片付いてない。

    やはり拙者はホームレス

    その件はおいといて、とにかく、動かさないと腐っていくのが自然。
    食べ物は食べないと腐る。
    ヒトの体は動かさないとなまっていくし、本当に動かなくなった時は腐る。
    陶器など容易に腐らないものも存在するけれど、そういうものであっても、世の中が変化することによってなんだか古臭く見えてしまう。
    デジタルデータであるWebサイトなんかも、実際に腐りはしないけれど、更新しなければ腐ってるような印象を受ける。
    流動性を高めねばな、と焚き火に木をくべながら拙者は思った。

    動かさないとな、
    自分の手に余る物は処分しないとな、
    気に入った物や扱えるものだけを手元においておこう、
    そうじゃないと、腐ってしまう。
    それが自然の摂理だ。

    というわけで、一生懸命に焚き火して整理整頓していたら、琵琶湖で泳ぐ時間がなくなってしまったという、苦い日になりました。

    動かせるものなら二輪車2台でも持っときゃいいし、動かせないもの、稼働させられない物は手に余るから手放してしまおう。
    腐って、空気が澱んで、問題が大きくなるばかりだからな。

  • 旅すれば、新しい企画を思いつける!

    旅すれば、新しい企画を思いつける!

    旅は人生に効くよね~。
    先日、日帰り旅行の旅ランをしたら、効果てきめん。
    「もう歳だ」とか「気力がなくなってきた」とか言ってたし、「ワシは」と称するくらいだったのに、やりたいことが湧いててきた。

    別に大して遠くには行ってない。40km先にある場所までバイクを走らせて、12kmランニングして、またバイクで帰ってきた程度。使った金額は3000円くらいかな。
    それでも、気持ちに何かが起こった。これは狙い通りだ。

    気力や好奇心って、なかなか数値化できないので、維持したり回復したりが難しい。金みたいにシンプルじゃない。
    だから、この効用を言語化するのは難しいけれど、どうやら何かが回復し、その結果、新しい企画を思いつけた。ピカーン。
    かなり効果があったということだ。

    濃密な時間を過ごしたという実感がある。
    家にいる1時間と、旅先の知らない道をランニングする1時間の密度はまるで違う。
    こんな道行っていいのか?という悩み、非効率なルートを通ったなという後悔、でもその先にあるちょっといい場所、心に残る風景。
    時間の感覚が変わるこういう現象を大事に生きたい。

    いや、別に旅ランを推したい訳じゃない。誰もやらなくてよいよ、こんなことは。
    旅が良いよってことが言いたい。

    知らない場所を彷徨うことによって、普段の生活であるとか、悩みであるとか、好きな子のLINEがそっけないことであるとか、思い通りにならぬ日々が自分ごとじゃないように思えて、たぶんそれが大事。
    ダメになりそうな時、旅が一番大事。

    コロナ前の数年は、知らない人と喋ることや、街の居酒屋を放浪することで旅の気分が味わえてて、不自由してなかったんですけど、(あとダンスもあったし)、コロナからは不自由になって、今は少し世界が変わった。

    大人は自分自身で、数値化できぬ気力や好奇心、メンタルなど回復させるために、自分を喜ばせながら生きていかねばならぬ。拙者のような独身フリーランスならなおさら誰も気遣ってはくれない。
    エーテルか、仙豆が欲しい。

    今は旅に求めようと思う。
    拙者の旅は3000円と安上がりだ。飲みに行ったほうが高く付く。

    そしてさらに「旅を語ろう茶話会」をやってみたい。
    人を集めて旅先の見どころやグルメなどを発表し合う会。
    これは、喋るほうも聞くほうも有意義だと思う。
    旅のスタイルに個性が出るのも面白そうだ。

    その他にも企画を思いついている。
    それってつまりは、「あっ、気力が回復してる!」ということだ。
    とにかく、旅はいいし、旅を語るのもきっといい。
    絶対いい。

    旅をする → 話す・聞く → また旅をしたくなる → 旅をする

    インターネットのコンテンツに満足せず、自分の足で出かけよう!