「あー、楽しいことがしたいなー」「毎日楽しく生きていきたいなー」とは思うものの、実際にやると疲れるし、飽きてもくる。どんどん強い刺激を求めてしまって、人生がヤバくなる。
ほどほどのバランス感覚が必要だ。
こう思えるほどには大人になった。

拙者は楽しいことが大好きで、これまでの人生でそれを追求してきた。
楽しいとは何なのか?とディズニーシーで働いたし、酒場もやった、人狼会もやった、フォークダンスも盆踊りもサルサダンスも楽しんだ、バンドもやった、BBQはお手の物、飲み会では飲みすぎる、スイッチを入れたらパリピ的に振る舞える、そこそこ満足です。

しかし、楽しいことは楽しいのですが、その刺激には飽きてくるんですよね、より大きな刺激が必要になってくる。
例えるならSORACHIってビールがあって、香りが良くてビックリするくらい旨いんですが、続けて翌日に飲むと香りに慣れてしまってさほど美味しく感じなくなる。あれ?となる。
同じく、めっちゃ楽しくエキサイティングで刺激的なことは、たまにやるのがそれを味わう秘訣だと思う。
こういう踊るような楽しさを「楽」としよう。

踊るほどは楽しくないものの、じんわりと楽しいこともある。最近はこういうのを愉しいと書くことにしている。
読んだ本を紹介し合うだけの読書会はワイワイしないのに、なんだかじんわり愉しい。
祭り的な交流ではなく、穏やかな交流も心に残る物があり、地味だとは思うもののお互いへの気遣いがあり、これもまた幸せの手法だ。
これを「穏」としよう。

かたや拙者はクラフトマンであり、修行僧みたいなところもあり、コツコツ1人でなにかに熱中することに愉しさを感じる。
小屋を建てたり、櫓を作ったり、Webサイトを構築したりすると愉しい。
ランニングも遠泳も愉しいし、読書も執筆も愉しんでいる。
これは自身を向上させているという気持ちよさがあって、内面が充実していく。行ける範囲が広がり、できることが増える。
これを「修」としよう。

上記の3つをやり過ぎると、大変に疲れてくるので、休む日が必要だ。何時になっても起きなくて良い日。どこにも行かず寝て過ごす。雨の日などはちょうどよい。
これを「休」としよう。

これら「楽」「穏」「修」「休」にバランスよく時間を配分し、それぞれを充実させようと、今の拙者は考えております。
SNSなどを見てしまうと、身近な人が自分よりも楽しそうにしている、あるいは努力している姿を毎日目撃して、空虚な時間を過ごすことから逃れたくなって、無理にコンテンツを浴びてる時がよくある。もしくは酒を浴びている。

「楽」は月1か2週間に1回で充分で、
「穏」は毎週あってもいい、
「修」は色んなことを毎日やって、
「休」は週1回あるとよいな。

「あー、楽しいことがしたいなー」と思うときには、そんなペースで充分だと考え直すことにしよう。
これぞ、大人だな。

楽しむときには楽しみ、頑張るときには頑張り、あとは悠々と。
いけるかな?
どうだろうか?

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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